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【朝日新聞 Digital  2014年8月19日05時00分】

 〔 耕 論 〕 7  0  歳  ま  で  働  き  ま  す  か
      楠 木  新 さ ん 、 鬼 頭  宏 さ ん 、 西 川 伸 一 さ ん

 政府は高齢者の働き手を増やす新成長戦略を打ち出した。働き手の中核となる上限を「70歳まで」に見直す提言も出ている。平均寿命が延びる中、私たちはいつまで働けるだろうか。

 ■ 「 こ こ ろ の 定 年 」 に 耳 傾 け て 
                       楠木新さん(くすのきあらた/サラリーマン、作家:1954年生まれ。保険会社に勤務するかたわら楠木新のペンネームで執筆。「人事部は見ている。」がベストセラーに。近著に「働かないオジサンの給料はなぜ高いのか」)

 70歳まで働ける雇用環境の整備を求めた政府の有識者会議の提言は、少子高齢化の観点では正しいかもしれません。しかし、中高年サラリーマンの立場から見ると、「少しずれているなあ」というのが実感です。

 就業上の定年は多くが60歳ですが、40歳前後から組織で働く意味に悩む「こころの定年」を迎えるサラリーマンが増えています。成長鈍化で管理職ポストが削られていることに加え、雇用の流動性も限られているからです。日本企業の特徴である新卒一括採用は「人事が苦手なら財務。それも苦手なら営業」と異動させることができ、長期的な育成が可能なため、若い世代にとっては良い仕組みです。しかし、中高年社員は、若手社員のようには動かしにくい。そのため、会社の中に居場所を見つけにくくなっているのです。

 私自身、若いころは順調に組織の階段を上っていましたが、40代後半になって「こころの定年」を迎えました。成長している実感が得られず、誰の役に立っているかも分からなくなり、出社できなくなりました。

 転機になったのは、サラリーマンから転身した人に話を聞き始めたことでした。小さな会社を立ち上げた人、そば打ち職人になった人、プロの落語家になった人……。収入は減っても彼らが「いい顔」で働いている点が魅力でした。また転身した人の多くが自分と同じく「こころの定年」を経験していました。話を聞いた人は、150人を超えます。彼らの生き方と自分とを何度も重ね合わせる作業を通して、自分が何をすればいいかが、見えてきたのです。

 小さい頃、演芸場によく通った私は芸人に憧れていました。でも、芸人になるには個性もなければ才能もない。そこでサラリーマンの経験を題材に文章を書き、発信することを始めました。会社を辞めるか、残るかの「二者択一」の選択ではなく、平社員として働く一方で、モノ書きとして精進する「第三の道」を目指しました。今では、本を執筆したり、講師の依頼がきたりするようになりました。

 最近、学生時代の友人から「定年後はパートタイムでと上司から告げられ、60歳以降の勤務は断った」という話を聞きました。企業の成長余力が限られている以上、サラリーマンを続けるのも難しい時代です。でも退職しても人生は続きます。

 「こころの定年」を迎えた時に自らの目標を探し出し、時間をかけて取り組めばチャンスが生まれるはずです。サラリーマン人生で最後まで成功する人はごくわずか。自分なりの後半生の物語を紡ぎだし、準備を始める時代が始まっています。

 70歳まで働くことの環境を整備するのは、国でも、会社でもありません。それは、自分自身なのだと思っています。(聞き手・古屋聡一)
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 ■ 人 類 初 の 「 長 い 老 後 」 活 用 を
                        鬼頭宏さん(きとうひろし/上智大学教授:1947年生まれ。上智大学経済学部助教授を経て現職。専門は歴史人口学、経済史。著書に「人口から読む日本の歴史」「2100年、人口3分の1の日本」等)

 日本社会の高齢化は、ただ高齢者が増えたということではありません。高度成長期以降、日本人の寿命は大きく延び、長い「老後」を持つようになった。極端にいえば、昔の日本人とは違う生き物になったんです。

 日本では伝統的に、働くのは60歳、還暦が一つの区切りでした。1300年前の大宝律令では、成年男子である「正丁」は21歳から60歳とされ、61歳以上は税が軽減された。江戸時代でも、農村ではだいたい60歳を過ぎると隠居していました。

 1950年ごろまでは15歳の平均余命が江戸時代とそれほど変わらなかったので、還暦で区切ることには合理性があった。しかしその後、寿命が大きく延びた。平均寿命が初めて50歳を超えたのは男女ともに1947年ですが、今では女性は86・61歳、男性は80・21歳です。

