続:「心の唄’13~共に生きる」走馬灯 紹介
2013年11月9日 お仕事 一昨日ご紹介の「心の唄’13~共に生きる」ご案内資料は、2011年6月開催:『⑮生涯現役情報交流フォーラム』第一部の基調講演:木谷正道講師からでした。そして、木谷氏から同ご案内とともに、ご送信メールに添付されていた「 走 馬 灯 Ⅶ 」もご参考までに下記転載してご紹介させていただきます。
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木 谷 正 道 : 「 走 馬 灯 Ⅶ 」
● 2002 年10 月:僕の地元に「みんなでつくる平塚」というNPOができた。東川悦子さん(全国脳外傷友の会代表)がメンバーの一人だった。ご子息が交通事故で高次脳機能障害を負い、組織づくりや支援制度づくりに東奔西走しておられた。このとき、僕は初めてこの障害を知ったが、東川さんを横目で見ながら何もせず、長い年月が過ぎた。
● 2012 年3月:都庁時代の友人・後関治久さんから連絡があった。奥さま(春美さん)の弟さんが高次脳機能障害を負われたという。8月、春美さんが代表をされる「江戸川つつじの会」の設立イベントで、心の唄バンドが演奏させていただいた。
● 2012 年10 月:東川さんから「高次脳機能障害者と家族の会品川支部」をご紹介いただいた。代表の渡邊泉江さんのご子息・秀紀さん(37 歳)はIT企業に勤務されていた2005 年にスノーボードで転倒し、大けがをされた。一命を取りとめたが、左半身の麻痺と高次脳機能障がいが残った。短期の記憶ができない、左側が視野に入らないなどの障がいがある。ひだまりの会は合唱を始めておられ、翌年の心の唄コンサートをご一緒することになった。
● 2013 年2月:旗の台の心身障害者福祉センターで初めて合同練習をした。ひだまりの会は「世界に一つだけの花」と「どんなときも」を歌うことになった。難しい唄だが皆さんの思いがこもっている。7月の練習の時、秀紀さんが言った-「木谷さん、僕のミッションは、この障害を負った自分がここまで回復できるのだということを世に証明することです」。
● 2013 年7月・大田:重度後遺障害者の家族会「わかば」の15 周年にお招きを受けた。代表の和田つぎゑさんから「アンパンマン」と「勇気100%」をリクエストされ、歌ったことがないのでお断りしたが、「当人が喜ぶのです」と言われて歌うことになった。当日、フロアから、これまでに体験したことのない強い反応が返ってきた。車いすに横たわり話ができない青年のお母様からは、「木谷さんが歌詞を間違えたと息子が言っている」と「通訳」された。確認したら確かに間違えていたので大変驚いた。「植物状態」などでは絶対にない。
● 2013 年9月8日・墨田区横網町公園:友人の岡本博さんの発案で、3年前から囲碁100 面打ちを行ってきた。今年は関東大震災90 周年・首都防災ウィークを開催し、最終日に「防災囲碁634 面打ち」を企画した。僕の判断ミスで、634 面打ちは開会後の降雨で中止となりご迷惑をおかけしたが、生命を守る人の輪は大きく拡がった。「旧陸軍被服廠跡」は関東大震災で3 万8 千人が焼死された場所として有名だが、それが横網町公園であることは知られていなかった。岡本さんは「囲碁がこの封印を解く」のだと言う。
● 2013 年9月24 日・広島県福山市:「21世紀の朝鮮通信使・日韓囲碁トップ棋士対局」の準備をしていたとき、岡本さんのお父様から電話が入った-「博が脳内出血で手術しました」。僕よりも一回り若く元気な岡本さんが倒れるなど想像もできなかったことで、まさに青天のへきれきだった。
仲間の皆が無事の回復を祈っている。岡本さん、がんばれ。
● 2013 年10 月26 日:川越囲碁祭に行く電車の中で僕はこの原稿を書いている。10 年前と今とでは、僕にとって高次脳機能障害の意味がまるで違ってしまった。考えてみれば、地震も事故も脳疾患も、ある日突然に災難に遭う点で同じだ。なぜ自分が、息子がと呆然とし、悲しみに暮れ、そして全てが立ち行かなくなる。身近で支えあう力が必要なのだ。僕たちまでが縦割りになってはいけないと思う。互いの関心の幅を少し拡げて理解しあい、つながりあえれば、「現有勢力」でも大きな力になり、生きやすい世の中になるような気がする。
● 2013 年11 月30 日・きゅりあん:高次脳機能障害だけでなく、重度後遺障害、知的障害、視覚障害、聴覚障害など様々な障害を持つ方々がお出でになる。喜びを大声で表現するため、通常のコンサートには参加できない友人も来てくれる。ご理解いただければ嬉しい。
