山崎氏:幸福な富裕者と不幸な富裕者3
2015年8月27日 お仕事私 の 見 た「 幸 福 な 富 裕 者 と 不 幸 な 富 裕 者 」
そ の 決 定 的 違 い
(前編) – 山崎 和邦 わ が 追 憶 の 投 機 家 た ち ③
凡 人 に 「 幸 福 な 貧 者 」 は 不 可 能 、
自 然 体 の 「 幸 福 な 富 裕 者 」 を 目 指 せ
ところで、最初に挙げた4つのパターンのうち、(3)おカネがなくても幸福な人(幸福な貧者)は幸いなるかな、あえて利己心を抑制して精神の安寧を確保した哲人である。
京都郊外の1丈四方に棲んで静かに生きることを選んだ鴨長明や、ほとんど無銭のまま野たれ死に覚悟で作詩の旅に出た松尾芭蕉。あるいは架空の人物だが宮沢賢治が「雨にも負けず、風にも負けず……そういうものに私はなりたい」と書いた人――。
彼らのように、徹底的に金銭を無視して世間の片隅で静かに生きていけるなら、その人は確かに幸福であろう。
だが、その境地に達するよりは「幸福な富裕者」に達するほうが私には遥かにラクな道だと考えた。事実、その通りだった。私は大学2年の頃、「幸福な富裕者」と「幸福な貧者」のどちらを選ぶべきか大いに悩んだ。当時、左翼学生だった私は「幸福な貧者」にむしろ憧れる面すらあった。
その頃、のちに53年間の古女房となる幼な友だちは「おカネはなくても私たちが幸福と感じればそれが幸福なのよ」と哲学者めいたことを言ってくれもした。だが、私は教室でJ.M.ケインズと遭遇し、俄然おカネの世界に目覚めたのだった。
ケインズは官僚として学者として、また熱い恋の人として八面六臂の活躍をしたが、一方で投資市場の果敢なプレイヤーでもあって、個人で100億円ほどを儲け、母校ケンブリッジ大学の資金を運用して13倍に増やした傑物である。まさに「投機は自由のための彼の闘いであった」(R.F.ハロッド著『ケインズ伝』塩野谷九十九訳 / 東洋経済新報社 / 1967年)。
大学2年からの3年間、ケインズの生き方や理論に触れていくうち、私は左翼学生から「転向」して証券会社に進んだのであった。
「転向」は「変節」ではない。変節は自分自身の節義を破ることだから私たちは蔑視したが、転向はむしろ畏敬した。転向とは、自己の過ちを認識して自己批判した後に、方向を自ら変えることを宣言し進むことだからだ。
私はこの頃から、おカネと幸福との関係を真摯に考えるようになった。その結果が「幸福とは、やりたいことをやれて、やりたくないことをやらないでいられる自由な状態である」という明快な定義だった。そして、私には「幸福な貧者」よりも「幸福な富裕者」を目指すほうが、よほど容易かったのである。
だから、次頁で読者諸賢にご紹介する「幸せな富裕者」の生活態度も、鴨長明や松尾芭蕉になることに比べればはるかに簡単で、誰にも実践できるものとなる。 つづく
そ の 決 定 的 違 い
(前編) – 山崎 和邦 わ が 追 憶 の 投 機 家 た ち ③
凡 人 に 「 幸 福 な 貧 者 」 は 不 可 能 、
自 然 体 の 「 幸 福 な 富 裕 者 」 を 目 指 せ
ところで、最初に挙げた4つのパターンのうち、(3)おカネがなくても幸福な人(幸福な貧者)は幸いなるかな、あえて利己心を抑制して精神の安寧を確保した哲人である。
京都郊外の1丈四方に棲んで静かに生きることを選んだ鴨長明や、ほとんど無銭のまま野たれ死に覚悟で作詩の旅に出た松尾芭蕉。あるいは架空の人物だが宮沢賢治が「雨にも負けず、風にも負けず……そういうものに私はなりたい」と書いた人――。
彼らのように、徹底的に金銭を無視して世間の片隅で静かに生きていけるなら、その人は確かに幸福であろう。
だが、その境地に達するよりは「幸福な富裕者」に達するほうが私には遥かにラクな道だと考えた。事実、その通りだった。私は大学2年の頃、「幸福な富裕者」と「幸福な貧者」のどちらを選ぶべきか大いに悩んだ。当時、左翼学生だった私は「幸福な貧者」にむしろ憧れる面すらあった。
その頃、のちに53年間の古女房となる幼な友だちは「おカネはなくても私たちが幸福と感じればそれが幸福なのよ」と哲学者めいたことを言ってくれもした。だが、私は教室でJ.M.ケインズと遭遇し、俄然おカネの世界に目覚めたのだった。
ケインズは官僚として学者として、また熱い恋の人として八面六臂の活躍をしたが、一方で投資市場の果敢なプレイヤーでもあって、個人で100億円ほどを儲け、母校ケンブリッジ大学の資金を運用して13倍に増やした傑物である。まさに「投機は自由のための彼の闘いであった」(R.F.ハロッド著『ケインズ伝』塩野谷九十九訳 / 東洋経済新報社 / 1967年)。
大学2年からの3年間、ケインズの生き方や理論に触れていくうち、私は左翼学生から「転向」して証券会社に進んだのであった。
「転向」は「変節」ではない。変節は自分自身の節義を破ることだから私たちは蔑視したが、転向はむしろ畏敬した。転向とは、自己の過ちを認識して自己批判した後に、方向を自ら変えることを宣言し進むことだからだ。
私はこの頃から、おカネと幸福との関係を真摯に考えるようになった。その結果が「幸福とは、やりたいことをやれて、やりたくないことをやらないでいられる自由な状態である」という明快な定義だった。そして、私には「幸福な貧者」よりも「幸福な富裕者」を目指すほうが、よほど容易かったのである。
だから、次頁で読者諸賢にご紹介する「幸せな富裕者」の生活態度も、鴨長明や松尾芭蕉になることに比べればはるかに簡単で、誰にも実践できるものとなる。 つづく