そば打ち名人「生涯現役」 71歳高橋さん
2016年11月12日 お仕事=2016/11/10付 西日本新聞朝刊=2016年11月10日 10時57分
ご参考URL=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/oita/article/288102
そ ば 打 ち 名 人 、 杵 築 に 移 住
「 生 涯 現 役 」 目 指 す 7 1 歳 高 橋 さ ん
客 制 限 「 自 分 の ペ ー ス で 」【大分県】
「そば打ち名人」として知られる高橋邦弘さん(71)が12日、移住先の大分県杵築市守江にそば店「達磨」を開く。かつて構えた店には全国からファンが押し寄せたが、杵築の店で出すのはもりそばのみ。営業は基本週3日。会員制で予約制。別府湾を望む高台をついのすみかと決め、「静かに自分のペースで楽しむよ」。生涯現役を目指した高橋さんのスローライフが始まる。
高橋さんは東京都出身。27歳で興味のあったそば打ちの教室に通い始めた。3年後に東京に店を持ち、山梨、広島へと移転した。15年営業した広島県北部の山中の店には一日何百人もの客が列をなした。ただ近くにスーパーやコンビニもなく生活するには不便。おまけに雪深く、「マイ除雪車」を置いていたほど。約7年前からそば打ち指導をしていた豊後高田市の知人を通じて知った温暖な杵築市が気に入り、昨年7月移住して来た。
高橋さんのそばは、のどごしの良さ、弾力性、香りで通をうならせる。茨城や北海道、長野など全国9カ所から買い付けたそばの実を石臼で自家製粉。薬用酒に使う軟水と自宅の井戸水と混ぜて生地をつくる。「そば粉一粒一粒に水を回し、全体をしっとりさせる。そうでないと味を引き出せない」。体全体で一定のリズムを刻みながら、力を加え続ける。
イチロー選手のバットを手掛けた職人久保田五十一さんに特注した麺棒を使ってそば生地は厚さ1・2ミリに延ばす。それを包丁で1・2ミリ幅に切り、縦横同じ太さにする。ゆで時間は37秒。つゆは広島時代からのものを使う。甘い味付けを好む九州人の舌には合わせない。「自分のそばに合うつゆで食べてもらう」と曲げない。
「これがそばというそばを食べさせてくれないか」。東京の店で常連に言われたひと言が高橋さんの原点だ。製粉会社から買っていたそば粉を自家製粉に切り替え、そばを追求した。「十分満足するそばを食べさせてもらったよ」。すでに鬼籍に入った常連の顔が忘れられない。
「100人が食べて100人ともうまいというのはありえないよ。30人でも気に入ってくれればそれでいいんじゃないか」。自分が食べてうまいそばを提供する。師匠から受け継ぐ高橋さんの「そば道」に憧れ、門をたたく若者も少なくない。既に修業を終え、店を構えた弟子は40人以上。そば打ち指導などで全国のそばどころも飛び回っている。
ただ、年齢を重ね、体にガタが出始めた。前かがみの姿勢が続き腰を悪くした。その影響で首下の骨も疲労骨折した。「生涯そば打ち職人」を続けるため、杵築移住を決意し、客を制限するスタイルに切り替えた。「一日に何百人も来る商売はもういい。今は楽しんでそばを打ちたい心境なんだ。それで生活できればいいだけの話さ」
高橋さんのそば会員は全国に約350人。看板ものれんもない店で今後、県内から100人程度を募るという。
ご参考URL=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/oita/article/288102
そ ば 打 ち 名 人 、 杵 築 に 移 住
「 生 涯 現 役 」 目 指 す 7 1 歳 高 橋 さ ん
客 制 限 「 自 分 の ペ ー ス で 」【大分県】
「そば打ち名人」として知られる高橋邦弘さん(71)が12日、移住先の大分県杵築市守江にそば店「達磨」を開く。かつて構えた店には全国からファンが押し寄せたが、杵築の店で出すのはもりそばのみ。営業は基本週3日。会員制で予約制。別府湾を望む高台をついのすみかと決め、「静かに自分のペースで楽しむよ」。生涯現役を目指した高橋さんのスローライフが始まる。
高橋さんは東京都出身。27歳で興味のあったそば打ちの教室に通い始めた。3年後に東京に店を持ち、山梨、広島へと移転した。15年営業した広島県北部の山中の店には一日何百人もの客が列をなした。ただ近くにスーパーやコンビニもなく生活するには不便。おまけに雪深く、「マイ除雪車」を置いていたほど。約7年前からそば打ち指導をしていた豊後高田市の知人を通じて知った温暖な杵築市が気に入り、昨年7月移住して来た。
高橋さんのそばは、のどごしの良さ、弾力性、香りで通をうならせる。茨城や北海道、長野など全国9カ所から買い付けたそばの実を石臼で自家製粉。薬用酒に使う軟水と自宅の井戸水と混ぜて生地をつくる。「そば粉一粒一粒に水を回し、全体をしっとりさせる。そうでないと味を引き出せない」。体全体で一定のリズムを刻みながら、力を加え続ける。
イチロー選手のバットを手掛けた職人久保田五十一さんに特注した麺棒を使ってそば生地は厚さ1・2ミリに延ばす。それを包丁で1・2ミリ幅に切り、縦横同じ太さにする。ゆで時間は37秒。つゆは広島時代からのものを使う。甘い味付けを好む九州人の舌には合わせない。「自分のそばに合うつゆで食べてもらう」と曲げない。
「これがそばというそばを食べさせてくれないか」。東京の店で常連に言われたひと言が高橋さんの原点だ。製粉会社から買っていたそば粉を自家製粉に切り替え、そばを追求した。「十分満足するそばを食べさせてもらったよ」。すでに鬼籍に入った常連の顔が忘れられない。
「100人が食べて100人ともうまいというのはありえないよ。30人でも気に入ってくれればそれでいいんじゃないか」。自分が食べてうまいそばを提供する。師匠から受け継ぐ高橋さんの「そば道」に憧れ、門をたたく若者も少なくない。既に修業を終え、店を構えた弟子は40人以上。そば打ち指導などで全国のそばどころも飛び回っている。
ただ、年齢を重ね、体にガタが出始めた。前かがみの姿勢が続き腰を悪くした。その影響で首下の骨も疲労骨折した。「生涯そば打ち職人」を続けるため、杵築移住を決意し、客を制限するスタイルに切り替えた。「一日に何百人も来る商売はもういい。今は楽しんでそばを打ちたい心境なんだ。それで生活できればいいだけの話さ」
高橋さんのそば会員は全国に約350人。看板ものれんもない店で今後、県内から100人程度を募るという。