「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:51
2015年12月18日 お仕事 長 寿 社 会 に 挑 む 人 生 戦 略
“ 人生五十年 ” の時代は、すでに過去のものとなった。四十、五十歳はまだ “ 鼻たれ小僧 ” で、六十、七十歳の熟年はシルバ-・エイジ、八十歳を過ぎてやっと天国へ迎えられるライフ・サイクルが現代なのだ。
長寿社会を迎えた現代は、長生きするにもそれ相応の準備と覚悟が必要な世の中になった、とよくいわれる。単に、漫然とした長生きだけが取柄ではなく、どれだけ意義があり、生き甲斐のある生き方をするかが求められているのである。長寿社会はまた、平均寿命が五十歳だった時代とちがって、定年後にも十分に活かしえる人生が十年も二十年もあるということにほかならない。
その “ 第二の人生を、充実した生き甲斐の下で過ごすためには、長寿社会にふさわしい人生戦略 ” が必要にある。
定年退職後、新たな生き甲斐を打ち立てられず、目標を喪失した消極人間は、肉体的にも急に老け込んでコロッと死んでしまう。いわゆる “ 定年マンコロ ” を招きやすいそうである。
之など、五年後、十年後、二十年後の自分の定年後に、どんな環境変化をきたすかを全く考えず、環境に流されて心の準備もしないままに “ そ の 日 ” を迎えてしまったからだろう。
それも官庁や大企業の退職者で、老齢年金にも恵まれ、アクセクと働く必要が少ない人ほどその可能性があるというから、皮肉な話である。その意味で、手、足をいつまでも働かせる脳力の活用は、定年後にも欠かせないものだと思う。
定年は、誰にも平等に、しかも明確な定められた日にやってくるものである。このわかりきった道筋を自己の人生設計にまずはっきりと位置づけることが大切である。老後の人生設計がきちっと定まれば、今の時間が如何に貴重で、残り惜しいものか肌で感ずるようになるものだ。現在の一刻一刻を大切にいきるためにも現状に甘んじない人生戦略は肝要なのだ。
わが国の百歳以上の長寿者の経歴を調べたところによると、その九十五%が、自営業の経験者であったという。彼らには熟年以後も、何か有意義と思われる仕事を続けていたという共通項がある。
定年を意識しないで、自分の潜在能力を開発することに、生涯の努力目標があるならば、その人は知らず知らずのうちに老化を防ぐ健康管理をしていたことになる。
翻って、組織でどっぷり安住した “ 会社人間 ” ほど自己の弱点や弱味に気づかないものだ。日本の伝統的な年功序列のタテ型社会では、規格にはまった “ 忠誠心 ” が求められるのが常である。定められた組織の枠内で、マイナス・ポイントを増やさないようにすることがビジネスマンの成功であり、当然、昇進昇格至上主義が人生戦略とされてきた。 ビジネスマンに対する社会的評価にしても、個人の実力というよりは、その所属する企業の信用度と地位に負っていることは否めない。
しかし、これからの企業社会は、欧米のように、会社での肩書や地位に頼らない、その個人の実力と信用度を重視する価値観に変わりつつある。つまり企業内評価に外部評価を加味すべきだという考え方に・・・・。それは、究極的には自立したその人自身の生き方が真に問われることなのである。 つづき
“ 人生五十年 ” の時代は、すでに過去のものとなった。四十、五十歳はまだ “ 鼻たれ小僧 ” で、六十、七十歳の熟年はシルバ-・エイジ、八十歳を過ぎてやっと天国へ迎えられるライフ・サイクルが現代なのだ。
長寿社会を迎えた現代は、長生きするにもそれ相応の準備と覚悟が必要な世の中になった、とよくいわれる。単に、漫然とした長生きだけが取柄ではなく、どれだけ意義があり、生き甲斐のある生き方をするかが求められているのである。長寿社会はまた、平均寿命が五十歳だった時代とちがって、定年後にも十分に活かしえる人生が十年も二十年もあるということにほかならない。
その “ 第二の人生を、充実した生き甲斐の下で過ごすためには、長寿社会にふさわしい人生戦略 ” が必要にある。
定年退職後、新たな生き甲斐を打ち立てられず、目標を喪失した消極人間は、肉体的にも急に老け込んでコロッと死んでしまう。いわゆる “ 定年マンコロ ” を招きやすいそうである。
之など、五年後、十年後、二十年後の自分の定年後に、どんな環境変化をきたすかを全く考えず、環境に流されて心の準備もしないままに “ そ の 日 ” を迎えてしまったからだろう。
それも官庁や大企業の退職者で、老齢年金にも恵まれ、アクセクと働く必要が少ない人ほどその可能性があるというから、皮肉な話である。その意味で、手、足をいつまでも働かせる脳力の活用は、定年後にも欠かせないものだと思う。
定年は、誰にも平等に、しかも明確な定められた日にやってくるものである。このわかりきった道筋を自己の人生設計にまずはっきりと位置づけることが大切である。老後の人生設計がきちっと定まれば、今の時間が如何に貴重で、残り惜しいものか肌で感ずるようになるものだ。現在の一刻一刻を大切にいきるためにも現状に甘んじない人生戦略は肝要なのだ。
わが国の百歳以上の長寿者の経歴を調べたところによると、その九十五%が、自営業の経験者であったという。彼らには熟年以後も、何か有意義と思われる仕事を続けていたという共通項がある。
定年を意識しないで、自分の潜在能力を開発することに、生涯の努力目標があるならば、その人は知らず知らずのうちに老化を防ぐ健康管理をしていたことになる。
翻って、組織でどっぷり安住した “ 会社人間 ” ほど自己の弱点や弱味に気づかないものだ。日本の伝統的な年功序列のタテ型社会では、規格にはまった “ 忠誠心 ” が求められるのが常である。定められた組織の枠内で、マイナス・ポイントを増やさないようにすることがビジネスマンの成功であり、当然、昇進昇格至上主義が人生戦略とされてきた。 ビジネスマンに対する社会的評価にしても、個人の実力というよりは、その所属する企業の信用度と地位に負っていることは否めない。
しかし、これからの企業社会は、欧米のように、会社での肩書や地位に頼らない、その個人の実力と信用度を重視する価値観に変わりつつある。つまり企業内評価に外部評価を加味すべきだという考え方に・・・・。それは、究極的には自立したその人自身の生き方が真に問われることなのである。 つづき