日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 & 
  NPO法人 ライフ・ベンチャー・クラブ  会  員  の  皆  様

                             高 橋  育 郎
残 暑 お 見 舞 い 申 し 上 げ ま す 。
 きのうは 長崎原爆の日 70周年でした。
50周年に、市では 歌の公募をしました。
 私の詞「長崎の鐘が鳴る」が佳作入選し 50年史に掲載されました。
慎んで 添付させていただきました。
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【長崎の鐘が鳴る】
   長 崎 の 鐘 は 鳴 る
                              高 橋  育 郎 作詞曲
 1 宇宙をめぐる 人は見る
   ひときわ光る あの星は
   あれは地球 美しい
   伝えてゆこう この喜びを
   平和のくらし みんなで守ろう
   長崎の おもいをこめて鐘は鳴る

 2 あの日のことは 忘れない
   ひらめきおそう まぶしさは
   あれは原爆 きのこ雲
   惨禍極みて 涙もかれる
   永遠(とわ)の平和を みんなで守ろう
   長崎の おもいをこめて鐘は鳴る

 3 憎しみ遠く 消え去りて
   ひたすら願う めぐる春
   花は咲き染め 鳥は飛ぶ
   尊きみたま 導きたまえ
   平和への道 みんなで歩もう
   長崎の おもいをこめて鐘は鳴る 

     平成7年(1995年)
     長崎市被爆50周年記念 入選歌
            50年誌に載る
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【2015・7・6 記】
    明 治 の 産 業 遺 産 
           長 崎 グ ラ バ ー 邸 と 私 の 歌
                                     高 橋  育 郎
  長崎グラバー邸が明治産業革命遺産になった。
  そのグラバー邸で忘れられないのが、私の作曲「ああ浦頭」である。
  この曲は、1995年の戦後50年記念に、佐世保市引揚記念平和公園における「市民音楽祭」の名のもとに、地元の歌手2名と、合唱団3団体とフォークダンス、民舞、和太鼓グループがそれぞれ趣向をこらして演奏した。
  市長の挨拶があり、続いて作詞者の挨拶があった。作曲の私は呼ばれてはいたが、この地には、めったにない渇水に襲われ、水の工面に予算を使い果たし、私の旅費がだせないと招待は取り消しになった。しかし、地元の篤志家が記録したビデオを送ってくれた。
  歌の普及会が出来て、CDが発売され、市民に浸透していった。
  それから4年経って、こんどは会場がハウステンボスになって、JR九州とJTBが共催で「『ああ浦頭』を歌う全国の集い」と銘打って、戦後、大陸から引揚てきた人たちを全国から呼び集め開催した。佐世保湾に船を浮かべ、引揚船にみたてて湾を一周し、ブラスバンドの演奏に迎えられ上陸。そして。一行は館内に入ると、そこには往時の写真展があり、それぞれ思い出に浸った。やがて、ホールでは式典がおこなわれ、歌手がおごそかに登場し、「ああ浦頭」を万感こめて歌った。この模様はビデオに記録され、ラジオ長崎で放送された。
  そして、グラバー邸では、長崎ご当地ソング・ベスト50が発表され、この歌は46位にランクインした。そしてNHKの番組「おーい長崎県」で放映された。

  では、この歌が出来た経緯であるが、元は、生涯現役実践道場ライフ・ベンチャー・クラブである。当時、会員月刊誌「ライフ・ベンチャー」を発行していた。中に、「生涯現役で活躍している人物紹介」があって、編集委員であった私は、横浜市の「生涯現役かなざわ会」の門口氏をルポした。そのとき彼から示されたのが「ああ浦頭」の詩であった。
  彼は私に作曲してみないかといった。私は表題の浦頭が分からず意味を聞いた。浦頭は佐世保湾にある港で、戦後大陸からの引揚船の寄港地であると。ちなみに横須賀の浦賀、京都の舞鶴が知られていた。父はタイから浦賀に引き上げたのだ。
  「引揚船の哀歓染めて 夕映え悲し ああ浦頭」の歌詞ではじまる。
  出来あがった曲を門口さんを通して作詞者へ送ってもらった。すると、思いもかけない返事が届いた。この曲に感涙したというのだ。そして、地元の合唱団に送ったところ、クリスマスに3団体が結集して歌うことにしたというのである。そして地元のタイムス誌に記事が載った。それから半年間ほど関連記事が連載され、私の手元に送られてきた。
  更には「ああ浦頭」普及会が出来て、町の有線放送で流され、カセットテープになった。
  それが、市民音楽祭に歌われ、ハウステンボスの全国の集いに発展したのである。 以 上