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YAHOO JAPAN ニュース 12/12(水) 15:30 配信 CDジャーナル
ご参考URL=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181212-00000010-cdj-musi

   映画「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」本編映像を一部公開

 2018年12月28日(金)に全国で公開される、“ 生きる伝説 ” ヴィヴィアン・ウエストウッドのパワーの秘密に迫るドキュメンタリー映画「ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス」の本編映像の一部がYouTubeにて公開されています。

 2006年に英国人デザイナーとして初めてエリザベス女王より「Dame」の称号を授与され、英国カルチャーのトップの座に君臨しながら、77歳にして生涯現役を誓うヴィヴィアン・ウエストウッド。映画では、彼女が音楽史を変えたパンク・ムーヴメントを生み出すまでの秘話を、若きヴィヴィアンの秘蔵映像と共に語ります。

 1970年代、当時のパートナー(二度目の夫)、マルコム・マクラーレンとともに英ロンドンのキングスロードからパンク・ムーヴメントを起こし、挑発的なメッセージのTシャツに安全ピン、チェーンや鋲を多用した装飾、攻撃的なヘアメイクなど、ヴィヴィアンが創るパンク・スタイルは時代の象徴に。マルコムがプロデュースしたバンド“セックス・ピストルズ”も、過激さゆえに放送禁止になり、放送禁止ゆえにヒットチャートの上位に輝き、その結果、彼女は「パンクの女王」と異名を取りました。

 ヴィヴィアンは「私達はパンクの生みの親。マネージャー稼業のマルコムはニューヨークから帰国すると新しいロック・バンドを作った。メンバーはバイトに来てたグレンと店の常連客よ。ジョニー・ロットンは社会現象になったわ。でも彼は過去の栄光にまだ酔っているのよ。もういい年なのに。とにかく、私のお気に入りの店は“ワールズ・エンド”パンク時代にデザインした服を今も売ってるの。服のデザインには物語と個性が必要なの。人々はその物語に触れると、あの時代にノスタルジアを感じるからよ。私の作る服には多くの意味が込められ、いつも自己表現と深く結びついているの。どう歩き、どう話し、どう人を引き付けるか、だから私の服はどの時代にも合うのよ」と当時を振り返り語っています。
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ビジネスを通じて社会課題を解決するAlterna誌
    マ ク ロ ン は 2 1 世 紀 の マ リ ー・ア ン ト ワ ネ ッ ト に な る か


 いつもお世話になっております。 Alterna誌の編集長:森 摂です。
 11月中旬以来、パリの凱旋門周辺では毎週のように「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)」運動のデモが繰り広げられています。その様子は日本のテレビでも繰り返し流されました。
 黄色いベスト運動は、フランス政府が来年1月にガソリンや軽油に対する燃料税を増税すると発表したことに対して、怒りの声を上げた市民を中心に拡大しました。マクロン政権が富裕税を廃止したことも、「金持ち優遇」だとして火に油を注ぎました。
 仏経済学者のトマ・ピケティはル・モンド紙に連載している英文ブログで「マクロンが任期を全うしたいなら富裕税を復活させ、貧困層に再分配すべき」と書きました(12月11日付け「黄色いベスト運動と税の正義」)。
 12月8日には、その「黄色いベスト」とは別に、「気候変動対策の推進」を訴えるグループが新たなデモを始めました。
 ポーランドで開催中の「気候変動枠組条約締約国会議」(COP24)に合わせたもので、パリでは2万5千人が参加しました。一部の黄色いベストも混じり、「気候変動も社会的な闘いも根は同じ」と訴え、少数の富裕層が温暖効果ガスの半分を出していると批判しました。
 相反勢力と見られていた「黄色いベスト」と環境保護派が手を結んだことで、マクロン政権への批判はより強まりました。(「仏で気候変動デモ、黄色いベストも混じり富裕層批判」パリ・羽生のり子)
 そんな中、マクロン大統領が『(ガソリンを買うお金がなければ)電気自動車を買えばいい』という発言も話題になりました。フランス革命で処刑されたマリー・アントワネット王妃の「パンがなければお菓子を食べればいい」を思い起こさせたのです。
 いま、フランスも英国もドイツも米国でも、「分断と対立」が先鋭化しています。自国第一主義とゼノフォビア(外国人嫌い)がはびこり、気候変動や難民などグローバルな社会課題よりも自国経済や自分の生活が大事だという、危うい状況が広がりつつあります。英国ではEU離脱が大詰めを迎えています。
 気候変動関連では、トランプ米大統領で、気候変動「パリ協定」からの離脱を表明しました。今年11月の米国中間選挙ではトランプ的な言動をする候補者も数多く見られ、仮にトランプ大統領が退陣しても、その後に多くの「ミニ・トランプ」が登場することを予感させます。
 フランスの騒動を見るにつけ、気候変動対策の難しさが改めて浮き彫りになりました。ガソリン価格を上げると、特にクルマでしか移動できない地域では、市民の生活を直撃します。灯油の価格が上がれば、寒冷地域の生活コストは大幅に上がるでしょう。
 日本でも、2012年に炭素税(地球温暖化対策税)が導入されました。政府は今後、気候変動対策の一環として、地球温暖化対策税の増税を検討しています。それが実現するころには、日本でも外国人労働者や困窮者が増え、フランスの「ジレ・ジョーヌ」運動ほどではないにしても、大きな反発が予想されます。
 一つのヒントは、英国の「気候変動負担課徴金」(CCL、2001年導入)です。これは「対象事業体が低炭素化の努力をすれば、社会保険の雇用者負担分や国内排出取引制度を使った相殺分を含め、課長額が最大8割まで減免される制度」です。
 実はこのCCLの記事は、2009年発行のオルタナ本誌第一特集「環境税は怖くない」でロンドン・冨久岡ナヲ記者が書いたものです。もう9年前の記事ですが、今でも読む価値はあると思っています。
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PR TIMESプレスリリース・ニュースリリース配信サービス2018年12月10日15:00
ご参考URL=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000034593.html

     「シニア向け再就職支援セミナー」をスマートコミュニティ稲毛にて開催

 株式会社スマートコミュニティ(本社:千葉市稲毛区 代表:染野正道)が運営する、1000戸を超える、健康寿命を延ばす会員制シニア向け分譲マンション、スマートコミュニティ稲毛では、地域貢献ができればという思いのもと、元気なシニアにそれぞれの生きがいをもって人生を楽しんでいただけるよう、様々なサービスやサポートを充実させています。その一環として12月7日(金)に、千葉県や千葉県ジョブサポートセンター等主催の「シニアのための再就職支援セミナー」を開催いたしました。
 今年で3度目となる本イベントは、働いて社会貢献したり生きがいをつくることで、シニアの皆さんがいつまでも元気に安心して暮らしていくことを目的としたイベントで、県・市・国・民間企業が協働して高齢者の就労を応援しています。
 当日は約150名の方が参加し、昨年の参加者数を上回り、シニアの方の就職に対する考えがより積極的になっていることが伺えました。イベントは3部制で進行し、1部では最新のシニアの雇用状況について千葉労働局より説明がありました。千葉県内ではハローワーク内に生涯現役支援窓口が設置されており、今年は3908人の方が支援を受け、1313名の方が就職するなど、千葉県全体でシニア向けの就職支援に力を入れています。2部では千葉県ジョブサポートセンターより職探しのポイントなどが説明され、「職探しでは選択肢を広げることが大切。自分の可能性をもっと知って、色んな企業さんと出会ってほしい」と参加者にエールを送っていました。3部では参加者が気になった企業ブースへと移動し、より詳しい話を企業の方へ伺っていました。
■千葉県(雇用労働課) 曽田さん、内田さん インタビュー
 スマートコミュニティ稲毛さんにもご協力を得て、昨年80名弱だったのが今年は約150名の方にご参加いただくなど、年々、働く意欲のあるシニアの方の需要が増えているように感じています。県では、就職の選択肢を広げる機会を増やしていくことで県民の皆様がやりたい仕事を見つけてイキイキと働けるよう、これからもサポートしていきたいと思っております。
■参加者インタビュー
男性(70代)
 退職後の事を考えて、事務職をしていた現役の頃から様々な勉強をしてきました。いまは趣味の領域でその知識を活かしているが、今後はもっといろんな事にチャレンジしていきたいと思っています。支援サポートも、さらに多くの職業が増えていき、選択肢の幅が広がればいいなと感じました。
女性(70代)
 今回初めての参加で就職に関する新しい情報を集めるために参加しました。今まで子供からシニアまで幅広い年齢層の方にPCを教える仕事をしていたので、その経験を活かした仕事をしたいと思っていましたが、今回のセミナーに参加して「今まで経験したことのない仕事にも目を向けていくことが重要」というお話を受け、新しいジャンルの仕事にも目を向けるきっかけになりました。
■当日スケジュール
10:24~ 最近のシニアの雇用状況について
10:34~ シニアの再就職支援セミナー
11:15~ 各企業・団体との交流会
■参加企業
・株式会社 高齢社
・社会福祉法人 生活クラブ
・株式会社 東急コミュニティー
・株式会社 ナリタヤ・株式会社 日警保安
■参加団体
・千葉労働局
・千葉市シルバー人材センター
・千葉市生涯現役応援センター
・特定非営利活動法人アクティブシニア支援機構
・千葉県ジョブサポートセンター
■主催
千葉県・千葉市・市原市・四街道市・千葉労働局・千葉県ジョブサポートセンター
■スマートコミュニティ稲毛について
 スマートコミュティ稲毛は、全7棟1000戸を超える会員制シニア向け分譲マンションです。1000人以上が同時に過ごせる「コミュニティ施設」も併設され、日本最大級のアクティブシニアタウンとして2010年に開業し今年で9年目を迎えました。
名称:スマートコミュニティ稲毛
〒263-0005 千葉県千葉市稲毛区長沼町93-1
HP : http://www.smartcommunity.co.jp/
TEL:フリーダイヤル 0120-30-1414
◇ご入居条件
原則満50歳以上で、健康的に自立した日常生活を送ることができる方。
※ご入居にあたっては所定の審査がございます。
◇初期費用について(お一人入居の場合)
入会金1,620,000円+施設利用権利金1,512,000円=計3,132,000円
※お部屋は11,000,000円〜 ※毎月91,544円の施設利用料(朝晩食事込)がかかります。
◇内覧会随時受付中
【実施日時】午前10時より毎日受付 ※午後5時以降は事前にご連絡ください
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PR TIMES:プレスリリース・ニュースリリース配信サービス 2018年12月10日14:00
語参考URL= https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000472.000016751.html

