日  本  生  涯  現  役  推  進  協  議  会
           東    瀧     邦    次   様

  「フクシマ復興応援ネットワーク」に、ご理解とご支援を戴きありがとうございます。
最近のネットワーク活動の状況を、下記の2つの「FMM(フクシマメールマガジン)」で、ご報告申し上げます。

①  FMM No.5
 縮小社会研究会での城南信用金庫理事長、吉原毅さんの「原発ゼロで、日本経済は再生する」 についての講演要旨。
②  FMM No.6
 「13のフクシマ復興再生課題」についての当面の検討課題
 備考: これまでの「13のフクシマ復興再生課題課題」についての検討状況は、次の「サイトページ」でご確認下さい。
  http://www.belhyud.com/100-00-3-006-10.htm
 
フクシマ復興応援ネットワーク
事務局   井上 仁
http://www.belhyud.com/00.htm
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           【 皆 様 か ら の 声 】
  「フクシマの記録・提案」を共通の媒体として、「フクシマ復興応援ネットワーク」に登録して戴いた全国の皆さんから励ましの声を寄せていただきました。また、マスコミなどで取り上げられている皆さんの「フクシマ問題」に対する声もあわせて紹介します。
             【7.1~ 】
 昨夜は本当に素晴らしいお話しをしていだきましてありがとうございました。また、貴重な資料のご提供に感謝いたします。
 最近、井伏鱒二さんの「黒い雨」の小説を読みました。本当に衝撃的な文章で、こころの奧底に残りました。また、水俣病告発の「苦海浄土」の本を読みましたが、本当に無辜国民を犠牲にした、けしからんふたつの惨い体験をさせてしまった国民が、もっとドイツのように脱原発や環境破壊にあるべき国民合意形成を早くして行くことが大切だと思っております。ドイツはヒットラーが無辜のユダヤ民族を殺戮した、言葉では表せない惨い経験を次世代には同じ失政をさせないようにしています。(M)

 引き続きのご活躍のご様子、ご苦労さまです。FMMを拝誦していて、思わずウムゥーと唸ってしまいます。他人事のようですが、結論的には、理論闘争と実利闘争との綱引きになるとおもわれますが、年齢のことを考えると、不満残しながら、そこそこのところで実利を取らざる得ないのでわと考えますが。大変だとおもいますが、頑張って下さい。(T)

 この4月から石巻市の復興事業を支援するため石巻市職員となりました。現在自宅(神奈川)に戻るのは2回/月程度です。浪江の方もこの1年以上一時帰宅していません。6月21日(土)には、秋葉原で開催された福島県外避難者交流会・相談会に参加しましたが、以前のように交流会に参加することは難しくなっています。避難者の参加は会場の関係もあり24名ほどでした。今後、この交流会のあり方についてももう少し検討の余地があると感じています。
東京の自宅は相模原ですので、皆さんの一般の方のイベントが横浜等で開催されるときにはご連絡ください。都合が付く限り参加できればと思っています。今後もよろしくお願いします。(日本技術士会・防災支援委員会 委員長)

 移住が相次ぐ避難住民が多くなる状況下、自身は浪江町への帰還を考えています。帰還には、紆余曲折が伴いますが目標は帰還と考えています。60歳未満の勤労者世代は、帰還希望者に対して冷ややかな姿勢があります。自身も57歳の勤労者ですが、勤労している避難者に会う都度「俺は浪江町に帰るヨ」と言っています。
帰還希望者が少数のこの勤労者世代の人たちが、少しでも多く帰還して貰いたく思っています。浪江町民には家庭環境、人生設計等により帰還を強制はできませんが、対外的にも故郷「なみえ」を何時までも誇りに思って頂きたく考えています。(H.K)

 今朝、兵庫県御津町の友人から相馬の野馬追を観たいとの連絡があり、話の中で、「こっちでは、東日本大震災はもう忘れ去られている」と話していました。考えてみると、自分も阪神淡路大震災から3年経った頃は、新聞報道を目にするくらいで、ほとんど忘れかけていたのでは無かったかと感じます。
 フクシマ復興応援については、具体的な行動を取らないでいることに対して内心忸怩たる想いがありました。限られたことしかできないと思いますが、是非ともネットワーク会員に登録させていただきます。(S.T)

 福島応援ネットワークの報告、拝読しました。これから世論も次第に薄れていくことと思いますが、がんばってご活躍される様、出来る限り応援します。(N)

