高橋流:定年後生涯現役の生き方紹介③
2012年6月20日 お仕事 歌の会を始めると、すかさず憧れの日本童謡協会に入会した。平成5年の1月だった。協会では3年ほどは作詞も出さず、その後出だしてはみても作曲者はつかず、このままでは念願の童謡祭にいつ歌われるか知れないと、焦りをおぼえ、ならば作曲をして出そうというわけで作品を出品し、2年続けて作曲作品が歌われた。
ところが13年に作詞で出品した「大きな木はいいな」に、ようやく作曲がついて歌われた。それが優秀な作曲家であったため、翌年には「21世紀の愛唱歌」になって曲集に載り発売された。これが引き金になって、22年の「全国童謡歌唱コンクール・グランプリ大会」で、東海北陸代表の方に歌われ金賞を授与されたのだ。その前年には関東大会で歌われ、銀賞になって喜んでいたのだが、全国大会で金賞とは、自分の詞としては、あまりのありえないことが起きて驚いた。
2000年になってからは、童謡祭用に出品したものに作曲されることが多くなって、しかも優秀な方が作曲してくださり恵まれた。
やはり一昨年は作詞の「ざくろ」に、ジュリアード音楽院に留学された方が作曲。一方、この詞が東京都児童作曲コンクールの課題詩となった。更に「ざくろ」を二部合唱曲に編曲。そのうえ「青い空はいつもある」は、混声四部合唱曲に作曲くだされ、大学の合唱団により歌われるという快挙を与えてくれた。
今年9月は例年通り童謡祭は行われ、これでちょうど10曲目になる。
歌の会は20周年で、私は喜寿を迎えたのだが、この年は国際交流が実現し、夢のような話が本当のこととして、8月下旬に実施されるのだ。
ドイツ・カールスルーエの独日協会合唱団が、私どもの日本橋社会教育会館にやってきて「日独文化交流交歓会」を行うことになった。ことの発端は「大きな木はいいな」が、金賞になったことで、ここに国際的に活躍されている方がみえて、そのすぐあとパリとカールスルーエに飛んで伝えてくれたことから始まったのである。協賛はなんと中央区、日独協会、ドイツ大使館である。日本生涯現役推進協議会、日本童謡協会、山岡鉄舟研究会の後援をいただいている。
一方、パリではコンセルヴァトワールで現代音楽を学んだ女流作曲家が「きつねのよめいり」に作曲くだされ、歌唱コンクールで金賞になられた方に歌われている。
私の作詞作曲は、各団体やグループなどから依頼されるテーマソングが結構多いほか、NHKでも放送されて話題になった。終戦50年の引揚船の歌は、佐世保市の市民音楽祭になり、この反響が長崎のハウステンボスにて、JR九州、JTBの主催する大会で5万人を集めての大集会になって大いに歌われ、この歌の保存会がテープを発売するなど、これなども奇跡としか思えない。生涯現役で大切な最終目標である自己実現を果たしたのではないかと思われるまでになった。
国鉄という組織を離れて、社会の中で人様の手のぬくもりの中、自己実現を目指してやってきた甲斐あって、いま自己実現を手中に収めようとしているのである。
定年後の25年に及ぶ長い道のりを顧みて、よぎる思いはひたすら、私を支えてくださった方々への感謝の念である。
ここで言えることは、今や100歳も無理なく生きられる時代になった。定年後の第二の人生は長くなったのだ。そこで第二の人生の生き方がますます重要になってきた。第二の人生をいかに生きるべきか十分考える必要がある。私が提唱したいのは生涯現役的生き方である。自己を発見し、自己実現を目指し、生き甲斐を持って生きていくことだ。自己実現が達成されたときの喜びは大きく、精神の高揚が健康を生むのである。
健康なくしては何事も叶えることはできない。言い古されていることだが、かつて私は「生涯現役音頭」でこのことに触れた。「健康第一 心が二番 経済家庭に交流と もう一つ大事な好奇心 ソレ シャシャンと シャシャンと シャシャンとな」