     70歳定年時代に向けた、シニア人材のマネジメントを考える 
                   日本CHO協会『シニア活躍プログラム』12/11開始


 人事部門の役割と機能を探求し「CHO(チーフ・ヒューマン・オフィサー)=最高人事責任者」と次世代CHO候補者の育成を目指す「日本CHO協会」(運営主体:株式会社パソナグループ)は、人事部門の役職者を対象に、1年間にわたってシニア人材の活躍に向けた人事マネジメントのあり方を考える『シニア活躍プログラム』を12月11日(火)から開始いたします。
 少子高齢化による労働力人口の減少を背景に人手不足感がますます高まる中、政府は70歳まで働くことのできる環境の整備に向けた議論を加速させています。企業においても、女性や外国籍人材はもとより、シニア人材の活躍に向けた取り組みが求められています。
  日本CHO協会が12月から1年間にわたり展開する『シニア活躍プログラム』では、神戸松蔭女子学院大学の楠木新教授のファシリテートのもと、企業の人事責任者が少人数で議論を交わす「シニア活躍分科会」や、働くシニア個人とシニア人材を活用する企業双方の視点から議論を深める「公開講座」等を実施いたします。
 日本CHO協会は当プログラムを通じて、“人生100年時代”における経営と人事のあり方を発信すると共に、豊富な経験や知識を持つシニア人材が活躍できる社会環境の整備を目指してまいります。

■ 日本CHO協会『シニア活躍プログラム』概要
開始: 2018年12月11日(火)
対象: CHO協会会員(人事部門の取締役・執行役員・部長・課長層の役職者
内容:
①シニア人材活躍に関するアンケート調査(詳細結果を後述)
②シニア活躍分科会
③公開講座
④提言の発信
【分科会ファシリテーター】神戸松蔭女子大学 人間科学部 教授 楠木新氏
 1954年神戸市生まれ。京都大学法学部卒業後、生命保険会社入社。50歳から勤務と並行して「働く意味」をテーマに執筆活動を展開。2015年定年退職。2018年より現職。一般社団法人定年後研究所 アドバイザー。著書多数。
開催予定:
<2018年>
12月11日(火) 第1回「シニア活躍分科会」(テーマ:65歳継続雇用の成果と課題)
<2019年>
2月26日(火) 第2回「シニア活躍分科会」
3月中旬 予定 第1回公開講座「シニアが活躍する社会と企業(仮)」
 ・シニアが活躍する生涯現役/70歳雇用時代の展望
 ・70歳雇用時代を見据えた人事戦略の転換
 ・データに見る活躍できるシニア人材の特徴
 ・アクティブシニアトークセッション 等
5月14日(火) 第3回「シニア活躍分科会」
9月10日(火) 第4回「シニア活躍分科会」
11月中旬 予定 第2回公開講座「生涯現役世代のシニア活躍(仮)」
 ・シニア活躍分科会を通じて見えてきたシニア活躍のポイント
 ・シニア活躍に関する企業の取り組み事例紹介
 ・シニア人材活躍に関するパネルディスカッション 等
12月 予定 提言発表
協力: 一般社団法人定年後研究所、株式会社パソナマスターズ
お問合せ: 株式会社パソナグループ 日本CHO協会事務局 Tel 03-6225-5111 E-mail cho@pasonacareer.biz
■ 日本CHO協会とは
 2004年5月に設立された日本CHO協会(運営主体:株式会社パソナグループ)では、会員企業の人事部門の部長から課長層を対象に、人事に関する様々なテーマのフォーラムやセミナー等を毎月開催し、「CHO(チーフ・ヒューマン・オフィサー)=最高人事責任者」と「次世代CHO候補者」の育成を目的に活動しています。
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わかやま新報 2018年12月09日 06時55分[社会]
ご参考URL=http://www.wakayamashimpo.co.jp/2018/12/20181209_83423.html

     社会福祉の向上へ 「竹の里園」開園20年

 社会福祉法人「浩和会」が運営する特別養護老人ホーム「竹の里園」(和歌山市明王子)が開園20周年を迎えた。代々農家だった事務長の上野浩司さん(85)が1000坪以上の広大な農地を活用して1998年に開園した。

 専業農家をしていた上野さんは40代の頃、弟の立ち上げた建設会社に勤めた。時代は高度経済成長期。上野さんも数十億円の仕事を受注するなど右肩上がりな時代の風潮を感じる一方で、これまでとは違う少子高齢化や核家族化など社会の変容が気に掛かっていた。「社会のために自分にできることはないか」。先祖代々伝わる広大な水田だったが、跡を継ぐ人もいない。「活用し、社会の役に立てよう」と考えた。財産を全てはたき、施設建設に充てた。

 「尊い人の命を預かる場所。家族や入所者の皆さんが安心して喜んでもらえる施設でなければ」の一心で取り組み、今ではショートステイやデイサービス、グループホームなど介護事業所として業務は多岐にわたっている。

 開園時は65歳だった上野さんも、施設とともに年を重ねた。「年を取れば隠居するという人が多いが、『生涯現役』を信条にやってきた。いろんな方にお世話になり、こうして元気でいられることが何にも代えがたい恩恵です」と話した。
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西日本新聞朝刊 2018/12/08付
ご参考URL=https://www.nishinippon.co.jp/nnp/weather_vane/article/471619/

      老いは「悪」じゃない 編集委員 井上 真由美

 車椅子に座って朗らかに話してくれた姿が、印象に残っている。11月末に94歳で亡くなった女優、赤木春恵さん。5年前の秋、映画「ペコロスの母に会いに行く」の公開を前に、東京のご自宅でインタビューした。

 「世界最高齢での映画初主演女優」として、ギネス世界記録に認定された作品。少しずつ認知症が進む主人公みつえさんをリアルに演じる姿を覚えている方も多いと思う。お会いした赤木さんは役柄のままの穏やかな笑顔で、認知症の実母を介護した経験など、ゆっくり語ってくれた。

 何よりも心に刻まれているのは、自らの老いを一切隠さない潔さだった。

 既に「迷惑を掛けたくない」と、やり直しの利かない舞台からの引退を88歳で表明していた。坂の多い長崎ロケ中はスタッフが4人掛かりで車椅子を抱えてくれたこと、補聴器を着けているから「大きな声で話して」と頼むこと、あっけらかんと話してくれた。それが「後ろ指をさされることではなく、自然」だと。

 インタビューの際はきれいにお化粧されていて、その時89歳という年齢を考えれば、とびきり若々しく美しかったのは言うまでもない。人前に立つ女優だから老いゆく自分に葛藤もあったと思う。それでも、あえて老いをさらす姿に凛(りん)とした信念を感じた。

 「人生100年時代」「生涯現役時代」などと、年老いても若く元気でいることが礼賛、推奨される世の中。70歳への定年延長、健康管理に努めれば医療費負担が軽減される「健康ゴールド免許」なるものも取り沙汰されている。

 福祉や医療分野を担当する私自身、介護予防などいつまでも元気に-を目指す記事を書いてきた。高齢者に取材する際、年齢を聞いた後、反射的に「お若いですね」と褒め言葉のつもりで言っていた。

 そんな流れに、違和感もある。いつまでも若く元気でいなくちゃいけないのか、と。老いて心身の自由が利かなくなるのは悪いことか、と。もちろん健康づくりの努力は大切だが、最近、五十肩がひどく記憶力も落ちて自身の老化を痛感するだけに、「美魔女」への劣等感も入り交じり、違和感は強まっている。

 赤木さん演じるみつえさんは「ボケるとも悪か事ばかりじゃなかかもしれん」と言った。赤木さんが93歳で出したエッセー「あせらず、たゆまず、ゆっくりと。」(扶桑社)にはこうある。「老いることも悪いことばかりじゃない」「老いることのなかにも間違いなく喜びがあると…」

 遅咲きの大女優の言葉に励まされている。 
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  第396回 生 涯 現 役 塾 & 2019 望 年 会
    2 0 1 8 生 涯 現 役 続 進・2 0 1 9 望 年 で 上 昇 夢 現 実 ‼
日時:2018年12月12日(水)15:00~19:00
会場:①八重洲口会館会議室
    (中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館 B2F:03-351 7-6667)
    (案 内 図 URL=http://www.sgsk.net/construction/access.html

   ②庄や八重洲口店
    (中央区八重洲1-8-3 黒龍八重洲ビル 2階:050-3467-7939)
    (案 内 図 URL=https://r.gnavi.co.jp/e195402/


 33年余に亙る皆様方の日本生涯現役推進協議会 & NPO ライフ・ベンチャー・クラブへの絶大なご支援感謝します。
 月例生涯現役シリーズ塾は、前回通算395回を重ね、歳末恒例望年会も33回目開催の集いで “ 夢・希望が実現へ 意義ある生涯現役 あなたもわたしも日本も 英気躍進2019年に挑む ” 懇親の絆固めです。
 生涯現役活動歴30余年で2019年は平成⇒新元号に‼ 『生涯現役プロデューサーⓇ』商標登録で超高齢社会の付加価値人財活用がどう社会貢献できるか。
 ご参加くださる皆様方の「第396回:生涯現役シリーズ塾」は、2020年への大躍進に挑戦していく『100万人結集プラットフォーム』構築の発進源に当然なり得る筈です。ご一統 皆々様 お揃いで2019亥年新年へ! 大いに上昇龍躍進力を発揮しようではありませんか !!
                   記
第一部:第396回『生涯現役全国展開塾2018第十二弾』
演 題:
「生涯現役実践道場の会員実働評価・向上躍進で100万人へ!!」 (15:00~17:00)
進 行:東瀧 邦次(日本生涯現役推進協議会・NPO/LVC 代表) (15:00~15:40)
発 表: 全員が主役参加のフリーディスカッション       (15:40~16:50)
まとめ: 下條 武男(日本生涯現役推進協議会 最高顧問) (16:50~16:55)
★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★
第二部:NPO 恒例 / 2019望年の懇親会 (17:30~19:00)
 生涯現役塾終了直後に小休憩して、八重洲口会館会場横「庄や」で恒例の望年・懇親会を行います。
 下記水上幹事司会により全参加者主役生涯現役実践談:2017年総括 / 2018年抱負 2分スピーチ。
幹事:増田龍一・水上久忠・野口雄一・糟谷繁子・中村雅弘(敬称略、順不同)
………………………………………………………………………………………
参加費:
   ① 生涯現役塾/1,000円+② 望年会/3,800円 = ③ 塾・望年会/4,800円
申込先: NPO 法人ライフ・ベンチャー・クラブ 運営事務局
会 場: 東京都中央区八重洲1-7-20 八重洲口会館会議室 B2F
電 話: 03(3517)6667 Fax: 03(3517)6668
E-Mail: info @ sgsk.net URL: http://www.sgsk.net
………………………………………………………………………………………
第396回 生涯現役シリーズ塾 & 2019望年会 参 加 申 込 書 
                           2 0 1 8 年   月    日
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ事務局宛【参加丸印= ① ② ③ 】

