「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:57
2015年12月24日 お仕事 ◎ 人 生 の 無 限 の 可 能 性 を 信 じ て
自分の人生の成長を願望するか、あるいは現状にあきらめて保守に専念するかは、もう一つの重大な人生の選択である。私の場合も、この問題がついてまわった。
ビジネスマン時代からライフ・ベンチャーの事業を夢見はじめた私は、 “ いまのままなら自分の将来はどうなるか ”という思いと、“ ベンチャーを実践して将来、生き甲斐をつかめるか ” との考えが交錯して、さんざん悩まされたものである。
年齢もすでに五十歳に近いし、健康や体力、気力も心配である。家族の思いにも配慮しなければならなかったし、周囲の思惑にも無関心ではいられない。実際に体験した当事者でないとその心情はなかなかわからないものだが、二十五年間勤めたサラリーマン生活から一夜にして飛び出すのだから、ことはそう単純ではなかった。
しかし私は決断した。“ 今のままの変化のない気楽な人生を送った場合 ”と “ 目先は苦しくても創意工夫の努力をして成長する人生を送る場合 ”のどちらがより生き甲斐のある脳力開発となるか、を賭けたわけである。人間の意欲や生命力というものは、本来、“ 積極思考 ”のなかで育成、強化されるという思いもそこにはあった。
そうはいっても、最初から大きな夢を描いたところで、それは“ 夢想 ”に過ぎないものである。いきなり遠大な目標をねらうより、地道に一歩ずつ足を進めていくことが堅実であり近道であることは過去の経験からも道理である。私のライフ・ベンチャー社も“ 小さく産んで大きく育てる ”ことが第一方針となり、私は設立発起人にその旨の説明を繰り返していた。 “ すぐできること ” “ やさしそうなこと ”から着手して会社の運営をはじめたのである。「まず立ち上がれ」そして「一歩ずつ歩け」「一口ずつ食べよ」の行動方針は、脳力開発の面からも基本項目なのである。
もう一つ、私はベンチャーして以来、「自分には不可能だ」「私にはできない」という言葉を禁句として自分に課した。 この意識にとらわれている限り、ベンチャー精神はしぼむばかりである。風船は、大きくふくらませてこそ風船なのだ。加えて、「無理」「無駄「無気力」の言葉も、ライフ・ベンチャー精神からは追放したいものだと心から念じている。 つづく
自分の人生の成長を願望するか、あるいは現状にあきらめて保守に専念するかは、もう一つの重大な人生の選択である。私の場合も、この問題がついてまわった。
ビジネスマン時代からライフ・ベンチャーの事業を夢見はじめた私は、 “ いまのままなら自分の将来はどうなるか ”という思いと、“ ベンチャーを実践して将来、生き甲斐をつかめるか ” との考えが交錯して、さんざん悩まされたものである。
年齢もすでに五十歳に近いし、健康や体力、気力も心配である。家族の思いにも配慮しなければならなかったし、周囲の思惑にも無関心ではいられない。実際に体験した当事者でないとその心情はなかなかわからないものだが、二十五年間勤めたサラリーマン生活から一夜にして飛び出すのだから、ことはそう単純ではなかった。
しかし私は決断した。“ 今のままの変化のない気楽な人生を送った場合 ”と “ 目先は苦しくても創意工夫の努力をして成長する人生を送る場合 ”のどちらがより生き甲斐のある脳力開発となるか、を賭けたわけである。人間の意欲や生命力というものは、本来、“ 積極思考 ”のなかで育成、強化されるという思いもそこにはあった。
そうはいっても、最初から大きな夢を描いたところで、それは“ 夢想 ”に過ぎないものである。いきなり遠大な目標をねらうより、地道に一歩ずつ足を進めていくことが堅実であり近道であることは過去の経験からも道理である。私のライフ・ベンチャー社も“ 小さく産んで大きく育てる ”ことが第一方針となり、私は設立発起人にその旨の説明を繰り返していた。 “ すぐできること ” “ やさしそうなこと ”から着手して会社の運営をはじめたのである。「まず立ち上がれ」そして「一歩ずつ歩け」「一口ずつ食べよ」の行動方針は、脳力開発の面からも基本項目なのである。
もう一つ、私はベンチャーして以来、「自分には不可能だ」「私にはできない」という言葉を禁句として自分に課した。 この意識にとらわれている限り、ベンチャー精神はしぼむばかりである。風船は、大きくふくらませてこそ風船なのだ。加えて、「無理」「無駄「無気力」の言葉も、ライフ・ベンチャー精神からは追放したいものだと心から念じている。 つづく