ウクライナ危機を契機に急遽協調路線が見え始めた中国の習国家主席とロシアのプーチン大統領との上海会談共同声明での対米牽制への足並みが、わが国「集団的自衛権」への対応に否応ない緊迫度を高めるマスコミ報道が増える2014年となりそうです。
  そのために国民として過去の歴史的過ちを犯すことのない政権指導者の舵取りに注目してマスコミ誘導の必要性を自覚したいと存じます。そこで日本経済新聞Net版【http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1502Q_V10C14A5905M00/】の論旨考察をまず参考までに転載します。
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【2014/5/16 2:03 /日本経済新聞 電子版】
 「 何 を 、 ど こ ま で 」 集 団 的 自 衛 権 、
      問  わ  れ  る  指  導  者  の  胆  力

  いま、世界が日本の行方にじっと目をこらしている。「日本、同盟国の救援を禁じた措置を撤廃へ」。米軍事専門紙はこんな見出しをかかげた。アジア各国の当局者も「東京から目が離せない」とささやく。
  自分が攻撃されないかぎり、武力を行使しない。米国や友好国が攻撃され、助けを求めてきても、応戦はしない。日本は戦後、こんな原則に徹してきた。
  その代わり、1991年の湾岸戦争では、多国籍軍の戦費に1兆円以上を払い、先のイラク戦争では自衛隊が現地の復興に汗をかいた。平和国家として、これらの貢献には意味があった。
  日本がこの路線にとどまれば、海外で戦争に巻き込まれる心配は少ない。ただ、各国から「自分だけ安全ならよいのか」と批判されて孤立し、結局、安定を損なう危険もある。
  もう片方の道は、他国が攻撃され、日本の安全に重大な影響が及ぶのであれば、武力行使を含めた支援も排除しない、というものだ。この路線にかじを切るとすれば、戦後の安全保障政策の大きな転換になる。
  当然ながら、海外での戦闘に身をさらす危険は高まる。その一方で、他国と「互助の関係」を築きやすくもなる。
  日本が前者の路線でも平和を保てたのは、米国がずぬけた軍事力と経済力を持ち、世界の警察を任じたからだ。だが、こうした恵まれた時代は終わろうとしている。
  米国が長年、敵対してきたソ連は23年前に消えた。代わりに、米国は経済力で中国に追われ、2030年ごろには米中の国防費も逆転するとの予測がある。北朝鮮の核開発も各国を脅かす。米国にはもはや、独りだけで世界の治安を守る理由も、余裕もない。
  すでに南シナ海や東シナ海では米主導の平和が揺らいでいる。
「日本は米国におんぶにだっこではなく、もっとアジアで安全保障の役割を果たしてほしい」。3月下旬、日本の国際交流基金が中国で開いた米国やアジア各国による討論会では、こんな声がアジア側から出た。
  サイバーやテロ攻撃の脅威も、国境をこえて広がる。01年の米同時テロでは米本土に加えて、日本や韓国、シンガポールの米軍施設も標的になりかけたという。どの国も、一国平和主義では自衛できない。
  では、どうするか。米国と一緒に他国に防衛協力を広げ、アジア太平洋に安全保障網をつくる。そこに中国も加える努力を続け、地域の安定を探る。日米など複数の関係国が検討するのは、こんな構想だ。集団的自衛権はその道具である。
  だからといって、それを本当に使うかどうかは別次元の話だ。行使には厳しい歯止めが必要だ。「具体的に何をめざし、どこまで集団的自衛権を行使するのか。まだ、よく分からない」。アジア各国だけでなく、米政府もひそかに日本側にこう問いかける。
  行使を認めるのは、とことん外交努力を尽くし、それでも日本の安全を保つのにやむを得ない場合にかぎるべきだ。
  それでも、危険な任務に自衛隊を出すかどうか、最後は指導者の判断に委ねられる。それに見合う資質が指導者になければ、かえって国に危機を招く恐れがある。
  いま問われているのは、安全保障政策のあり方だけではない。これまで以上に、政治家の洞察力と胆力が試される時代になる。(編集委員:秋田浩之)