氏名________ TEL or FAX or Mail____________
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PRESIDENT Online 春日 キスヨ 2018/12/07 09:15
ご参考URL=http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/80%e6%ad%b3%e7%8b%ac%e8%ba%ab%e3%81%8c50%e5%b9%b4%e3%81%8b%e3%81%91%e3%81%9f%e5%ae%8c%e7%92%a7%e3%81%aa%e7%b5%82%e6%b4%bb%e3%81%ae%e5%bd%a2/ar-BBQBxSO?ocid=UE07DHP#page=2

     80歳独身が50年かけた完璧な"終活"の形

 人生の最期をどうむかえるか。そんな「終活」について、しっかり準備できているのは既婚者よりも独身のほうが多い。なぜ差が出るのか。社会学者の春日キスヨ氏は「既婚者は配偶者に依存してしまっている。いつかやってくる『ひとり暮らし』への準備もできていない人が多い」と指摘する――。

※本稿は、春日キスヨ『百まで生きる覚悟』(光文社新書)の第5章を再編集したものです。

   完璧すぎる「シングル高齢者」の死に支度

 倒れた時のことは、「まだ考えていない」「成りゆき任せ」「誰かがどうにかするだろう」と言う人が多い中で、「うわー! すごい。老い支度、死に支度とは、若いうちからこういう形でしていくものなのか」と、驚き、学ばせてもらった2人の女性がいる。生涯シングルで生きてきた80歳のXさん、91歳のYさんである。

 Xさんは、「私は結婚しないと決めた時から、老後に向かって生きていっているんで、早くから老い先のことを考えておかねばと考えて生きてきました」と語り、Yさんも、「私は一人ですから、倒れたら後は誰かに頼まなきゃいけないとずいぶん若い時から考えてました。真剣に取り組み始めたのは、母が亡くなった48歳からです」と語っていた。

 しかし、身近に姉、甥、姪が住み、その助力を受けられるXさんと、5人姉妹の一番下で、存命の姉も年老いて、甥・姪も遠方に住み、その助力を受けられないYさんとは、「老い支度」「死に支度」のあり方も異なっていた。そこでまず、姉(85歳)、甥(62歳)、さらに姪(65歳)が、自宅から10分ほどの距離に住み、関係も良好なXさんが行ってきた「老い支度」「死に支度」から見ていこう。

  30代から自分の最期を想定して物件を選んだ

 ひとり暮らしの場合、「老い支度」として大事なのは、いよいよ弱った時、どこで誰と住むか、倒れた時、誰にまず発見してもらうかという問題が大きいが、Xさんの場合、48年間住み続ける現在の住居を33歳の時に選んだ時点で、すでにそのことを考えて物件を選んだのだという。

 Xさん「今の借家に33歳から48年間住んでるんですが、借家にした理由は、自分で家を持つと、最後はそれを処分しないといけない。でも、家主がおれば最小限で済みます。それに、倒れた時に第一発見者がいないといけないと思って探しました。とにかく家主が身近にいれば、何かあっても相談できるじゃないですか。後始末も楽だし。鉄筋の家で、私は1階部分の半分。家主が2階です」

 さらにXさんは、住まいとは別に、介護が必要になる将来に備え、53歳の時に、ある施設の一室の終身利用権も購入していた。

 Xさん「53歳の時に確保したのは、病院が2階にあり、“歳をとって病気になればそこに入院可能”というのをうたい文句にした建物の1階部分の部屋でした。今は別荘にして、歳をとれば終の住処にしようと思って購入したんです。終身利用権だったから。でも購入から10年後、病院が撤退して、施設の性格がコロッと変わり、20年後の73歳で手離しましたが」

   数多くのケア施設見学にも自分で行った

 また、それとは別に、Xさんは、60代には福祉関係の学習グループに属し、数多くのケア施設見学も続けていた。

 その中で、次の結論に達し、一時ケア施設探しを中断したものの、80代が間近になった78歳から、今度は本気で入りたい施設を探し始め、現在はその途中だと言う。

 Xさん「ある特養を見学した時、そこの利用者さんが、『わしらがここの施設を出る時は死ぬ時だから』と言われてね。そんなのを聞いて、たしかに老人ホームというのは終身刑のような気持ちで入る所だと思って、一時探すのを中断してました。

 でも、今、切羽詰まってきたんですね。物忘れがひどくなるし。80歳のここまで生きたら、ああ! 御の字よという気持ちになってきたんで、もうケア施設に入ろうかという気になって。78歳の時、サ高住(サービス付き高齢者向け住宅)へ見学に行った時には、身に沁みました。以前は右から左に通り抜けた説明が、ちゃんと骨身に響いてきました」

   「老い」だけでなく「死に支度」も徹底するXさん

 さらに、Xさんの場合、「死に支度」、つまり「終活」の仕方も徹底しており、話を聞きながら私は、「なるほどねえ」と何度も繰り返した。

 その内容を、Xさん自身による「死に支度」の記録から見てみよう。

(1)63歳時。300万円の預金の通帳とカードを姉に託す。山登りなどをする自分が行き倒れになった時など、不慮の事故などに備える金として。
(2)75歳時。メモ類、上記通帳などを姉から甥へ引き継ぐ。高齢の姉に代わり、甥を主たる責任者に変更。
(3)75歳時。葬儀式場の予約。葬祭料24万円。甥とその妻、姉、私で下見し契約。
(4)78歳時。死後の始末、葬式、住居の始末、諸届は甥が責任をもって行うことを約束。通帳メモ類他の保管場所を甥に示す。尊厳死の宣言書は甥に見せた。さらに、いざという時のために自宅の合鍵も甥に預ける。
(5)80歳。X家の墓じまい。祖先の骨は姉の嫁ぎ先の「家」墓へ、墓じまいの代行を甥に依頼。墓じまいの延長で現在の住居の不用品、ごみ処理を甥が遂行。100万円。
(6)その他、白内障や他の病気で入院手術した際には、姉、甥、姪が保証人。手術前の説明も聞き、見舞いにも来た。その都度お金を支払う。

   「近親者がするのはあたりまえ」ではない

 Xさんの話を聞きながら、私が「すごいなあ」と思った点がいくつかあった。

 まず、「倒れた時のことなどを考えるのは暗いこと」と言う人がいるが、Xさんは明るく意欲的で、施設探しも自分で情報を探し、「自分で何もかにもせんと駄目だと思っているから」と、一人で見学に行くと言う。これはこの年代の女性では珍しいことである。

 さらに、甥に保証人など重要な事項を依頼しているが、必ず、姉、甥、甥の妻の3人同席の場で話を進めるのだという。

 Xさん「そういう話の時は、姉と甥夫婦、3人一緒の時にするんです。3人が納得してくれないと、何かする時絶対うまくいきませんからね。葬儀の件についても4人で一緒に葬儀社に行って、前金を払って契約してきました」

 さらに、何か上記のような取り決めをして、それを行ってもらった場合、必ず相応の金銭授受がなされていることである。それもきちんと「ありがとう」と感謝の意を伝え、その金額を支払う理由を口頭で説明し、お金を手渡すという。

 一見、こうしたことは易しいように見えて、「近親者がするのがあたりまえ」とする金銭感覚の場合、案外難しいことかもしれないと思ったのである。

   親族と離れて暮らしても「死に支度」が完璧

 Xさんには「死に支度」「老い支度」を手伝ってくれる甥夫婦や姪、姉といった身近な親族がいた。それにXさんはまだ、80歳。自分でこれから入りたい施設見学をする足腰の達者さも残っていた。しかし、Yさんは、5人姉妹の末っ子で、存命の姉2人(96歳、93歳)はすでにケア施設に入所し、甥や姪も他県に居住し、頼れる身近な親族がいない。しかも、Xさんよりも10歳年長であるYさんは、変形性股関節症もあって、年々痛みが増し、歩行が不自由になっていた。かといって、Yさんの暮らしは孤立したものではなく、彼女自身が手紙や電話で関係を丁寧に育んできた「他人」とのつながりの中で、「これからもここで、在宅で暮らしたい」と穏やかな日々を過ごしている。

 Yさんが70代から取り組み始めた「老い支度」「死に支度」には、いくつかのことがあった。一つは、ひとり暮らしの自分が自力で生活できなくなった時に、世話を託すケア施設を探すこと。さらに、亡き母親が自分に託した墓じまいと先祖の永代供養をお寺さんにしてもらうこと。それに、自分が死んだ後に財産が残った場合の贈与先を書いた遺言書を書くこと。そして何より、自分が倒れた時の保証人になってくれる先を確保すること。

   身元引受人を菩提寺の住職に頼んだ

 こうした終の住処をめぐる「老い支度」とともに、70代から始めた学習成果として、85歳時に、死去した父親の墓がある長年親交のある菩提寺の住職を受け取り人とした自筆遺言書を書き、その住職に、入院する時の保証人、身元引受人を引き受けてもらっている。
春日:「身元引受人は? 手術の時とかの保証人はどなたですか?」

 Yさん「お寺さんです。昭和6年に父が亡くなってから、ズーッとお付き合いのあるお寺さんなので。私が死んだら後を継ぐ者がいないのがわかっているし。私の死後も永代供養をして頂けるよう、私の資産を全部と遺言にも書きました」

 ところで、こうした70代から始めた「身じまい」を、一人で考え選択し実行してきたYさんを「すごいなあ」と思ったのだが、さらに「すごいなあ、そこまで備えておくものなのか!」と感動さえ覚えたのが、変形性股関節症の手術で2カ月間の入院をする前に、Yさんがしていた「老い支度」と、その準備の綿密さだった。

   Yさんは入院時にも準備を怠らなかった

 長年痛みに苦しんできたが、ためらっていた変形性股関節症の手術を、先述のNPO所属の専門支援職者の強い勧めで決意したのだという。
春日:「入院前にどんな準備をなさったんですか」

 Yさん「ほんと、準備が大変だったんです。私はひとり暮らしですから。新聞を止めて、宅配で取り寄せていた薬やお化粧品も電話で断って、電話番号は全部入力してありますから。それにベッドメーキングもして洗濯物も片付けて。

 入院する時はまだ暖かい時期だったんですが、退院の時は寒くなって帰るんだから、入院する時に帰宅した時のことを考えて、ベッドメーキングまでして出たんです。手術直後は重い物を持てないかもしれないから、寝室まで厚手の物を持ってきておこうかとか。

