Altarna誌:60歳で理事長を辞めた理由
2015年8月17日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ
東 瀧 邦 次 さ ま
いつもお世話になっております。
今年6月、城南信用金庫の吉原毅理事長が60歳になったのを機に退任されました。その理由を、オルタナ・コラムニストのコーナーに寄稿頂きましたので、ご紹介致します。
本コラムでは、吉原理事長は退任の理由を少しオブラートに包んでおられます。しかし、以前、城南信用金庫では高齢・長期政権の元理事長が会社を私物化し、そのために内部が著しく混乱したという苦い経験と、それを繰り返してはならないという決意が、今回の60歳で任期満了で退任という潔い身の引き方の背景にあったと想像します。
その元理事長を理事会でクーデター解任したのが、元理事長の部下でもあった吉原氏でした。吉原氏は、脱原発キャンペーンや自然エネルギーシフトで有名になりましたが、一方で、「銀行に成り下がるな」という、これも見事な掛け声のもと、高い倫理性を職員に求めました。自ら理事長職の年収を支店長より低い1200万円に下げるなど、「自分にも厳しい経営」を貫きました。
それにしても、見事な引き際でした。翻って、東芝の不適切経理問題、ロッテや大塚家具のお家騒動ほか、さまざまな企業の不祥事の多くに高齢・長期政権の経営者が見え隠れしています。
「志」は必ず変質します。人は成功すれば、必ず守りに入り、古い価値観にしがみつくからです。経営者はできれば60歳、無理なら65歳、どんなに遅くても70歳までには一線から退くべきでしょう。吉原さんのコラムを読んで、同じ経営者として、改めて襟を正したいと思いました。
◆私が60歳で城南信金の理事長を辞めた理由[吉原 毅]
http://www.alterna.co.jp/15742
企業の目的は、利益の拡大ではなく社会貢献です。会社の憲法である定款の目的には、利益の拡大とは書いてありません。企業は、定款に記された様々な事業を実施することにより世のため、人の幸せのために活動するという公的な使命があるのです。(城南信用金庫相談役=吉原毅)
しかしながら、大企業のサラリーマンあがりの経営者の中には、高額な報酬をとり、自分の地位とカネ、つまり私的な利益のために、いつまでもトップの地位にしがみつき、そのために有能な人材を切り捨て、恐怖政治を行い、企業の使命を忘れた、目先の利益を追う、株主迎合の経営を行う者が少なくありません。
こうした企業社会の悪弊を打破するためには、トップも含めた経営者の定年制を導入し、例外なく定年を迎える仕組みをつくるしかありません。
「有能な経営者が短期間で交代するのは企業にとって惜しい」とか「後継者として相応しい者がいない」という理由で、トップの定年制導入に反対する意見もありますが、実際には、そんなことはありません。トップにいる者の言い訳か思い込みにすぎません。企業は一人で動いているのではないのです。
たとえ杓子定規と言われても、将来において独裁者が表れて長期間に渡って恐怖政治を行うリスクがあるわけですから、それを除去する仕組みをつくったほうが、長い目で見た場合に、企業にとって望ましいと思います。
そもそも「後継者に相応しい者がいない」とこぼすトップの行動をみると、自分の地位を脅かす有能な部下を、次々と切り捨てているからであることが少なくありません。やはり、企業経営者は、惰性に流されず、私心を捨て、常に世のため、人のためという公的な使命に徹することが大切です。そのためには、「メメントモリ(死を思え)」という言葉があるように、終わりを意識した覚悟と決意が必要です。
ハイデガーは「死に近づくときに良心の呼び声が聞こえる」と語りました。プラトンの国家論の中でソクラテスは「賢人政治」について語り、政権のトップにも定年制を設けて、後は、功績をたたえつつも、島流しにすべきと語っています。
こうした点を勘案し、私は、役員たるものは、決められた期間を使命達成のために全力で経営にあたることが大切だと考え、4年前に理事長に就任した際に、「トップも含めた役員60歳定年制」を打ち出しました。
またその変更には、株主総会に相当する総代会でなければできない旨を定款に記載しました。併せて、役員報酬を大幅に削減するとともに、地位肩書に関係なく、年齢により給与が決定される制度に改めました。
この結果、理事長よりも専務理事の方が給与が上になることがあります。給与と仕事は比例するという成果主義を否定して「仕事はカネではなく心意気でやるもの」という姿勢を示したものです。
あわせて、役員を卒業した方々による「顧問会議」を設置しました。理事長や理事は、最高意思決定機関である理事会のメンバーですが、定年制で交代するため、年齢が若く経験不足です。「顧問会議」は、それを指導し、支援するための制度であり、いわば枢密院です。
この設置は、ソニーの常務だった天外司朗先生の「長老型リーダーシップ」の影響を受けました。アメリカインディアンは、若い酋長が政治の実権を振るうのですが、酋長が判断に迷うときには、車座になって煙草をふかしている長老たちに相談し、長老がそれを支える伝統と智慧とを提供したのです。
