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   湯の街・別府で映画を掛け続ける86歳館長の“別府シネマパラダイス”

 1949年創業、全国的に知られる大分県の湯の街・別府で、映画の灯をともし続けてきた「別府ブルーバード劇場」。86歳になる館主の岡村照さんは今も毎日映画を掛け続けている。別府に劇場が20館を数えた映画全盛期も今は昔。しかしブルーバードは多くのファンと映画人に愛され、岡村館長の功績を祝う映画祭も開催された。生涯現役を掲げる館長に映画愛を聞いた、“別府シネマパラダイス”。

 「父の時代からで私が高校3年ぐらいの時に始めたので、そのまま学校にも行かす卒業したらすぐ受付に座った感じで、だから68年ですか(笑)。それで20周年ぐらいの時に父が亡くなって、その翌年にまた主人が亡くなったものですから、私が1人でし出して46年ぐらいになります」。

 別府駅から駅前通りを進んで徒歩3分ほど。ブルーバードは抜群の立地に建っている。照館長の父・中村伝助氏が劇場を始めたのは戦後間もない昭和24年。ディズニー映画の『白雪姫』が最初の上映作品だったという。

 昭和30年代は映画が娯楽の王様として君臨し劇場も大繁盛。しかし映画の勢いはやがて陰りを見せ、昭和40年代半ば、照館長は父親と夫を相次いで亡くしてしまう。だが、それでも劇場を切り盛りし今日まで営業を続けてきた。

 「映画はもともと父が好きで、子どもの時にあちこち連れていってもらって観ていました。そういう関係もあって結局私は映画が好きだから、何とか続いたんじゃないかと思うんです。他の仕事をしていても続かなかっただろうと思います」。

 映画愛を父に育まれ、ご主人とともに営んだ劇場を今も館長は守り続けている。しかし平成の世を迎えて映画興行も移り変わりを受け、照館長も劇場を閉めようと思ったことがあったという。

 「大分にシネコンができて、駐車場はあるし電車で15分で行けるからみんな行くし、興行成績がガタンと落ちて。それでお客はお年寄りぐらいで、その時に辞めようかと思ったんですけど、やっぱり別府に映画が無いのはって思ったんです。従業員さんのお給料は払えなくても、1人でもできるだろうってその時思って」。

 映画への愛、そして別府への思いが照館長に劇場を続けさせる力となった。最近では娘の実紀さんも劇場の仕事を手伝うようになり、扱う映画のラインアップも拡大。シニアだけでなく客層も広がりを見せている。

 そしてそんな照館長の長年に渡る功績を称えんと、9月29日から10月1日の3日間、「第1回Beppuブルーバード映画祭」が開催された。会期中は平田満、津田寛治、西村知美、中原翔子、遠藤ミチロウ、村上虹郎、芸人のアントニー、女装家のブルボンヌといった多彩なゲストが来館。照館長の映画人生を祝福した。

 「別府の駅前通りが、昔は人通りがゾロゾロあったんですけど、今は人が出るのは金・土ぐらいで日ごろはガランとしてますので、少しでも活気づけばと思って。準備期間が短かったのでお客さんの入りを一番心配しましたけど、まぁ何とか(笑)」。

 映画祭では館長自ら映写機を操り、名作『蒲田行進曲』をフィルム上映。場内は満員の観客で冷房が効かなくなるほどの熱気にあふれ、エンディングで「キネマの天地」が流れると、客席からは手拍子が起こる。一体感ある上映に目を熱くした人の姿も多く見られ、「一生忘れられない映画体験」といった声も聞かれた。

 「あんな風に“いつまでも忘れられない映画”っていうようなものを観て帰って頂くと本当に嬉しいです。別に夢っていうのもないけど、何とか健康な間は生涯現役でいたいなって思います」。

 “映画は魔物”――そう言って笑う照館長は、今もその魔力に魅入られ別府で映画を掛け続けている。(文:しべ超二)

別府ブルーバード劇場/大分県別府市北浜1‐2‐12/0977‐21‐1192