 それに、退院する時の荷物とか服とか靴とかも、できることは入院する前に準備しました。退院した日の食事にも困らないように、食べ物も冷凍しました。私はひとり暮らしですから」

 それ以外にも、Yさんがしたことがある。Yさんは自宅のベランダで植木鉢に花を育てることを大きな楽しみにしている。そのために入院中、花に水やりをしてくれる人を確保し依頼するだけではなく、家主との交渉を済ませて入院している。

   根底にあるのは「私は一人」という意識

春日:「入院中の郵便物、戸締まりなどはどうされましたか?」

 Yさん「家主さんにも入院するという連絡を入れて入院しました。それで、鍵を預けている人のことも家主さんには伝えて。郵便物や、植木に水やりをするためにお願いしたんです。まずはその方に、はじめに御礼を渡しておいて、お願いしました」

 「へえ、そこまで手配して入院されたんですか」と私が感心すると、Yさんは、「私は一人ですから」と答えた。

 この「私は一人ですから」というのは、Yさんの話を聞く中で、何度も出てきた言葉である。さらに、入院するに当たってそれだけの準備をしているYさんであるから、受診の際に必要な日頃の健康管理、危機対応についての備えも、半ば生活習慣化した形で行っていた。「血圧と体重、脈は毎日測定」し、「お薬手帳や健康保険証、介護保険証はバッグに入れて持ち運びできるように、パッと出せるようまとめています。それと入院グッズもバッグに入れて揃えてます」とのことであった。

 家族のいる人は互いへの「依存心」が強すぎる

 ところで、生涯シングルで生き、こうした形で「若い頃から」、一人で「老い支度」「死に支度」を「身じまい」の営みとして行ってきたXさん、Yさんからは、結婚し家族を作った同世代の女性たちの、夫亡き後の生き方はどう見えるのだろうか。

 Xさん「ご主人を亡くした後、子どもと同居している人で、子どもの世話にはなれない、自分のことは自分でしなければという考えを持っていて、世話になるのはつらいと言う人でも、自分で施設を探したりする気は全くないし、探す知恵も持っていませんよね。自分はこうしたいという、老後についての考え自体がない。だから、自分が足が弱ったり、自炊ができなくなればどうなるかと、悶々として暮らすことになる人が多いですね」

 Yさん「私みたいにね、ズーーッと独りで生きてきた者と、ご主人を亡くして一人になられた方とは違うと思いますねぇ。見ててね、なんでそんな、と思うようなところがありますね。へまなことをやってますよね。

 やはりご主人を頼って生きてこられた分ね、何かあったら『お父さん、どうする』みたいなところがあって、自分で決められない。決める力がない。

 私は自分で決めていくしかないという違いね。私なんか、母親も私にすがるという感じでしたからね。母の入院なんかの時、病院を決めるのも私でしたし。そういう意味では女一人の方が強いですね」

   終活は、依存心を乗り越えないとできない

 こうはっきりと言われると、「夫、子どもがいる私自身にも根深い依存心があるなあ。でも、『どうにか妻がしてくれるだろう』と、その私に依存している夫の方が、いざという時もっと窮地に陥るだろうなあ」、そう思ってしまう私がいた。

 と同時に、そうした形の相互依存の中で、何の備えもしないまま、ひとり暮らしになり、80代、90代の長寿期に突入する人たちが大量に増えていくのが、これからの時代である。

 そうした時代、家族を作るという生き方をしてきた人たちが、家族への依存心を乗り越えて、自分で考え、選び取る「老い支度」「死に支度」をすることは、シングルであるために否応なくそういう生き方をせざるを得なかった女性たちに比べ、さらに大変なことになる。そうした依存心を乗り越えてひとり暮らしに自分で備えていける人がどれくらいいるだろうか。でも、それができない人ばかりだと、大変な時代になってしまうと、改めて思ったのだった。(春日キスヨ・社会学者)

春日キスヨ氏*略歴:1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専攻は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書多数。
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    「強さの秘密」を大学で調査

 小さな身体でなぜ、これほどの快挙を成し遂げられるのか─。その秘密に迫ったのが、運動生理学が専門の、筑波大学・勝田茂名誉教授らのグループだ。三重子さんが97歳のとき体力測定を行っている。

 勝田さんは三重子さんと会ったときの印象が忘れられない。驚きの連続だったからだ。

 まず、スーツを着て大学に現れたことに驚いた。

 「おしゃれで上品なんですね。ジャージ姿で来られる方もいるので印象的でした」

 検査をしてもその数値に驚いた。特に骨密度とスタミナの強さを示す最大酸素摂取量。前者は75~79歳レベル。後者は70歳代のレベル。三重子さんの泳ぎを支えているのは、この最大酸素摂取量だろうと勝田さんは見ている。

 もうひとつ目を見張ったのは、太もものMRI画像だ。

 「筋肉についている脂肪の量が少なかったんです。筋肉を覆う筋膜のまわりに脂肪がたくさんついていると筋力を持続的に発揮するにはマイナスになります。それがほとんどない長岡さんの筋肉はきわめて優れているといえます」

 勝田さんはこの肉体の背景には、32年間続けた能楽の影響が少なからずあるとみる。例えばゆっくりした動作は、いま風にいえば「スロートレーニング」の要素がある。

 宏行さんによれば、謡は長い息で声を出すので、相当の肺活量が必要になるはずだという。勝田さんはこう話す。

 「そう考えると、泳ぐためのトレーニングを30年以上やっていたともいえます」

 それとは別に、101歳までひとり暮らしを続け、活動的であったこともよい影響を及ぼしていると思われる。広い家を毎日掃除。古い家なので、バリアフリーとは無縁のバリアだらけの構造で、気を抜くと躓いてしまう。

 プールには週3~4日通い、約1時間泳ぐのだが、自宅からプールまでの片道50分を歩くことも珍しくなかった。

 これだけ身体を動かすと、お腹も減る。料理は自分で作っていたが、勝田さんらの栄養調査チームが日常の食生活を調べると、1700キロカロリーとっていることがわかった。70歳の人が目標とする量に匹敵する内容だった。

 しかも泳ぎにかけるエネルギーがピークになった95歳ごろからは、肉を積極的に食べる習慣が加わった。練習でお腹が減ってしまうのか、夜に空腹を覚え、肉を食べることもあった。

     息子とコーチの支えで新記録へ

 そんな三重子さんの生活に転機が訪れたのは2015年、101歳のときだった。

 その年は、三重子さんにとって大きな出来事が立て続けにあった。ひとつは、スポーツイベントで北島康介に会え、冒頭に書いた1500メートルを泳ぎ切ったこと。次にスポーツマンにとって最高の栄誉のひとつ、日本スポーツグランプリを受賞した。この賞は長年スポーツを続け国民に感動や勇気を与えた高齢者に与えられるものだ。その表彰式が、秋季国体の開催地・和歌山県で行われた際、天皇陛下とお話をしたのである。

 「おふくろは耳が遠いから、“はー?”と言うと、陛下も近寄って話してくださる。耳が遠いのはいいこともあるもんですよ(笑)。かなり高揚していました」(宏行さん)

 しかし授与式が終わって、心配なことがあった。宏行さんは自宅のある横浜に、三重子さんは田布施に、それぞれ帰るというとき、別れ際にこう言うのだった。

 「私は101歳になった」

 「それがどうした?」と宏行さんが聞くと。母親は、

 「101歳、101歳!」

 と口にするだけ。少し不安げな表情から、言いたいことはわかっていた。

〈一緒に帰ってくれ。そして一緒に暮らしてくれ……〉

 夢見たことのほとんどが叶(かな)い、気が抜けたような状態になったことも気になっていた。しばらくして、宏行さんは妻を横浜に置き、実家で母親と暮らすことになった。

 考えてみれば、このころが体力的にもひとりで暮らせる限界だったのかもしれない。一緒に住み始めてから身体が弱っていった。最近では食欲も落ち、1日700キロカロリー程度しかとれない。101歳のときには50キログラム近くあった体重もいまは34キログラム。1日で起きているのは6~7時間程度で、それ以外は寝ているようになった。買い物も宏行さんが一緒に歩きながら行くが、外を出歩く機会はグンと減った。

 それでもプールへは週3回休まず通い、およそ1時間練習している。もっと寝ていたいのだろうが、プールに行くというと起きるのは、ある目標があるからだ。

 それは来年、105歳以上の区分でマスターズ大会に出場すること。出れば、新たな世界初の記録が加わる。

 それに備えて、水泳のほか、筋トレと体幹を鍛えるコアトレを週1回ずつ受けている。

 コアトレを担当する大海仁子(おおみよしこ)さん(NCA認定プロフェッショナルコンディショニングトレーナー)によれば、筋肉の弾力を取り戻すリセットコンディショニングを行うと、長年使われた筋肉や、使われなくなり硬くなった筋肉が、きちんと伸び縮みするため動作が楽になるという。

 「仕上がりがいい日は、帰るとき、スタッフや事務所の人たちに失敬ポーズをしてくださるんです。その姿勢が美しくて」(大海さん)

 三重子さんはこれまで、転倒などで4回入院した。そのたび、泳ぐのはやめなさいと医師から忠告を受けた。脊椎の圧迫骨折をしたこともあるが1週間で復活し練習を再開。だから医者を信用していないのだ。宏行さんは、母親にとって「幸せとは何か」を考えて競技を支えている。

 「結局、自分が楽しいと思えるものがあれば幸せだと思う。もしケガをさせたくないのなら寝かしっぱなしにするのがいい。そのほうが私も楽ですよ。でもね、それじゃつまらんでしょう。楽しいと思えることを少しでも長くできるようにしたいと考えています」

 三重子さんの耳が遠く、紙に書いたほうが理解しやすいということで、今回の取材も筆談のような形で行ったが、別れ際「104年間の人生は長かったですか?」と聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「早かった。緊張して生きてきたから」

 三重子さんはよく「苦は楽の種、楽は苦の種。つらいことはよい薬」という言葉を口にする。籾殻ビジネスも能楽も水泳も、つらいけれど緊張感をもって取り組んできたのだ。

 マスターズ水泳史上初となる105歳の挑戦は、来年1月に迫っている。(取材・文/西所正道 撮影/渡邉智裕:関係写真集URL=https://www.jprime.jp/articles/photo/13945?cx_click=photo&cx_clicktype=normal

◎ 西所正道(にしどころ・まさみち)氏略歴:奈良県生まれ。人物取材が好きで、著書に東京五輪出場選手を描いた『五輪の十字架』など。2015年、中島潔氏の地獄絵への道のりを追ったノンフィクション『絵描き-中島潔 地獄絵一〇〇〇日』上梓
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     「2番目のもんは誰も知らん」