日本でも江戸時代の隠居制度や水戸のご老公など、現役とベテランが支えあうことで政治を安定させる仕組みがありました。ロラン・バルトも、日本社会は、天皇と幕府で権威と権力を分離して、優れた政治を実現したと説明しています。
今回、自分が定年を迎えるに当たり、この4年の任期は、短いようでも、とても充実したやりがいのある期間でした。常にやるべきことは何かと考え、即刻実現することで、実に様々なことが実行できました。
「企業は社会に貢献するためにある」という観点から、「東日本大震災」「原発事故」などにも、逃げることなく、真剣に立ち向かいました。
社会貢献、社会福祉など、一般企業が目を向けない社会的な分野にあえて焦点をおいて、「みんなが仲良く安心して暮らせる社会」の実現に努めてきました。逆に、そうした社会的な視野や発想が、本業である金融分野でも、新たな事業や商品、人と人との強い絆を生み出しました。
1833年に英国のロッチデールで生まれた協同組織企業は、「お金を大切にする株式会社」の弊害を是正し、「人を大切にする、思いやりを大切にする」企業です。人間性回復のために生まれた社会運動の一環としての企業という使命を持っています。
現代の社会は、「自己中心主義」「孤独」「いじめ」「道徳や倫理の崩壊」などの「お金の弊害」「近代社会の病理」にむしばまれています。そうした時こそ、協同組織企業の金融部門である私たち信用金庫としては、地域を守って、地域の人々を幸せにするために、これからも全力を傾注していきたいと思います。
【吉原 毅:城南信用金庫 相談役プロフィール】
1955年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、1977年に城南信用金庫へ入職する。企画部や理事・企画部長、常務理事・市場本部長、専務理事・事務本部長、業務本部長など多数の役職を経験。2010年に理事長として就任後は、東北大震災以降、被災地に対する支援活動、地域貢献活動、環境維持活動に注力する。特に、福島第一原発事故の翌月4月1日より「原発に頼らない安心できる社会へ」を宣言し、講演やシンポジウムを実施するとともに、金融を通じて自然エネルギーや省エネルギーを推進する。 また脱原発に関する情報を発信するために城南総合研究所を設立。原発再稼動反対、原発即時ゼロに積極果敢に取り組んだ。2015年6月に理事長を退任し、現在は相談役を務める。
NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ
東 瀧 邦 次 さ ま
いつもお世話になっております。
今年6月、城南信用金庫の吉原毅理事長が60歳になったのを機に退任されました。その理由を、オルタナ・コラムニストのコーナーに寄稿頂きましたので、ご紹介致します。
本コラムでは、吉原理事長は退任の理由を少しオブラートに包んでおられます。しかし、以前、城南信用金庫では高齢・長期政権の元理事長が会社を私物化し、そのために内部が著しく混乱したという苦い経験と、それを繰り返してはならないという決意が、今回の60歳で任期満了で退任という潔い身の引き方の背景にあったと想像します。
その元理事長を理事会でクーデター解任したのが、元理事長の部下でもあった吉原氏でした。吉原氏は、脱原発キャンペーンや自然エネルギーシフトで有名になりましたが、一方で、「銀行に成り下がるな」という、これも見事な掛け声のもと、高い倫理性を職員に求めました。自ら理事長職の年収を支店長より低い1200万円に下げるなど、「自分にも厳しい経営」を貫きました。
それにしても、見事な引き際でした。翻って、東芝の不適切経理問題、ロッテや大塚家具のお家騒動ほか、さまざまな企業の不祥事の多くに高齢・長期政権の経営者が見え隠れしています。
「志」は必ず変質します。人は成功すれば、必ず守りに入り、古い価値観にしがみつくからです。経営者はできれば60歳、無理なら65歳、どんなに遅くても70歳までには一線から退くべきでしょう。吉原さんのコラムを読んで、同じ経営者として、改めて襟を正したいと思いました。
◆私が60歳で城南信金の理事長を辞めた理由[吉原 毅]
http://www.alterna.co.jp/15742
企業の目的は、利益の拡大ではなく社会貢献です。会社の憲法である定款の目的には、利益の拡大とは書いてありません。企業は、定款に記された様々な事業を実施することにより世のため、人の幸せのために活動するという公的な使命があるのです。(城南信用金庫相談役=吉原毅)
しかしながら、大企業のサラリーマンあがりの経営者の中には、高額な報酬をとり、自分の地位とカネ、つまり私的な利益のために、いつまでもトップの地位にしがみつき、そのために有能な人材を切り捨て、恐怖政治を行い、企業の使命を忘れた、目先の利益を追う、株主迎合の経営を行う者が少なくありません。