シャシャンは、健康で元気ということで、これはめでたい、シャシャンと手締めをしようという意味である。
私の場合は、奇跡を生みだす生涯現役である。生涯現役をやっていると奇跡が生まれてくるような気がするのである。 (おわり)
ところが13年に作詞で出品した「大きな木はいいな」に、ようやく作曲がついて歌われた。それが優秀な作曲家であったため、翌年には「21世紀の愛唱歌」になって曲集に載り発売された。これが引き金になって、22年の「全国童謡歌唱コンクール・グランプリ大会」で、東海北陸代表の方に歌われ金賞を授与されたのだ。その前年には関東大会で歌われ、銀賞になって喜んでいたのだが、全国大会で金賞とは、自分の詞としては、あまりのありえないことが起きて驚いた。
2000年になってからは、童謡祭用に出品したものに作曲されることが多くなって、しかも優秀な方が作曲してくださり恵まれた。
やはり一昨年は作詞の「ざくろ」に、ジュリアード音楽院に留学された方が作曲。一方、この詞が東京都児童作曲コンクールの課題詩となった。更に「ざくろ」を二部合唱曲に編曲。そのうえ「青い空はいつもある」は、混声四部合唱曲に作曲くだされ、大学の合唱団により歌われるという快挙を与えてくれた。
今年9月は例年通り童謡祭は行われ、これでちょうど10曲目になる。
歌の会は20周年で、私は喜寿を迎えたのだが、この年は国際交流が実現し、夢のような話が本当のこととして、8月下旬に実施されるのだ。
ドイツ・カールスルーエの独日協会合唱団が、私どもの日本橋社会教育会館にやってきて「日独文化交流交歓会」を行うことになった。ことの発端は「大きな木はいいな」が、金賞になったことで、ここに国際的に活躍されている方がみえて、そのすぐあとパリとカールスルーエに飛んで伝えてくれたことから始まったのである。協賛はなんと中央区、日独協会、ドイツ大使館である。日本生涯現役推進協議会、日本童謡協会、山岡鉄舟研究会の後援をいただいている。
一方、パリではコンセルヴァトワールで現代音楽を学んだ女流作曲家が「きつねのよめいり」に作曲くだされ、歌唱コンクールで金賞になられた方に歌われている。
私の作詞作曲は、各団体やグループなどから依頼されるテーマソングが結構多いほか、NHKでも放送されて話題になった。終戦50年の引揚船の歌は、佐世保市の市民音楽祭になり、この反響が長崎のハウステンボスにて、JR九州、JTBの主催する大会で5万人を集めての大集会になって大いに歌われ、この歌の保存会がテープを発売するなど、これなども奇跡としか思えない。生涯現役で大切な最終目標である自己実現を果たしたのではないかと思われるまでになった。
国鉄という組織を離れて、社会の中で人様の手のぬくもりの中、自己実現を目指してやってきた甲斐あって、いま自己実現を手中に収めようとしているのである。
定年後の25年に及ぶ長い道のりを顧みて、よぎる思いはひたすら、私を支えてくださった方々への感謝の念である。
ここで言えることは、今や100歳も無理なく生きられる時代になった。定年後の第二の人生は長くなったのだ。そこで第二の人生の生き方がますます重要になってきた。第二の人生をいかに生きるべきか十分考える必要がある。私が提唱したいのは生涯現役的生き方である。自己を発見し、自己実現を目指し、生き甲斐を持って生きていくことだ。自己実現が達成されたときの喜びは大きく、精神の高揚が健康を生むのである。
健康なくしては何事も叶えることはできない。言い古されていることだが、かつて私は「生涯現役音頭」でこのことに触れた。「健康第一 心が二番 経済家庭に交流と もう一つ大事な好奇心 ソレ シャシャンと シャシャンと シャシャンとな」
シャシャンは、健康で元気ということで、これはめでたい、シャシャンと手締めをしようという意味である。
私の場合は、奇跡を生みだす生涯現役である。生涯現役をやっていると奇跡が生まれてくるような気がするのである。 (おわり)