 その後も主に舞囃子の稽古を続けていたが、80歳のときひざを痛めて稽古ができなくなる。東京に住む宏行さんに相談すると、水中ウォーキングをすすめられた。宏行さんは当時からマスターズ水泳の選手だったからだろう。そうして隣町にある柳井スイミングスクールにひとりで通うことになった。三重子さんが言う。

 「ただ、歩いておってもつまらん。せっかくだから泳いでみようか。そう思って泳ごうとしたけど、二間(3.6メートル)しか泳げなかった」

 信じがたい話だが、そんな三重子さんが、プールで出会った友達に教えてもらいながら、25メートルを泳げるようになったのは1年たったころである。最初にマスターしたのは背泳ぎ。息継ぎをしなくてもよかったからだという。三重子さんの泳ぎはみるみる上達していく。85歳のときに出場した2度目のマスターズ水泳大会で、5本の日本新記録(85~89歳区分)を打ち立てる。だが、やがて能楽と水泳のバランスが微妙になってくる。

 ひざはすっかりよくなったのだが、今度は耳が不調になる。舞囃子全国大会出場のため、「鷺」の稽古をするが「笛の音が聞こえにくい」と訴える。当時、三重子さんを教えていた大江観正社の七代目大江又三郎さん(重要無形文化財保持者)はこう助言した。

 「水泳で耳を傷めたかもしれません。水泳をやめないと笛が聞こえなくなりますよ」

 しかし、三重子さんは、「先生、水泳は絶対にやめません。水泳をやめるんだったら舞囃子をやめます」

 大江さんは、芯の強い人だなと思った。能楽への気持ちは残しつつも、水泳への思いが強くなっていたのだ。

 ’01年、「鷺」を最後に能楽をやめた三重子さんは一層、水泳にのめり込んでいく。

 翌’02年、88歳のとき、初めて海外遠征に行く。ニュージーランドでの世界マスターズ水泳選手権大会(以下、世界マスターズ)に出場、銅メダルを1つ獲得した。2年後、イタリアで開催された世界マスターズでは3つの銀メダルに輝く。そのころである、三重子さんの言動が変わったのは。それまでは観光がてら大会に出るという姿勢だったが、こんなことを言うようになる。

 「銀メダルじゃつまらん。同じやるなら金メダルをとらにゃ。なんでも1番が有名じゃ。エベレストでも富士山でも、北島康介でも。1番のものはみんな知っているけれども2番目のものは誰も知らん。やっぱり1番になって金メダルをとらにゃ」

     コーチに個人レッスンを懇願

 三重子さんの水泳のスイッチは完全にオンになった。それまで我流で練習した泳ぎを、コーチに習おうと思ったのだ。白羽の矢が立ったのは、通っていたスイミングスクールの澤田コーチ(前出)。当時はまだ「長岡本店」で商売を続けていた。交渉事には手土産がなければと思ったのか、商品券を手にこう言った。

 「私だけを個人レッスンで教えてください。金メダルをとるまでお願いします」

 体力的に大丈夫かと躊躇(ちゅうちょ)したが、最終的に熱意に押されて引き受けることにした。

 「目標は体力の維持、最低でも体力が落ちる速度を遅くすることに置こうと思いました。なぜなら90歳で筋力アップは難しいので。使っていない筋肉を使えるようにして維持する。元気で泳ぎ続けていれば、そのうち上位で泳げるようになると考えました」(澤田コーチ)

 泳ぎをつぶさに見ると修正点はたくさん見つかった。しかも素質的に、水泳に向いているとも思えなかった。

「例えば、関節のやわらかさ、まっすぐな姿勢を維持する力、しなやかなキック、力を水に伝える能力……どれもすごいと思える能力はありませんでした。何が長岡さんの能力をアップさせたかといえば、あきらめないで、何度も練習することです」(同前)

 ここでも「為せば成る」精神が発揮されたのだろう。

 翌’06年、さっそく結果が出た。サンフランシスコで開催された世界マスターズで、ついに金メダルを獲得したのである。2年後の世界マスターズでは金メダルは2個に増えた。しかし三重子さんは満足できなかった。能楽のときもそうだったが、「もっともっと」と欲が出たのである。

 澤田コーチは、三重子さんの底知れぬ向上心に驚かされたことがある。

「世界マスターズで金メダルをとれたら、普通は誇らしげな表情をしてメダルを見せてくれるものです。ところが三重子さんは帰国して開口一番、“いや、失敗してね”とか“もう少しこの技術をしっかりせんと”と反省をおっしゃる。試合でいつも課題を見つけておられて、ハンパじゃない向上心だなと思いました」

 三重子さんは94歳のとき、ついに籾殻ビジネスをやめ、水泳にすべての時間とエネルギーを費やす決断をする。

 宏行さんによると、当時から「狂ったように泳ぎ始めた」という。’09年に出場した国内大会は19を数え、泳いだレースも前年の倍近い55本となった。

 100メートル背泳ぎで自身初の世界新を95歳で樹立すると止まらなくなり、合計12本の世界記録を打ち立てた。50、100、200、400メートルなどの背泳ぎと自由形に出場。さらにプールのサイズによって、ターンが多くなる短水路(25メートル)と長水路(50メートル)のレースにも出る。それらすべてで新記録を出したため、多くの記録になったのである。

 それでも満足しない三重子さんは、平泳ぎへの挑戦を始める。基本的に三重子さんは背泳ぎ専門である。クロールの息継ぎがうまくできないため、自由形のレースでも背泳ぎ。世界記録の数を増やすには新たな泳法を会得するしかないと考えたのだ。
 平泳ぎの上積みもあり95~99歳区分で、合計18世界記録を打ち立てた。 つづく
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      能楽弟子入りで見せた本気の特訓

 地元の呉服店に、「能楽を始めてはどうですか?」とすすめられたのは、商売を引き継いで2年目のこと。商売が軌道に乗り始めたときだ。能楽の稽古には着物が必要だ。もっと着物を買ってくれるだろうという呉服店の企みではないかと、宏行さんは言うが、好奇心の強い三重子さんはそんなことはおかまいなく、通ってみることにした。

 弟子入りしたのは、観世流の下川正謡会。重要無形文化財保持者で能楽師の下川宜長(よしなが)さんが月2日、兵庫県神戸市から山口県の柳井市に教えに来ていた。

 下川さんは、基本のすり足を大切にした。稽古はいつも15分のすり足から始まった。下川さんの妻・静子さんは山口県出身で、稽古に同行しており、三重子さんが独自にあみだした“特訓”について話していたのを覚えている。

 「長い廊下をふき掃除するとき、両足のスリッパで雑巾を踏んで、すり足をしながら廊下をふいていたそうです。“すり足の練習にもなるし掃除もできて、一石二鳥です(笑)”なんておっしゃっていましたね」

 能楽の稽古は、いきなりお面をかけて舞うわけではない。能の台本「謡本(うたいぼん)」に節をつけて謡う稽古や、基本所作を「仕舞(しまい)」で身につける。

 稽古は、一対一で朝から晩までぶっ通しで行われた。当時、柳井には30人近い弟子がいたが、三重子さんの熱心さは指折りだったという。

 「大きな撮影機材をご自身で購入され、お稽古風景をずっと撮っておられました。それを見ておうちで復習なさるのだと」

 ちなみに、この録画機、当時で50万円もした。

 下川さんは熱血指導が有名で、扇子が飛んでくるぐらいの迫力だった。東京に住む宏行さんに、悔しそうな声で電話がかかってきたという。

 「もうやれん!」

 稽古の厳しさに怒っているのではない。師匠に言われたことができない自分に腹を立てていたのである。

 「長岡さんはプロではなく、お素人さんですから、それでいいとは申し上げますが、主人も満点とは言いませんから、長岡さんは、“もっともっと”というお気持ちを抱いておられたと思います」

 三重子さんに何が能楽の魅力かを聞くと、こう答えた。

 「難しいことができたときのうれしさと幸福感」

 下川宜長さんは、能楽に必要なものが彼女には備わっていると話していたという。

 「それは品位です。品位というものはすぐに身につくものではなく、もともと長岡さんが持っておられたのだと思います。その品位が伝統芸能と出会うことで生きてきたと思います」(下川静子さん)

 能舞台での発表会では、3年目で謡、7年目で仕舞、9年目で能を略式で演じる舞囃子(まいばやし)、そして12年目で初めて能面をかけて「羽衣」を舞った。
                                         つづく
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     50代で専業主婦から大黒柱に

 三重子さんは1914(大正3)年7月31日、山口県徳山市(現・周南市)の商家に生まれた。7人きょうだいの次女。教育熱心な家庭で、徳山高等女学校に進学した。

 「走り高跳びで県大会に出たことがあります」

 そう話す活発な三重子さんは、母親からよく聞かされた言葉がある。

 「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

 江戸時代の名君、上杉鷹山の言葉だ。“とことん努力すれば必ずできる”という信念はこのとき魂に入ったのだ。

 結婚したのは23歳。山口県東部の田布施町の商家に嫁いだ。家には 「長岡本店」の看板がかかり、縄やむしろなど、藁(わら)を原料とする商品の卸問屋を営んでいた。そんな伝統的な商品とは対照的に、三重子さんの作る料理はハイカラだったと宏行さんは言う。

 「ステーキとかハンバーグといった西洋料理を作ってくれました。朝は珈琲(コーヒー)とパン。友達でもそんなもの食べているのはいなかったですよ」

 三重子さんの夫の伯母が米・サンフランシスコから帰国し、田布施町に住んでいたため料理を教わったのだ。

 宏行さんによると、兄弟は2人とも、母親から勉強をしろと言われたことはなかったという。教えられたのはひとつ、「とことんやれ」だった。

 「小学生の理科の課題で、日の出と日の入りの時間と場所を毎日記録したんです。面白くてずっとそれを続けていたら、教科書の間違いを見つけた。おふくろが山口県庁に、教科書の記述を直すよう言いに行ったんです。山口大学の教授に聞いても、それは君の言うのがおうとると。結局、教科書は訂正されました」

 宏行さんは勉強もよくできて、柳井高校から東京大学に合格。立派に子どもを育てあげ幸せな日々だったが、1968年、夫に先立たれる。結核で長患いしていたが、一時は仕事に戻れるほど回復していた。しかし風邪をこじらせあっけなく逝った。享年56歳。

 そのとき三重子さん53歳。専業主婦が、いきなり「長岡本店」の暖簾(のれん)を託された。しかも当時は、縄やむしろはビニールなど化学製品に取ってかわられ、斜陽になりつつあった。そんななか鉄鋼会社からひとつの朗報が舞い込む。