障がいがあってもなくても、老若男女誰もが共に生きて行かれる世に向かって、一歩が進みますように。
一期一会、今日は本当に有難うございました。 以 上
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木 谷 正 道 : 「 走 馬 灯 Ⅶ 」
● 2002 年10 月:僕の地元に「みんなでつくる平塚」というNPOができた。東川悦子さん(全国脳外傷友の会代表)がメンバーの一人だった。ご子息が交通事故で高次脳機能障害を負い、組織づくりや支援制度づくりに東奔西走しておられた。このとき、僕は初めてこの障害を知ったが、東川さんを横目で見ながら何もせず、長い年月が過ぎた。
● 2012 年3月:都庁時代の友人・後関治久さんから連絡があった。奥さま(春美さん)の弟さんが高次脳機能障害を負われたという。8月、春美さんが代表をされる「江戸川つつじの会」の設立イベントで、心の唄バンドが演奏させていただいた。
● 2012 年10 月:東川さんから「高次脳機能障害者と家族の会品川支部」をご紹介いただいた。代表の渡邊泉江さんのご子息・秀紀さん(37 歳)はIT企業に勤務されていた2005 年にスノーボードで転倒し、大けがをされた。一命を取りとめたが、左半身の麻痺と高次脳機能障がいが残った。短期の記憶ができない、左側が視野に入らないなどの障がいがある。ひだまりの会は合唱を始めておられ、翌年の心の唄コンサートをご一緒することになった。
● 2013 年2月:旗の台の心身障害者福祉センターで初めて合同練習をした。ひだまりの会は「世界に一つだけの花」と「どんなときも」を歌うことになった。難しい唄だが皆さんの思いがこもっている。7月の練習の時、秀紀さんが言った-「木谷さん、僕のミッションは、この障害を負った自分がここまで回復できるのだということを世に証明することです」。
● 2013 年7月・大田:重度後遺障害者の家族会「わかば」の15 周年にお招きを受けた。代表の和田つぎゑさんから「アンパンマン」と「勇気100%」をリクエストされ、歌ったことがないのでお断りしたが、「当人が喜ぶのです」と言われて歌うことになった。当日、フロアから、これまでに体験したことのない強い反応が返ってきた。車いすに横たわり話ができない青年のお母様からは、「木谷さんが歌詞を間違えたと息子が言っている」と「通訳」された。確認したら確かに間違えていたので大変驚いた。「植物状態」などでは絶対にない。
● 2013 年9月8日・墨田区横網町公園:友人の岡本博さんの発案で、3年前から囲碁100 面打ちを行ってきた。今年は関東大震災90 周年・首都防災ウィークを開催し、最終日に「防災囲碁634 面打ち」を企画した。僕の判断ミスで、634 面打ちは開会後の降雨で中止となりご迷惑をおかけしたが、生命を守る人の輪は大きく拡がった。「旧陸軍被服廠跡」は関東大震災で3 万8 千人が焼死された場所として有名だが、それが横網町公園であることは知られていなかった。岡本さんは「囲碁がこの封印を解く」のだと言う。
● 2013 年9月24 日・広島県福山市:「21世紀の朝鮮通信使・日韓囲碁トップ棋士対局」の準備をしていたとき、岡本さんのお父様から電話が入った-「博が脳内出血で手術しました」。僕よりも一回り若く元気な岡本さんが倒れるなど想像もできなかったことで、まさに青天のへきれきだった。
仲間の皆が無事の回復を祈っている。岡本さん、がんばれ。
● 2013 年10 月26 日:川越囲碁祭に行く電車の中で僕はこの原稿を書いている。10 年前と今とでは、僕にとって高次脳機能障害の意味がまるで違ってしまった。考えてみれば、地震も事故も脳疾患も、ある日突然に災難に遭う点で同じだ。なぜ自分が、息子がと呆然とし、悲しみに暮れ、そして全てが立ち行かなくなる。身近で支えあう力が必要なのだ。僕たちまでが縦割りになってはいけないと思う。互いの関心の幅を少し拡げて理解しあい、つながりあえれば、「現有勢力」でも大きな力になり、生きやすい世の中になるような気がする。
● 2013 年11 月30 日・きゅりあん:高次脳機能障害だけでなく、重度後遺障害、知的障害、視覚障害、聴覚障害など様々な障害を持つ方々がお出でになる。喜びを大声で表現するため、通常のコンサートには参加できない友人も来てくれる。ご理解いただければ嬉しい。
障がいがあってもなくても、老若男女誰もが共に生きて行かれる世に向かって、一歩が進みますように。
一期一会、今日は本当に有難うございました。 以 上