こうした企業社会の悪弊を打破するためには、トップも含めた経営者の定年制を導入し、例外なく定年を迎える仕組みをつくるしかありません。
「有能な経営者が短期間で交代するのは企業にとって惜しい」とか「後継者として相応しい者がいない」という理由で、トップの定年制導入に反対する意見もありますが、実際には、そんなことはありません。トップにいる者の言い訳か思い込みにすぎません。企業は一人で動いているのではないのです。
たとえ杓子定規と言われても、将来において独裁者が表れて長期間に渡って恐怖政治を行うリスクがあるわけですから、それを除去する仕組みをつくったほうが、長い目で見た場合に、企業にとって望ましいと思います。
そもそも「後継者に相応しい者がいない」とこぼすトップの行動をみると、自分の地位を脅かす有能な部下を、次々と切り捨てているからであることが少なくありません。やはり、企業経営者は、惰性に流されず、私心を捨て、常に世のため、人のためという公的な使命に徹することが大切です。そのためには、「メメントモリ(死を思え)」という言葉があるように、終わりを意識した覚悟と決意が必要です。
ハイデガーは「死に近づくときに良心の呼び声が聞こえる」と語りました。プラトンの国家論の中でソクラテスは「賢人政治」について語り、政権のトップにも定年制を設けて、後は、功績をたたえつつも、島流しにすべきと語っています。
こうした点を勘案し、私は、役員たるものは、決められた期間を使命達成のために全力で経営にあたることが大切だと考え、4年前に理事長に就任した際に、「トップも含めた役員60歳定年制」を打ち出しました。
またその変更には、株主総会に相当する総代会でなければできない旨を定款に記載しました。併せて、役員報酬を大幅に削減するとともに、地位肩書に関係なく、年齢により給与が決定される制度に改めました。
この結果、理事長よりも専務理事の方が給与が上になることがあります。給与と仕事は比例するという成果主義を否定して「仕事はカネではなく心意気でやるもの」という姿勢を示したものです。
あわせて、役員を卒業した方々による「顧問会議」を設置しました。理事長や理事は、最高意思決定機関である理事会のメンバーですが、定年制で交代するため、年齢が若く経験不足です。「顧問会議」は、それを指導し、支援するための制度であり、いわば枢密院です。
この設置は、ソニーの常務だった天外司朗先生の「長老型リーダーシップ」の影響を受けました。アメリカインディアンは、若い酋長が政治の実権を振るうのですが、酋長が判断に迷うときには、車座になって煙草をふかしている長老たちに相談し、長老がそれを支える伝統と智慧とを提供したのです。
日本でも江戸時代の隠居制度や水戸のご老公など、現役とベテランが支えあうことで政治を安定させる仕組みがありました。ロラン・バルトも、日本社会は、天皇と幕府で権威と権力を分離して、優れた政治を実現したと説明しています。
今回、自分が定年を迎えるに当たり、この4年の任期は、短いようでも、とても充実したやりがいのある期間でした。常にやるべきことは何かと考え、即刻実現することで、実に様々なことが実行できました。
「企業は社会に貢献するためにある」という観点から、「東日本大震災」「原発事故」などにも、逃げることなく、真剣に立ち向かいました。
社会貢献、社会福祉など、一般企業が目を向けない社会的な分野にあえて焦点をおいて、「みんなが仲良く安心して暮らせる社会」の実現に努めてきました。逆に、そうした社会的な視野や発想が、本業である金融分野でも、新たな事業や商品、人と人との強い絆を生み出しました。
1833年に英国のロッチデールで生まれた協同組織企業は、「お金を大切にする株式会社」の弊害を是正し、「人を大切にする、思いやりを大切にする」企業です。人間性回復のために生まれた社会運動の一環としての企業という使命を持っています。
現代の社会は、「自己中心主義」「孤独」「いじめ」「道徳や倫理の崩壊」などの「お金の弊害」「近代社会の病理」にむしばまれています。そうした時こそ、協同組織企業の金融部門である私たち信用金庫としては、地域を守って、地域の人々を幸せにするために、これからも全力を傾注していきたいと思います。
【吉原 毅:城南信用金庫 相談役プロフィール】
1955年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、1977年に城南信用金庫へ入職する。企画部や理事・企画部長、常務理事・市場本部長、専務理事・事務本部長、業務本部長など多数の役職を経験。2010年に理事長として就任後は、東北大震災以降、被災地に対する支援活動、地域貢献活動、環境維持活動に注力する。特に、福島第一原発事故の翌月4月1日より「原発に頼らない安心できる社会へ」を宣言し、講演やシンポジウムを実施するとともに、金融を通じて自然エネルギーや省エネルギーを推進する。 また脱原発に関する情報を発信するために城南総合研究所を設立。原発再稼動反対、原発即時ゼロに積極果敢に取り組んだ。2015年6月に理事長を退任し、現在は相談役を務める。