 「鉄をつくる溶鉱炉に使う籾殻を探しているが、それを手配してくれませんか」

 聞けば、溶鉱炉で作られる鉄は急に冷やすと品質が悪くなる。それを保温する必要があるのだが、その保温剤として籾殻が抜群にいいのだという。焼きいもの保温に籾殻を使うのとよく似ている。ただ、トン単位の籾殻が必要なので、藁工品の卸問屋を長く営み、全国の農家にネットワークがある長岡本店ならば、集められると踏んだのだ。

 「おふくろは頭がよかったんだね。年に1度しか出ない籾殻を年中手配できるように、ときに北から南まで地方に出張して、頭を下げ、仲買さんをうまくまとめあげて、システムをつくったんだから」

 結果、鉄鋼会社から信頼を得られ、事業は右肩上がり。年商は1億円にものぼった。損益計算書、貸借対照表など経理も独学で勉強した。       つづく
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週刊女性 PRIME 2018/12/4日号【世界記録18個/104歳現役のスイマー①~⑤】
ご参考URL=http://www.jprime.jp/articles/-/13945

     世界記録18個! 104歳現役スイマーの「なんでも1番をとらにゃ」精神

 それは水泳のレースというより、ドラマのようなシーンだった。

 今年10月8日、愛媛県マスターズ水泳短水路大会が松山中央公園プールで開かれた。この大会に、104歳の長岡三重子さんが出場することになっていた。マスターズ水泳とは、例えば70~74歳、75~79歳まで……のように5歳きざみで年齢のグループをつくり、各グループの中でレースを行う世界的な競技だ。

 三重子さんは100~104歳の区分に属し得意の背泳ぎでさまざまな距離に挑戦。現在18個の世界記録を持っている。この4年間、どの記録も破られていない。まぎれもなくマスターズ水泳のトップスイマーのひとりなのである。

 午後1時過ぎ、三重子さんがプールサイドに登場した。女子100メートル背泳ぎに出場するためだ。身長150センチ弱、最近は食欲が落ち、やせている。澤田真太郎コーチに手を引かれてプールサイドをゆっくり歩き、第1レーンのベンチに座った。

 3年前、1500メートルを1時間15分54秒39で完泳したのもこのプールだった。100歳超の女性スイマーが世界で初めて達成した前人未到の記録は、「世界初記録」として歴史に刻まれた。

 三重子さんにはファンが多く、その日も彼女の泳ぎをひと目見ようとプールサイドで身を乗り出す女性が何人もいた。愛媛県マスターズ水泳協会広報の白石望さんによれば後輩スイマーたちは、

 「長岡さんを見習って生涯現役スイマーでいたい」

 と尊敬しているという。なかには郷土料理のタコ飯のおにぎりをいつも差し入れる大会スタッフもいるそうだ。

 1時27分、スタートの音が鳴った。三重子さんはゆっくり腕を後ろに回しながら進む。緊張のためか水の浅いところを掻(か)いているので、速度はそれほど上がらない。競技中に体調を崩したときのために、救助員が2人と、通常は控室で待機する医師も三重子さんが泳ぐときだけプールサイドで見守っていた。進行方向にまっすぐ進まず、やや身体が斜めになりながらゆっくりと前進する。右腕の筋力が左腕より強いからだという。去年も三重子さんの泳ぎを見た女性選手がつぶやいた。

 「去年はもっと斜めになっていたけど、今年はだいぶ修正したんやね。すごいわ」

 最後のターンを終え、残り25メートルになった。一緒にスタートした若いグループの選手はとっくにゴールし、三重子さんだけが泳いでいる。ゴールに近づくと会場から拍手が起きる。祈るように胸の前で手を組みながら見ている女性スイマーもいた。
 
 手が先か頭が先か、ゴール板にタッチした。10分20秒79。瞬間、会場全体がどよめき拍手に包まれた。見ると審判員もみな拍手をしている。

 「尊敬」「尊厳」─そんな空気が満ちあふれていた。
 「よーやった!」
 息子の宏行さん(78)が控室で母親をねぎらっている。

 かたわらで澤田コーチがこんな話をしてくれた。

「若いころから泳いでいる人は、年とともにタイムが落ちて、うちひしがれてやめていくケースがあります。でも長岡さんは逆なんです。91歳で本格的に水泳を始め、どんどんタイムを伸ばしていって、世界記録も金メダルもたくさん手にした。面白かったと思いますよ」

 “遅咲き”という言葉さえあてはまらないぐらいだが、見方によっては、人間が秘めた才能は、何歳でも花開く可能性があることを示しているようにも見えてくる。

 なぜ、こんな奇跡のようなことが起きたのだろう。    つづく
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YAHOO JAPAN ニュース : 11/30 (金) 20:30 配信
ご参考URL=https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181130-00010016-tokyofm-life

    あなたは何歳まで働きたいですか?「死ぬまで」が31%
 
 中西哲生がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「クロノス」。投票企画「クロノスVote」では、さまざまなテーマでリスナーの投票と意見を募集しています。今回のテーマは「あなたは何歳まで働きたいですか?」でした。先日、安倍晋三首相は、企業の継続雇用年齢を70歳に引き上げる方針を表明しました。“人生100年時代”を迎えると言われるなか、世間の労働への意識はどうなっているのでしょうか。投票結果とリスナーから届いた声を紹介します。

Q. あなたは何歳まで働きたいですか?
50歳未満 6%
50~55歳 5%
56~59歳 5%
60~64歳 22%
65~69歳 15%
70~74歳 13%
80歳まで 3%
死ぬまで 31%
(※小数点以下は四捨五入)

「死ぬまで」と答えた人が最も多く、3割以上という結果に。届いたメッセージを紹介します。

◆「60~64歳」というコメント
「今月定年を迎えるため、本来なら仕事からさよならしたいところですが、70歳過ぎまでのローンを含めて、働かざるを得ません。今まで通りの収入を得ることができないため、ダブルかトリプルワークをすることになります。苦しいなあ」

◆「65~69歳」というコメント
「65歳くらいまでは、ぼちぼち働けることが理想です。でも年金や退職金、それに今の雇用ついても不安があって、いろいろ対策をしていきたいのですが、できていない状況です」 (40代・男性)

◆「70~74歳」というコメント
「私はすでに定年退職した後の仕事を見つけました。今からスキルアップして60歳までに会社勤めを辞めて、そのあとはフリーで働こうと思っています。それまでの間に資格の勉強をしたいと思っています」(40代・女性)

◆「死ぬまで」というコメント
「死ぬまで細く長く働きたいです。私にとって仕事は自己表現の1つ。好きなことや得意なことを新しく発見したい。苦手なことを克服する、良い機会と思っています。そんな場を手放すことは多分つらいだろうな~と、社会人10年目を迎えるにあたり、思うようになりました」(30代・女性)

「小売業を営んでいる自営業です。休みや定年はなく、そのすべてを自分で決められます。海外旅行をしたいときは1週間、好きなときに休めます。また、これから新たな事業を始めようとしています。満員電車に乗ることもなく、まったくというわけではありませんが、ストレスのない生活を送っています。死ぬまで元気に働きます!」

「私立中高の教員です。定年は65歳。中高生たちは、日々変化する生ものです。毎日教室に入る緊張感。今日生徒たちはどんな表情を見せてくれるのか、成長してくれるかな、とワクワクします。それが感じられなくなったときに、私は教師の職を辞するつもりです」

「死ぬまで。一番の理由は、『生涯現役』という言葉の響きがかっこいいから。仕事の時間や形は変えながらも、ずっと続けている人は素敵だと思います。仕事と自分のやりたいことを両立させながら、死ぬまで仕事を続けたいです」(20歳)

「ずっと働いているほうが、何もしていない人より若くいられるなあと、80歳でも働く父を見て思います。のんびりしたいのは、今が忙しすぎるからだと思います」

「いくつまで働きたいかというよりも、私の場合はいくつまで働かなければいけないのか、です。2人の子どもを大学に通わせるために教育ローンを借りています」

「死ぬまで」働きたいと答えた人が3割以上となった、今回のアンケート。「死ぬまで元気に働きたい」と意欲的な人もいれば、ローンなどの事情から、辞めたくても辞められないという声もあり、さまざまなメッセージが寄せられました。
(TOKYO FM「クロノス」より)
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     ヘ  ッ  ド  ラ  イ  ン     ニ  ュ  ー  ス
 事務局報告 第178 号                  2018年 11月30日発行
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◎  2 0 1 8 / 1 1 / 1 ~ 2 0 1 8 / 1 1 / 3 0 の当Blog「タイトル掲載一覧表」
    日 付                   タイトル

2018年11月30日      「日本生涯現役推進協議会」 会報 178
2018年11月29日      NPOライフ・ベンチャー・クラブ会報158
2018年11月28日      芸人向け老人Home建設だけでない夢
2018年11月27日      傍観者か 生産者か 田畑こそ居場所に
2018年11月26日      JMCA遠藤会員:第34号/be happy会報
2018年11月25日      真鶴町立「中川一政美術館の軌跡」展
2018年11月24日      男を養いたい/生涯現役願望型の女傑
2018年11月23日      「見える化・ご褒美」ピンピンコロリ社会
2018年11月22日      「会社の寿命30年説」で何を考えるか?
2018年11月21日      12/7:東京都中小企業知的財産シンポ  
2018年11月20日      岡山県庁内:シニア世代就職支援窓口
2018年11月19日      12/6(木) DIGITAL Foresight 2019 紹介
2018年11月18日      11/28:定例理事会・生涯現役塾ご案内
2018年11月17日      @nifty NEWS:最強のエレガンス/映画
2018年11月16日      これからの住宅購入で考えておくべき
2018年11月15日      【生涯現役脳をめざせ!】補聴器の基本
2018年11月14日      Zakzak 【定年後・自走人生カのススメ 】
2018年11月13日      医師が処方の「治療アプリ」登場間近3
2018年11月12日      医師が処方の「治療アプリ」登場間近2
2018年11月11日      日経Gooday:医師処方の「治療アプリ」1
2018年11月10日      草刈66歳の不安「妻が先に逝ったら?」
2018年11月 9日      12/6(木):『ワークストリーアワード2018』
2018年11月 8日      Zakzak by フジ 【生涯現役脳をめざせ】
2018年11月 7日      読売ONLINE:超人の上79歳/競歩10V
2018年11月 6日      河北新報:50代研修生/農家レストラン
2018年11月 5日      90歳を生きること 生涯現役の人生学
2018年11月 4日      朝日Digital:在職老齢年金をどうするか
2018年11月 3日      タウンニュース:歩こう秋の箱根・小涌谷  
2018年11月 2日      日生基礎研:生涯現役社会と働き方改革
2018年11月 1日      加藤国際特許/知財とびうめ便りVol.63     以上