 移住が相次ぐ避難住民が多くなる状況下、自身は浪江町への帰還を考えています。帰還には、紆余曲折が伴いますが目標は帰還と考えています。
 60歳未満の勤労者世代は、帰還希望者に対して冷ややかな姿勢があります。自身も57歳の勤労者ですが、勤労している避難者に会う都度「俺は浪江町に帰るヨ」と言っています。帰還希望者が少数のこの勤労者世代の人たちが、少しでも多く帰還して貰いたく思っています。
 浪江町民には家庭環境、人生設計等により帰還を強制はできませんが、対外的にも故郷「なみえ」を何時までも誇りに思って頂きたく考えています。よろしくお願いします。(H)

 資料の配信ありがとうございます。大変困難な課題、いや生活権の重さ、大きさがあらためて感じました。双葉町以外の被災者も同様と考えますと被害の規模の大きさ、それに伴う被害への償いの大きさは計りしれない。その土地の地域の文化とか伝統とかの風土は、現時点の一律の土地の価格では算定は出来ないし、長い年月営々と積み重ねてきた価値を失う事への償いが金目では計れないでしょう。
 東京電力ではなく、国がこの問題にどのように向き合うのか、向き合い方によっては、大飯原発の福井地裁判決の今後の方向付けが決まるように思われます。補償が得られれば片付く問題でもないし、それぞれに違いがあって一律、あるいは公平というのが、相当に論議されて意志統一が諮られ、今回の請求になったと思いますが時間が長引けば長引くほど一体感の維持も難しい問題だと思います。(N)

 6月22日岩沼で「~放射能を浴びた~X年後」の上映会があり観ました。この映画はアメリカが行ったビキニ水爆実験で日本人が被爆した人の記録を28年間追い続けた一人の教師のドキメントを南海放送が8年間かけて制作したものです。
 日本列島は海流の流れで当時はほぼ全域汚染され、カツオ、マグロはは高濃度の放射能に汚染されたが、風評被害を恐れて国も港を持つ地域も隠ぺいし船員は知らされてなく、特定の船と船員のみが公表されたのみである。
 結果として操業は続けられ多くの船員は各種の癌の病名で亡くなった。ビキニ水爆実験は3カ月間に6回の実験が行われ、アメリカが調べた当時の放射能汚染マップや、補償200万$(当時の金で7億2千万円)で幕引きとなり、その補償金の大半は船主に配布され、船員にはわずかな人のみ治療費として支払われた。
 そのような秘密文書が実験から60年後あきらかにされた。資料の隠ぺいや弱い立場の犠牲などこの映画は鮮明に語っており、一人で28年間調査を続けた教師は「この問題を風化させてはならない。この一念のみ」と語っている。(N)
              【6.1~ 】
 今回、石原大臣の発言が問題になっています。残念なことです。
損害賠償問題これは本当に厄介な問題です。
因果関係論では原始的因果関係から相当因果関係まで請求に至るまでに、どのようにその請求の論拠を組み立てるか頭が痛いところと推察いたします。
特に今回は自然災害を一時的な要因として、このような重大な事象が発生し、その後の東電の対応が人災なのか大地震と津波による天災地変による不可抗力なものなのかも、原始的には論争になるところです。
又、物理的損害から精神的損害、更には時間軸として将来への生活権への侵害問題と、ことは複雑で簡単に損害賠償と言っても様々な障害がありますね。個々人で千差万別の内容になるでしょう。小生も、そのような環境で、どのような訴訟戦略があるのか聞きたいところです。(S)

 あの大震災および原発事故が起きて、早や3年が過ぎたのですね。貴殿が福島県出身とは存じていましたが、原発事故の足元である双葉町のご出身とは存じませんでした。我が郷里が左様な状況にある事は、居た堪れないお気持ちだと推察いたします。
  地震発生の当日、その時間に新宿の東口近くの紀伊国屋書店に居ました。地震が多少収まって、東口の広場で余震に怯えながら、津波の到来と大災害の実況中継とそに悲惨さを広場の屋外テレビで見ました。その後、歩いて16時ごろから23時まで7時間程歩いて、自宅に帰りました。双葉町をはじめ現地の方々の恐怖と悲惨な状況を眼前にされた思いは、如何ばかりであったでしょうか。今更ながらその恐怖と悲しみに同情致します。 (T)

