暑 中 御 見 舞 い 申 し 上 げ ま す 。
                         高 橋  育郎

このたび 山岡鉄舟研究会で「生涯現役と武士道」のテーマで話をすることになりましたので、恐縮ですが原稿を添付させていただきました。

       生  涯  現  役  と  武  士  道

                   
 「童謡に生涯現役の夢かけて」は、平成4年春、行動人のための月刊誌が懸賞論文を募集したときに応募。入選したものです。
 表彰式に臨んで私の夢は、更にふくらみ、そして何とその年の12月、夢の第一歩が現実になって動きはじめました。
 今に続く「心のふるさとを歌う会」です。きっかけは、ライフ・ベンチャー・クラブ(LVC生涯現役実践道場)で、ここは、異業種交流の場でもあったことから、さまざまな人との出会いの中、励まし助け合い新規事業などが生まれて行きました。
 私の場合、直接のきっかけは、月例セミナーの中で、代表のさしがねから「みんなで歌いましょう」の時間を設けてくれたことで、半年ほどたったころ、生活余暇開発士の方が、ここだけでは勿体ないので外部に持ち出してやってみてはどうかと、都の施設を借りてくれて、おかげさまで、ここを根城に始めることができました。
 会を始めると、童謡のことで知りたいことができたので、童謡協会へ電話したところ、私の活動や過去の実績が知られ、一カ月後の5年一月に、憧れの童謡協会の入会の夢も果たせたのです。
 ここで人生が大きく転換したことを実感しました。童謡の作詞、作曲に打ち込み、「生涯現役音頭」を代表に依頼され作ったところから、関東一円で始まった生涯現役の会へ歌の指導や講師として呼ばれるようになり、更には生涯学習センターなどからも声がかかり、講師の道が開かれ、歌の活動が本格稼働して、大きな生き甲斐になりました。
 平成11年でしたか。山岡鉄舟の会が埼玉県小川町で始まり、LVCで出会った山本紀久雄氏に誘われて出かけました。しかし、小川町はあまりにも遠く、とても通えないということで、山本氏は自ら東京で会を立ち上げました。「山岡鉄舟研究会」です。私はすぐに賛同して入会しました。
 ところで、私が生涯現役に出会ったのは、全くの偶然からでした。
 そもそも私は昭和28年、国鉄に入社しました。文字通りのマンモス企業で将来は安泰でした。ただし、私に課せられた運命は、組織の中にあって、かなり厳しいものがあり、組織の中でも最先端の職場を回っていました。昭和39年、東海道新幹線開業前年にPRの仕事に就き。そのあと旅客輸送の仕事、そして43年、東京~千葉間の快速線線路増設工事に伴う駅舎の全面改良の計画担当。ここでは、ほとんど一人で遂行という前代未聞の体験で、過労死寸前までの苦労を背負いました。55年に千葉駅の改良に入ってほぼ完了した時点で、この仕事から解放され、団体旅行のお手伝いをすることになりましたが、これは私の歌好きが知られたことによりました。
 団体旅行の添乗員を体験したところで、私はすぐに「団体旅行音頭」を作詞して管理局へ提案し、それがJTBの手に渡り、「シャンシャンいい旅夢の旅」になってキング・レコードから全国発売されました。この実績がその後の人生に大きく影響しました。
 このころから国鉄は経営改善が叫ばれ、崖っぷちに立たされ、増収対策に汗水を流しながら喘いでいましたが、ついに分割民営化へと転がり込んでいきました。
 ここで私の最後のご奉仕は、千葉でお別れ国鉄グッズ、お座敷電車を走らせるとき、局長から要請されて「なのはな号音頭」を作詞、クラウンから発売されたことでした。
 そして、62年春にJRに移行しますが、このとき52歳以上の管理者は、辞めるか関連企業へ転出するかの二者択一を迫られたのです。私は、このとき高架下会社の役職に就くことになりましたが、第二の人生は、自分の好きな道を歩きたいと、組織を離れ人生冒険の道に飛び出してしまいました。国鉄が穏当でいたら、私はこうした冒険はしないで、平穏な道を歩んでいたと思います。
さて、好きな道とは歌の道です。たいした素養があるわけではないので大変な冒険でした。ところがここで運命的出会いがあったのです。それが人生冒険、ライフ・ベンチャー・クラブの生涯現役実践道場でした。
 ここでは、それぞれ自分の得意技に磨きをかけて、世のため人のため働きかけること、知識に終わらず、実践こそ価値があると教えられ、更に能力開発、人間の計り知れない能力のあることを教えられたのです。私は勇気を得ました。
 さて、山岡鉄舟は剣、禅、書の人として知られています。
 ところで、学校では、ついに一度たりとも鉄舟の事は教えられずに過ぎました。小学校では、江戸無血開城は、勝海舟と西郷隆盛の功績と教えられました。それほどに影の存在でした。知ったのはNHK大河ドラマ「最後の将軍」で、ここで鉄舟が静岡で官軍の将、西郷と談判する。そこまでの道中と会談の場面があって、鉄舟の存在を知ったのです。入会した2年くらい前のことでした。しかし、入会し鉄舟を知ってからは、汲めども尽きない魅力、奥深さに取りつかれてしまいました。
 鉄舟もまた生涯現役の人だと思うようになりました。幼い時から培った信念を曲げることなく精進に励み、自己を確立して行き、最後の最後、死を直前にした時、人払いをして、一人静かに皇居に向かいひれ伏すかのように倒れたのです。明治天皇を尊崇してのことだったのですね。武士道を貫いた潔さに、生涯現役の生きざまを見せつけられ、鉄舟の常人にはない物凄さを感じました。
 ここまで邪念なく自己を完遂させられたら、これこそ本物の生涯現役であろう。
 私は「童謡に生涯現役の夢かけて」を書いたころは、このように凄まじい生涯現役を知りませんでしたから、鉄舟を知った今は根本から自分を見直さなければいけないと思いました。そういえばマズローの人間幸福度の五段階のうち最高位は、自己確立。すなわち自分の持っている能力の全開だと教えられました。
 そういえば数年前、山本氏から「心錦の山岡鉄舟」のわらべ歌が、明治の初めに歌われていたことを教えられ、同じ題の詞を書いたことを思い出しました。
 私は今頃になって、生涯現役精神は武士道精神に通ずるものであることを知りました。
 自分の信念を貫き通す潔さですね。有難うございました。  以上