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N P O 法 人  ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ  
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事 務 局 報 告 第 158 号                 2018年 11月29日 発行
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◎  11 / 2 8 開 催: 11月生涯現役協・NPO・LVC合同理事会報告

          11月両団体合同理事会議事録


日 時: 2018年11月28日(水)15時10分~17時10分
会 場: ライフ・ベンチャー事務所
参加者: 東瀧代表、中上、新川、持田、高橋、水上、糟谷、松延、堀優子、梅澤氏、野口雄一(11名。敬称略、順不同)
内 容:
 1.報 告 事 項
 (1) 代表・事務局報告
    理事会機能は全参画者が協働する意識高揚が重要。会員皆様が生涯現役推進社会に役立つSGSK団体とNPO個人活動を念頭に行動して欲しい。11月会員皆様の月間行動ポイント要約を発信し合いたい。代表自身はファンケル・リクルート経歴の高橋ベンチャー社長が開発の企業人事・営業・企画関係者を集めた3回発想対話塾や「日本の人事部」イベント参加、高連協堀田代表との市民連携活動への意見交換、ベンチャー異業種交流出席等、会員募集を含め新年度計画や活動に早速提案したい思いだ。増田事務局長は急務社用のため欠席。 
 (2)各参加者の要約行動報告・意見発表
 ・水上氏:本年2月以降婚活活動地盤は山梨中心で、ベトナム女性の農家男性ご紹介で地元有力2団体等に参加、⑨サミットに参加者成果あり。 
 ・新川氏:実践が全て。元気シニアの働く場づくりの愚直な拡大で、その平均年齢は72歳と同業他社ができない高齢者にも役立つ。
 ・持田氏:高橋氏代表の生涯青春の会での出演協力や、2018地域交流会での江戸川区でのさがし愛ネット出展等活動は有意義だった。
 ・糟谷氏:風邪による体調不良で確たる活動報告はないが、生涯現役に役立つ国内長寿順位の男性/横浜青葉区1位・女性川崎市麻生区4位など関心を払いたい。
 ・中上氏:日本開発工学会総合シンポ参画や長崎大教授提唱の会、ビジネスプランG発表参加等で、最近とみに「脱日本化タイ」にも取り残された日本が超境型イノベーション到来期痛感。そこで12月には日本ベンチャー学会総会、専修大スタートアップに参加予定。
 ・高橋氏:来11月8日はライフ・ベンチャー参加記念日。LVの生涯現役は実践こそ大事だと確信。先日東京駅エキマチ文化祭にわが歌の会で仲間と参加し、12月には「童謡100年想い出の歌」を主題に中央区民講座で出演する。
 ・梅澤氏:今回3回目の参加。半導体シリコン担当のサラリーマン勤務38年後、独立事業で失敗したが、海外での友人関係者も多いので、その人脈活用も試みたい。
 ・野口雄一氏:今春(一社)東京ぷろマーケット上場協会創設、改新HPで働き易くなった。別途地域貢献でSGSK関連うえるねす社の流山地区募集説明会開催やディサービスセンター活動にも関わるが、健康面で困るのはショートステイ経験者は足腰が弱体化するのが要注意だ。
 ・松延健児氏:Facebook活用SNS会員増への第393回/394回/395回各生涯現役塾連続貢献の講師役。今回12月NPO/LVC新入会目的も代表からデジタル会員連携展開策で期待され過大評価は困ると自己紹介。詳細な自己紹介は12月の第396回塾でお願いしたい。
 2. 協 議 事 項
 (1)配布資料の11/28日開催『第395回生涯現役塾/大人のためのFB勉強会』&12/12『第396回生涯現役塾&2019望年会(案)』は、ともに原案どおり承認可決。
 (2)新年度の生涯現役協(SGSK)・NPO/LVCの各活動、各体制等協議については、協議時間不足のため12月理事会(12日13:30~14:50)にする。
 (3)高齢社会NGO連携協議会(高連協)との関与に関する件
   ・高連協は2016年2月1日開催の故吉田専務理事急逝による緊急理事会で運営体制の先行きが明白でないままに、NPO法人LVクラブとしては、東瀧が理事会員団体としての責任が持てないと退会宣言したままである。本年9月18日開催の高連協臨時総会で明確な2018年度事業計画・予算、事業推進体制、会則改正、役員・事務局長選任等決議報告書を退会会員にも再度書面信、再加入勧誘の依頼があった。
   ・そこで、その回答検討のため、早速個別に堀田代表と新事務局長玉置氏に今後の高連協活動基本方針等を聴取したが、今回理事会で再加入を諮る議案への積極的な連携意識が見込めず、本件提案を見送ることとした。    以 上
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SMART FLASH エンタメ・アイドル 2018.11.28
ご参考URL=https://smart-flash.jp/entame/55965

     さんま「芸人のための老人ホームを建てる」マツコも入居希望

 明石家さんまが、11月25日放送の『誰も知らない明石家さんま3時間SP』(日本テレビ系)で意外な今後の夢を明かした。

「みんなから『芸人専門の老人ホームを作ってくれ』と言われている。マツコ(・デラックス)も入りたいって。だから建ててあげようかなと思ってる。

 みんなを集めて、放送はしないけど、火曜日は『踊る!さんま御殿!!』、水曜は『ホンマでっか!?TV』、日曜は『行列(のできる法律相談所』)をやる(笑)。50人ぐらいは絶対入るやろう。『あの人は今』もそこに行けば探さないでいい」

 倉本聰脚本のドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)では、テレビ関係者専用の老人ホームをテーマにしたが、その芸人版を本当に建てる構想を持っていることを明かした。

 同番組で「10年後はテレビに出ているか?」と問われ、さんまは「出てないと思う」と即答。だが「頭の回転があかんようになったらやめようと思ってんねんけど。今のところ落ちないんで」とまだまだ衰えていないことをアピールした。

 老人ホームについて、さんまは2015年12月24日放送の『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー2015』(フジテレビ系)でも発言。娘のIMALUから「老人ホーム探しとく。足腰元気だから徘徊するだろうなぁ」と言われてしまったことを告白。「もうすでに、私の面倒を見る気はない」とボヤいていた。

「人生100年時代」とも言われる現代。お笑い怪獣・さんまには生涯現役で、笑いを届けてほしいものだ。
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日本農業新聞 2018年11月27日
ご参考URL=https://www.agrinews.co.jp/p45936.html

     傍観者か  生産者か  田畑こそ “ 居 場 所 ” に
                        農業ジャーナリスト  小谷あゆみ氏


 人生100年時代。人はいつまで働くべきかが問われています。先日、島根県の集落営農法人や中山間地の生産法人を訪ねて伺ったのは、国の方針により定年がこれ以上引き上げられると、地域に戻って営農する人がいなくなるという課題でした。リタイアしたら戻ると当てにしていた人材が、65歳を過ぎても帰ってこなくなるのです。

 では、都会の状況はどうかというと、今月放送されたNHKスぺシアルでは、高齢者の終(つい)の棲家(すみか)がないという特集をしていました。特別養護老人ホームの待機者30万人。待機児童ならぬ待機老人問題です。これまで深刻だった地方の農村の高齢者は、もはや減少傾向に転じていますから、膨大な高齢人口を抱えて困るのは、むしろ都市部なのです。

 人にはそれぞれ、その人にしかできない役割、かけがえのない使命があるものです。今は離れて住んでいても、ふるさととのつながりは切れるものではありません。生まれ故郷が荒廃していく様子を傍観して、自分のプライドは保てるでしょうか。地域を耕す主体となって仲間に喜ばれる以上に、その人らしさの発揮できる居場所があるでしょうか。

 介護をする人が、人に言えない思いを短歌に詠む「ハートネットTV介護百人一首」という番組(NHK Eテレ)の司会を14年間続けています。老いを受け入れ、介護の憂さを発散する方法として、全国から短歌を募集していますが、その中に、日本人にとって農業とは何か、考えさせられる作品が数多くあります。いくつかご紹介します。

 「暑い夏大根の種発芽して百歳の父杖(つえ)で草取り」「今は亡き夫と過ごせし野良仕事恋しなつかし消ゆる時なし」「地下足袋でふんばり抜いた姑(はは)の足細く萎(な)えしを足湯につける」「病院に目覚めて母は大根を干したかと問う十二月一日」

 どの短歌にも、農業や農作業がその人の生きがいであり、誇りであることが現れています。

 農という営みには、自然と対話し、命を育む喜びがあります。自ら考え、農産物を人に与える喜びでもあります。農作業は介護予防になり、100歳でも自立した生産者で居続ける人もいます。田畑をイキイキ耕し、自らの人生に誇りを持つ生涯現役の高齢者が増えれば、社会保障費の軽減にもなります。傍観者か、生産者か。国がどんな方針を示そうが、自分の生きる喜びはどちらにあるのか、心に問う時期ではないでしょうか。
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 生涯現役仲間の皆様へ‼  いつも何かとお世話になります。
 11月も後わずかです。ニュースレター11月号大変遅くなり、すみませんでした。
 ニュースとしては、
1 第7期生の募集に入りましたので、皆様方のお力添えをお願い申し上げます。
2 ZOOMでの勉強会を1月26日(土)午後14時30分から行います。
 これは、全国で受けられますので宜しくお願いします。この勉強会は、ZOOMで行う初めての勉強会ですので練習を兼ねていますので、会費は0円で行います。東京、名古屋、大阪、山口、四国等の会員の皆様是非お受け下さい。
 どうか宜しくお申込をお願いします。申し込みはリザーブストックでしていただけるようにしますので、ご協力をお願いします。
 また、東京では、恒例の新年会を1月26日(土)18時30分から東京神田で行います。宜しくお願いします。    JMCA 遠藤
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第34号(平成30年11月18日)