 お元気にご活躍の姿をお見受けして、こちらも元気を頂きました。早速に、沢山の資料をありがとうございます。現役時代、電線ケーブルを製造して、原子力発電所に沢山納入しました。私も福島原発 第一、第二、大飯原発で配線工事に従事し、思い入れがあります。原発については、関心を持って、ニュースを見ている次第です。(Y)

 一市民の範疇を越えて、国や自治体に復興再生課題の骨太の政策提言をなさろうとしているご様子、いろいろ学ばせて頂けそうです。(N)

 「フクシマメールマガジン No.2」は、福島の被害と原発運転停止をはじめて結びつけて判決したものとして、画期的です。そのことをマガジンできちんと紹介されたのは良いとおもいます。『世界』7月号に、5月号につづけて広告を出しました。(言叢社)
              【5.1~ 】
 明日福島の郡山市へ出向きますが、本を持参し、郡山から支援の輪を広げるべく少しずつ啓蒙活動に努めます。兎に角地道に着実に少しでも双葉町に笑顔と希望が生まれるように応援活動していきますよ。(N)

 福島第一原発事故が報道されるたびに、そのまさに中心地の双葉町は井上さんの出身地だったなといつも思っていました。ご紹介の「フクシマの記録 ごせやける 許さんにえ」をファックスにて注文しました。現地の状況を更に理解したいと思っています。(S)

 どうか粘っこく、活動を継続されることを祈っています。何か思いついたことがあればお伝えしたいと思います。疲れた時は、言って下さい。復興再生課題、どれを見ても難しい内容です。頑張ってください。(S.N)

 東日本大震災は想像を絶する大津波に襲われ、加えて予想だにしなかった原発の事故。その時はたまたまマレーシアの自宅に居てNHKの中継に釘付けで、信じられない光景に体が震えたのを覚えています。時が経つにつれ人々の記憶から薄れがちですが、直接被害に遭われた方々にとっては、復興までの長い道のりが続きますね。この先も幾多の困難があると思いますが、健康に留意され頑張って下さい。(S)

 今後も力の限り、頑張って下さい。微力ながら応援させて戴きます。(M)
 最近、震災の記憶が薄れてきているような気がします。しかし、被災地の復興はまだ終わったわけではありません。これからも息長く支援を続けていかなければなりません。自分にできることをと今、考える私です。

 安倍晋三首相が国際オリンピック委員会総会での招致演説で、東京電力福島第一原発の汚染水漏れについて、「状況はコントロールされている」と述べたことが「招致のために、うそをついた」と受け止められたことも言うまでもない。(N)

 大変な状況の中でのご活躍 ご苦労様です。私は毎日の仕事に追われ、思うように時間が取れず、ご無沙汰してる次第です。しかし、ごく限られた範囲内ではありますが、何ができるかを改めて考えてみます。何かアドバイス等ありましたらお教えください。一つお尋ねしますが、失業されてる方は結構いらっしゃるのでしょうか?(E)

 書店で著書を見つけて登録をお願いした次第です。私の実家は小高区で家族を神奈川県へ避難させています。(E.H)

 「FMM No.1」のご送付に感謝します。新生・ネットワークは素晴らしい方々がリーダーとなって意欲的な活動が開始される予感がします。次回のお便りを楽しみにお待ちします。(T)

 お世話になっております。ネットワークへの登録をさせていただきます。微力ではありますが、よろしくお願い致します。(N)

 先日購入させていただいた「ごせやける、許さんにぇ」を読みました。
  震災当時、私が働いていた福島県喜多方市役所では原発による影響で、避難されてきた大熊町の方々の対応に追われていましたが、この本には、双葉町の当時の様子、そして現在の状況と今後の方向性について、詳細にまとめられていることで、双葉町の方々が抱えているたくさんの課題を明確に理解することできました。
  今、「美味しんぼ」の事で、双葉町そして福島県がいろいろな意味で話題になっています。テレビの取材で、今だ、仮住まいを余儀なくされている双葉町の方が「内容はともかく、双葉町を取り上げてくれたことはうれしい。」とおっしゃっていたことが印象に残っています。当事者の方々の気持ちは、私たちが考える以上に、複雑多岐にわたっていると推測されます。これからも、双葉町の方々の思いを、しっかりと吸い上げて、データー化し、復興・応援へと繋げる必要を感じています。(A.Y)