◎  相  手  あ  っ  て  の  自  分  で  あ  る

  ライフ・ベンチャーの船出は、ゼロからの出発であった。 当初、会社を設立して陣容が整った頃、私はライフ・ベンチャーの事業説明のために、くる日もくる日も、会社訪問を試みていた。だが、ライフ・ベンチャーといっても、まだ無名会社に過ぎなかったし、その上に“ ニュービジネス ”ときているから、訪問先の総務や人事担当者になかなか会えず、会えたとしてもライフ・ベンチャーの意図するところを理解し、賛同を得ることはなかなかできなかった。

  毎日の企業案内を兼ねたセールス活動の失敗のなかから、そのうち私は、自分がライフ・ベンチャーに熱中するあまり、自己本位の姿勢で人に対していたのではないかと気づいてきた。自分本位の立場に固執して “ 高射砲 ”
のようにまくりたてるだけでは、、相手の考えがつかめず、取引先はつくれないことは当然のなりゆきである。こうした態度では他人や周囲の協力を得ることはむずかしい。

  たとえ、自分では意義あるニュービジネスといえども、いやそうであればなおさら、まず相手あっての自分なのであった。 先方のニーズに合った満足が先にあって、セールスする自分があるのである。

  「 何ごとでも、人びとからしてほしいと望むことは、人びとにもその通りにせよ 」

  聖書の箴言は、生きているのである。その上に立って、自分もよいが、相手にもよいように上手に工夫することが、脳力開発の本質であったはずだ。

  さらに聖書には、「 人を裁くな、自分が裁かれないためである 」という昔からの教えもある。同じセールスマンでも、人や他を裁きたがる攻撃的な人も少なくない。他者の欠点ばかりを過大視がちな人は、往々にして自分の欠点には過小評価するものだが、いずれも自分本位の立場を脱することはできない。

  人はそれぞれの希望や意見、立場などを異にして生きているのが普通である。それが自然で当然であると受け入れられる姿勢がライフ・ベンチャーには欠かせないものだ。

  そうして相手をよく理解し、敬意を払えば、その人に対する誠意や親愛の情も自ずから湧こうというものである。これが、相手あっての自分の謂でもある。こちらの誠意が相手に通じれば、やがて先方も、相互利益をはかろうとする姿勢に変わってくる。

  もちろん、この場合でも、相手との取引関係で譲歩の “ できること ” “ できないこと ”を明確にしておく必要はある。取引条件が少々かけはなれているときにでも、誠意と忍耐をもって双方が妥協点を設けつつ、協力関係をもつのが望ましいのだ。相手あっての自分を生かしながら、ここに至って対等の協力関係を結ぶことができるのである。  つづく