● JMCA創立10周年記念式典の開催
  本年10月1日(一社)日本結婚カウンセリング協会(以下JMCA)は創設10周年を迎えました。ここまで来ることができましたのは会員の皆様はじめ、関わりを持って支援していただいた皆様のお陰です。ささやかですが10月21日にメディセレスクールの教室をお借りして記念式典を行いました。協会に貢献した方7名に感謝状をお送りしました。参加者は総勢15名でしたが、和気あいあいと楽しい時間を過ごすことができました。また、吉川会長の基調講演「プリマリタルカウンセリングの今後の展望」は勉強になりました。先生にご無理をお願いしてパワーポイントの資料をそのまま協会で使わせていただくことになりました。私としては一段落つき、今後の励みになりました。
● 第6期生の認定試験が終わりました。
  4月から始まりました。プリマリタルカウンセラー養成講座第6期生11名の認定試験が無事終わりました。今年から「心理マリッジカウンセラー」の第1期生の資格もスタートしました。心理マリッジカウンセラーのみの受講生が1名、二つの資格を取得する方は6名です。今年は受講生の申し込み後のキャンセルが6名と多くなりました。理由は、病気等で3名ですが、当方の運営の仕方にも問題があったかと反省させられます。
  この度、養成講座の体制がほぼ完成しましたことは皆様のご協力のお陰と感謝しています。更に来年は「上級プリマリタルカウンセラー」養成講座等を計画したいと考えています。
● 第7期プリマリタルカウンセラー養成講座の受講者を募集します。
  平成31年4月開講予定の第7期プリマリタルカウンセラー及び心理マリッジカウンセラー養成講座の受講者募集は11月から開始しました。来年はZOOMを使って全国で行いたいと考えています。現在、募集に関しては沢山の方にご協力いただいております。
  それに伴って、受講者募集の説明会もZOOMで行いますので全国どこでも受けられますので範囲が広がります。申し込みは福岡、神奈川、埼玉の計3名で行います。
● 全国12市町村長協議会のサミットに参加してきました。
  10月25日、26日に新潟県弥彦村で「全国12市町村長協議会」の主催する「第3回地方創生創き生きまちおこしサミット㏌弥彦」にマネージャーの橋本さん、外部協力者の週刊「ホテル・レストラン」の山下部長、そして遠藤が参加してきました。
  人口減少が顕著な地方では、今後の自治体の運営は大変厳しいものがあり、自治体の活性化について真剣な話し合いが行われました。サポートする側の我々に何ができるかを考えさせられる1日でした。当日弥彦神社をお参りし、翌日は弥彦山に登り絶景を堪能して帰ってきました。
● 教材の販売について
  パワーポイントで作った各種教材が完成しました。教材は12本ですが、6本セットで
 販売します。プリマリタルカウンセラーに使って欲しい「恋愛心理学講座」用教材6本と心理マリッジカウンセラーを中心に使って欲しい「結婚生活能力育成講座」用教材6本です。
  価格は1本5,000円ですが、会員価格で6本で18,000円となります。今後も教材作りを推進し、カウンセラーの皆様のお役に立てるように整備していきます。
● 新年会のお知らせ
  平成31年1月26日(土)午後6時30分から9時、神田中国料理「廣豊楼」、内神田3‐
16‐9 松浦ビル1Fで行います。会費は54,000円です。大勢のご参加をお待ちしています。
● 編集後記
  11月18日に第6期生の認定試験を実施しました。長かった8か月も過ぎてみれば早いものです。試験の終了後、受講者の皆様と意見交換をしました。皆様のプリマリタルカウンセリングに対する思いや協会の将来のこと等熱い思いを語ってくれました。話を聞いていて、このような皆様の思いを力にしたいと考えました。また、今年は来年の受講者募集には多くの方が関わりを持っていただいています。このような変化を大切にしていきたいたいと考えています。
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産経新聞 NEWS 2018.11.25 07:04 |地方|神奈川版
参考URL=https://www.sankei.com/region/news/181125/rgn1811250029-n1.html

    【かながわ美の手帖】
       真鶴町立中川一政美術館「中川一政美術館の軌跡」展

 ■ 日々写生した連作群、展示で時代を区切り

 「僕の理想を実現できるような美術館にしたい」-。真鶴町立中川一政美術館は、同町にアトリエを構えて戦後の日本洋画壇の中心的存在として活躍した一政が晩年、作品を町に寄贈したことにより、生前の平成元年に創設された。平成の歩みとも重なる同館で、開館30年記念展「中川一政美術館の軌跡」が開かれている。期せずして、まもなく区切りを迎える一つの時代を振り返る機会ともなっている。

 ◆ 「岸壁二十年」
 明治26年、東京生まれの一政は、昭和50年に文化勲章を受章し、平成3年に他界した。生涯現役。97歳での絶筆「静物 薔薇(ばら)」は、力強い筆致と豊かな色彩で見る者を鼓舞してくれる。

 展示室1には一政が21歳で発表して岸田劉生の目にとまった処女作「酒倉」(大正3年)や、続く「霜のとける道」(4年)などの初期作品。合わせて親交のあった岸田、小杉放庵、木村荘八、梅原竜三郎、椿貞雄、万(よろず)鉄五郎ら画家の油彩に加え、知遇を得た文芸誌「白樺(しらかば)」同人の武者小路実篤、長与善郎らの静物画も展示し、画業の原点を浮かび上がらせる。

 一政は美術学校を出たわけでも、特定の師に教えられたわけでもない。「手探り、独学で自身のスタイルを確立した」と同館学芸員の加藤志帆は強調する。「白樺」で日本に初めて紹介されたゴッホやセザンヌは自然を師とした。一政も日々黙々と、身近な風景や素朴な静物を写生し、腕を磨いていった。

 戦後まもなく、真鶴に“隠れ家”をもった一政は、半島の付け根の小さな漁村「福浦」(湯河原町福浦)と出会い、ひかれる。昭和24年、アトリエを真鶴に設けた。56歳。以来、70代半ばまで、毎日のように画材を抱えて港に下り、突堤で写生を続けた。達磨(だるま)大師の故事「面壁九年」をもじり、「岸壁二十年」…。

 ◆ 少年易老…
 やがて高度成長とともに福浦は変質する。新たな写生地を探し、次に出会ったのが箱根の「駒ケ岳」だった。42年、74歳。秘書の運転する車に画材を積み込み、16年間、草原に通い続けた。夏は避け、春、秋、冬と、自然と向き合い、移ろいを感じ、天候に左右されながら、24点を描いた。1枚に1つの季節。100号キャンバス(162×130センチ)なら、足かけ3年もかかった。

 「飛んできた葉っぱが、絵の具の乾かないうちにくっつき、気付かず、額に収めた作品もある」と加藤。展示された4点の「駒ケ岳」が、どの季節なのかを、色使いの違いから推測するのも楽しい。

 一政は静物画にも大いに取り組んだ。庭の「薔薇」や「向日葵(ひまわり)」を摘み、顔の絵が描かれた「マジョリカ壺」(自身のコレクション)に生けては、顔ごと丹念に写生している。「薔薇」だけで800点以上に上る。

 額縁も自分でデザインし、彫ったり色を塗ったりしている。全体で一つの作品だった。

 こうした風景画「福浦」「駒ケ岳」、静物画「向日葵」「薔薇」の連作が並ぶ展示室2は、開館当時、96歳の一政が「みなさんに見てもらいたい」と、自ら構成を監修した18点の展示を再現。画業の大半がここに集約され、今回のハイライトとなっている。

 文筆も達者な文人画家でもあった。展示室4には書が並ぶ。画家の書いた書という趣。「少年易老學難成(少年老い易(やす)く学成り難し)」の書もある。自分で彫った落款に、小さく「九十七才」と数え年を添えている。愉快だ。=敬称略(山根聡)
                   ◇
 開館30年記念展「中川一政美術館の軌跡」は真鶴町立中川一政美術館(真鶴町真鶴1178の1)で12月23日まで。午前9時半から午後4時半(入館は午後4時まで)。水曜休館。観覧料は一般800円、高校生以下450円など。問い合わせは同館(0465・68・1128)。
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 中川一政美術館 県立真鶴半島自然公園の原生林内に位置する真鶴町立の美術館。同町を創作の拠点とした中川一政が生前に油彩画、水墨画、岩彩画、書、陶芸、挿絵原画、本の装丁など約600点の作品を町に寄贈し、平成元年に開館した。5つの展示室と茶室で常設展示、テーマ展示。建物は柳沢孝彦の設計で、第15回吉田五十八賞を受賞し、「公共建築百選」にも選ばれている。隣接のお林展望公園では、一政のアトリエが復元公開されている。
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まいじつ 芸能 2018.11.24 11:00
ご参考URL=https://myjitsu.jp/archives/67991   

   「男を養いたい!」岡田結実など“ヒモ好き”女性芸能人の願望とは

 川口春奈と窪田正孝のダブル主演で、今年夏に放送されたドラマ『ヒモメン』(テレビ朝日系)。働く女性とニートの恋愛模様は多くの視聴者を虜にしたが、芸能界にも“ヒモ男”に魅力を感じる女性が多いようだ。

 コント番組『犬も食わない』(日本テレビ系)で『オードリー』の若林正恭とMCを務める水卜麻美アナウンサーは、11月16日の放送でヒモ男の魅力を語っている。

 この日の番組では、医大テニスサークルのマネジャー女子と、オタク男子の集団で紅一点の「オタサーの姫」をテーマにしたコントを放送。コント内でしたたかに男を狙うマネジャー女子に戦慄した若林は、「ミトちゃんは男をちゃんと獲物として見てるの?」と水卜アナに話を振っていった。

 すると水卜アナはスイッチが入ったように、理想の恋愛論を突如熱弁。「一文無しからガンバってる人にお金払いたい」「私は養いたい」と“養いたい願望”を明かし、若林を「どうしたんだよ急に!?」とたじろがせてしまった。

  現役JKにまで広がる“養いたい願望”

 ヒモ男好きの波は、10代の間にも広がっているようだ。現役女子高生タレント・岡田結実は、去る11月7日に出席したイベントで、「結婚相手はヒモ男が理想」と明かしている。

 同イベントには、今年7月に第1子が誕生したタレントのりゅうちぇるも出席しており、トーク中に結婚の話題へと移る場面が。すると岡田は「死ぬまで仕事をしていたい」と生涯現役願望を明かした後、「結婚する相手はぜひヒモ。お金は一切入れなくていい。私が稼ぐから」と、一生をかけてまで男を養いたいという熱意をにじませた。

 『HKT48』の指原莉乃も、かつては“ヒモ男”に引かれた女性の1人。指原は以前から“ヒモ好き”を公言しており、10月13日には自身のツイッターに、

 《前まで「ヒモでも別にいい」って本気で思ってた》と投稿している。

 しかし同ツイートでは、《最近はちゃんとやりたいことがあってそれを楽しんでて尊敬できる人がいいなーてことはヒモじゃダメだなーって感じになってる》
  《好きなタイプは尊敬できる人に変更しよう。。》との文章が。20代も後半に差し掛かり、徐々に現実的な恋愛観へと変化したことを明かしている。

 近年は「女性活躍社会」が推進されていることもあり、女性の“養いたい願望”はさらに広まっていくかもしれない。

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