生涯現役社会づくりの潜在力対象を探るⅠ
2012年6月13日 お仕事 意欲と能力がある限り働き続けることができる環境整備を目的に、2004(平成16)年6月の高年齢者雇用安定法改正で従来の60歳定年から5歳延長の65歳まで、事業主は労働者の雇用確保を義務付けされた。その結果、2007年に60歳定年が予定されていた1947(昭和22)年生れ団塊世代以降の大量退職期到来が今年/2012年まで先延ばしされてきた経緯がある。
この1947~49(昭和22~24)年生れ団塊世代700万人層の大量退職期が、閉塞感に満ちたわが国超高齢社会に及ぼす様々な影響は、かねてより生産年齢の人口減少や消費市場へのインパクトなどで注目されてきた。だが、職場社会から家庭社会に軸足が移動するシニアパワーを社会的に有効活用するための、各地域の行政施策は必ずしも明確な成果を示していない。
それは団塊世代層への明確な動機づけ分析の探究不足からだと思う。そのため頭に過ぎるのは、7年前の11月28日付日経紙「インタビュー/領空侵犯」欄である。藤井良広編集員が聞き手になり、1947年生れ寺島実郎氏から“団塊、いまだ何も創造せず” “燃え尽きるな、「公」担え”のコメントを引き出している。「欧米のベビーブーマー世代は時代を支えた迫力がある」という寺島氏の一言にはドキッとしたという。
藤井インタビュアー自身も「私も団塊の端くれ。確かに時代に恵まれてきた気はする。数の多さは一種の安心感を生み出した。だが、冷ややかに見れば単なる異常発生世代。数は質を伴わないと次第に力を失う。数を離れ、コミュニティ・デビューにしろ、第二の人生にしろ、一人ひとりの単位で踏み出せるかだ。先はまだまだ長い。」と聞き手として当日の紙上で述べていた。
さらにまた、「日本が一番右肩上がりの1970年大阪万博前後の幸運な就職戦線。その後二度の石油危機も逞しく切り抜け、1980年代後半バブル期も団塊は中間管理職として謳歌。経済大国余熱の退職金・年金にも恵まれ、全体に対する個の価値が認められる時代の始めての日本人世代で、自ら獲得した個人主義ではない私生活(ミーイズム)主義は他者に干渉したくないし、されたくない世代だ。」
そして、「団塊は“官から民へ”の議論にも公の概念を忘れ、公を語ることにある種の危険視を抱く。公を担えとは地域社会での教育・環境・文化など諸活動には市場メカニズムで解決できないものが多い。恵まれてきた団塊世代が気付くかどうかで日本社会のあり方が変わる。定年後の蕎麦打ちや山歩きの内向きも悪くはないが、世に役立つこと、時代と社会はそれを求めているのに、全共闘世代が余生で燃え尽きず、成果もなく敗北で終わることなく、どう人生を締めくくるかを問われている」と。 (つづく)
この1947~49(昭和22~24)年生れ団塊世代700万人層の大量退職期が、閉塞感に満ちたわが国超高齢社会に及ぼす様々な影響は、かねてより生産年齢の人口減少や消費市場へのインパクトなどで注目されてきた。だが、職場社会から家庭社会に軸足が移動するシニアパワーを社会的に有効活用するための、各地域の行政施策は必ずしも明確な成果を示していない。
それは団塊世代層への明確な動機づけ分析の探究不足からだと思う。そのため頭に過ぎるのは、7年前の11月28日付日経紙「インタビュー/領空侵犯」欄である。藤井良広編集員が聞き手になり、1947年生れ寺島実郎氏から“団塊、いまだ何も創造せず” “燃え尽きるな、「公」担え”のコメントを引き出している。「欧米のベビーブーマー世代は時代を支えた迫力がある」という寺島氏の一言にはドキッとしたという。
藤井インタビュアー自身も「私も団塊の端くれ。確かに時代に恵まれてきた気はする。数の多さは一種の安心感を生み出した。だが、冷ややかに見れば単なる異常発生世代。数は質を伴わないと次第に力を失う。数を離れ、コミュニティ・デビューにしろ、第二の人生にしろ、一人ひとりの単位で踏み出せるかだ。先はまだまだ長い。」と聞き手として当日の紙上で述べていた。
さらにまた、「日本が一番右肩上がりの1970年大阪万博前後の幸運な就職戦線。その後二度の石油危機も逞しく切り抜け、1980年代後半バブル期も団塊は中間管理職として謳歌。経済大国余熱の退職金・年金にも恵まれ、全体に対する個の価値が認められる時代の始めての日本人世代で、自ら獲得した個人主義ではない私生活(ミーイズム)主義は他者に干渉したくないし、されたくない世代だ。」
そして、「団塊は“官から民へ”の議論にも公の概念を忘れ、公を語ることにある種の危険視を抱く。公を担えとは地域社会での教育・環境・文化など諸活動には市場メカニズムで解決できないものが多い。恵まれてきた団塊世代が気付くかどうかで日本社会のあり方が変わる。定年後の蕎麦打ちや山歩きの内向きも悪くはないが、世に役立つこと、時代と社会はそれを求めているのに、全共闘世代が余生で燃え尽きず、成果もなく敗北で終わることなく、どう人生を締めくくるかを問われている」と。 (つづく)