 平均寿命が延びたのは、主に子どもの死亡率の低下によりますが、「老後」が延びたことも大きい。60歳の平均余命は、江戸時代から1950年までは約15年でそれほど長くなっていない。今は女性で28・47年と約2倍になりました。平均30年もの老後を持つのは、これまで人類が経験したことがない。長い老後をどう使うかが、大きな課題になります。

 昔も、老後に働かなかったわけではありません。民俗学者の宮本常一によれば「隠居したからといって楽をするのではない。仕事の分担がかわるのである。だから老人のいない家は実に困る」。還暦を過ぎても、家事や育児を手伝うことで、一家が成り立っていた。

 いまは産業や家族構造が変化し、高齢者の出番をなくしてしまったところがある。その中で、高齢者が働くことの利点をどうやって見つけていくか。

 フランスのシルバーバレーという会社では「老老介護」をやっています。弱った高齢者の介護を元気な高齢者にさせる。高齢者どうしで気持ちがわかるので、評判はいいそうです。これまで考えていなかった働き方も、やってみれば案外うまくいくかもしれない。

 日本社会は、何歳のときには何をするという年齢意識が非常に強くて、18歳で一斉に大学に入り、22歳で就職する。でも、子どもでも成長段階には一人一人違いがある。まして高齢者の場合は、同じ70歳でも知識や能力、技術、体力の個人差が非常に大きい。一律に70歳まで働けということ自体に無理がある。

 70歳まで働ける社会をつくる必要はあります。でも、みんなが70歳まで働く必要はないし、70歳になったら働くのをやめる必要もない。もっと多様性をもった社会にしていくべきです。

 「長い老後」は、人類が初めて手にした貴重な資源です。それを活用できる時代が来たと、前向きに考えてはどうでしょう。 (聞き手・尾沢智史)
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 ■ 最 高 裁 の 「 敬 老 会 」 化 を 見 よ
                        西川伸一さん(にしかわしんいち/明治大政治経済学部教授:1961年生まれ。専門は政治学。著書に「裁判官幹部人事の研究」「日本司法の逆説 最高裁事務総局の『裁判しない裁判官』たち」等)

 戦前の最終審である大審院の判事の定年は63歳(大審院長は65歳)でしたが、戦後発足した最高裁裁判官の定年は「経験ある有能な人を選ぶ」ため70歳に引き上げました。70歳まで働ける組織になったことが最高裁の性格を決定づけたと思います。

 その結果、最高裁裁判官は裁判所、弁護士会、検察庁、行政官庁などの各組織で上りつめた人たちへの「ご褒美ポスト」となってしまいました。彼らは60代半ばで最高裁入りして5年前後で定年を迎えます。

 ある最高裁裁判官経験者が語っているように、自信を持って憲法判断ができるほどの憲法観を確立するにはこの程度の在任期間では足りないでしょう。

 最高裁には調査官とよばれる40人近い補助スタッフがいます。彼らは中堅のエリート裁判官で、訴訟資料にくまなく目を通して判決文の下書きをします。60代後半の最高裁裁判官とすれば、処理すべき事件数が多すぎる中で、自分の心証が調査官の意見と合わない場合、それを論破するのはまさに「老骨にむちを打つ」難行でしょう。

 これに対し、戦前の大審院は40~50代の判事も多く、かなり画期的な判断もしました。

 例えば、1942年の「翼賛選挙」の際、鹿児島2区で露骨な選挙妨害があったとして「選挙無効」判決を下した大審院の吉田久判事は、現地で出張尋問を行った当時58歳でした。同行した3人の陪席判事はいずれも50代前半でしたし、もう一人の代理判事は40代でした。様々な嫌がらせに屈せず、180人以上の証人を尋問できたのは、若さがあったからでしょう。

 位置づけが異なるので、単純比較はできませんが、現在の最高裁裁判官が全員64歳以上というのはちょっと危機的ですね。彼ら15人で、裁判所のヒト・モノ・カネに関する司法行政をかじ取りする裁判官会議が構成されますが、この会議は最高裁事務総局が作成した原案を追認する手続きにすぎません。実権は事務総局が握っています。

 多くの私大では教員の定年は70歳で、私が勤める大学もそうです。ただ、私の所属する学部では、学部運営の中心である執行部は主に50代の教員で占められており、60代後半の教員には特定の校務を免除しています。

 そうした実感からすると、今の最高裁は、調査官と事務総局が世話する「敬老会」という存在に近い感じですね。これでは後世に名を残す「気骨の判決」は、生まれにくいでしょう。

 裁判所法は、「識見の高い、法律の素養のある年齢四十年以上の者の中から」任命すると定めています。40歳以上としたのは、「新進の気鋭」を起用するためです。任命権者である内閣は、年齢構成の多様性も考慮した任命をしてほしいですね。 (聞き手・山口栄二)