ZAKZAK by夕刊フジ/定年後教育教養
2017年12月10日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
ZakZak by 夕刊フジ「オレンジ世代」取材の転載ご紹介
URL=https://www.zakzak.co.jp/eco/news/171206/eco1712060007-n1.html
定 年 後 に 必 要 な「 き ょ う い く 」「 き ょ う よ う 」
過 去 の「 経 験 」 に あ ぐ ら か か ず 努 力 を
★ 居 場 所 の 作 り 方
生涯現役を実践中の男女7人が集った、夕刊フジ主催の「シニア懇談会」。その発言の中から、シニアが直面する問題やテーマを浮き彫りにする現役時代に、残業や会食、出張、週末の接待ゴルフなど、仕事一辺倒の会社人間だった人は、定年退職後に自分の居場所が家庭にも地域にもないという問題が起こりがちだということ。そこで今回は、定年後の「居場所の作り方」について下記の話題となった。
■ 仕 事 一 辺 倒 は 定 年 後 の 居 場 所 づ く り に 苦 戦
現役時代、残業や会食、出張、週末の接待ゴルフなど、仕事一辺倒の会社人間だった人は、定年退職後に自分の居場所が家庭にも地域にもないという問題が起こりがちだ。
最近、メディアで取り上げられている「きょういく(今日行くところはあるか?)」と「きょうよう(今日用事があるか?)」は、定年後の男性に最も必要だと言われている。
渡辺裕之さん(75)も、この2つの必要性を痛感した1人だ。建設会社で建築士として勤務していたが、病気療養のために55歳で早期退職。治療を続けながら建築コンサルティング業を行っていた。
「60代後半には、八丈島に月2回、母島には1年間定住して大きなプロジェクトに関わり、精力的に仕事をしてきました。そろそろ体力的に厳しいと感じた70歳の頃にプロジェクトも終了し、少し休める時間が持てた。しかし、その期間は2年に及んだ。朝起きても、行く所もなく、することもない日々。それが非常にストレスでした」
■ 必 要 と さ れ る 場 所 に
72歳の時、渡辺さんは現在勤務するローコスト住宅(注文住宅の設計、施工管理)などを手掛けるメッドコミュニケーションズ(東京都港区、佐々木洋寧社長)に採用された。
「採用担当者との面接終了直後にまた連絡が入り、その日のうちに社長面接をしました。そこで社長に、『これから30年働いてくださいよ』と言われ、採用が決定しました。うれしかったですね、自分が必要とされていることに。今は充実した毎日で、できるだけ長く働きたいと思っています」
渡辺さんは新卒から勤めた建設会社を55歳で退職した後も、宅建やマンション管理士などの勉強をし、知識や資格取得にも熱心に取り組み、離島などの厳しい環境下でもさまざまな仕事を成し遂げてきた。
2年間のブランク中も、自分の居場所はもうないなどと諦めることはなかった。次の仕事(居場所)を見つけるために、普段は見ていなかった新聞の折り込み求人広告などにも目を通し、そこで目に留まったのが現在の会社だった。
新たな居場所作りは、過去の経験や知識の上にあぐらをかくことなく、さらに努力を続け、何事も諦めずに挑戦することから始まるのだろう。(「オレンジ世代」取材班)
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定 年 後 に 必 要 な「 き ょ う い く 」「 き ょ う よ う 」
過 去 の「 経 験 」 に あ ぐ ら か か ず 努 力 を
★ 居 場 所 の 作 り 方
生涯現役を実践中の男女7人が集った、夕刊フジ主催の「シニア懇談会」。その発言の中から、シニアが直面する問題やテーマを浮き彫りにする現役時代に、残業や会食、出張、週末の接待ゴルフなど、仕事一辺倒の会社人間だった人は、定年退職後に自分の居場所が家庭にも地域にもないという問題が起こりがちだということ。そこで今回は、定年後の「居場所の作り方」について下記の話題となった。
■ 仕 事 一 辺 倒 は 定 年 後 の 居 場 所 づ く り に 苦 戦
現役時代、残業や会食、出張、週末の接待ゴルフなど、仕事一辺倒の会社人間だった人は、定年退職後に自分の居場所が家庭にも地域にもないという問題が起こりがちだ。
最近、メディアで取り上げられている「きょういく(今日行くところはあるか?)」と「きょうよう(今日用事があるか?)」は、定年後の男性に最も必要だと言われている。
渡辺裕之さん(75)も、この2つの必要性を痛感した1人だ。建設会社で建築士として勤務していたが、病気療養のために55歳で早期退職。治療を続けながら建築コンサルティング業を行っていた。
「60代後半には、八丈島に月2回、母島には1年間定住して大きなプロジェクトに関わり、精力的に仕事をしてきました。そろそろ体力的に厳しいと感じた70歳の頃にプロジェクトも終了し、少し休める時間が持てた。しかし、その期間は2年に及んだ。朝起きても、行く所もなく、することもない日々。それが非常にストレスでした」
■ 必 要 と さ れ る 場 所 に
72歳の時、渡辺さんは現在勤務するローコスト住宅(注文住宅の設計、施工管理)などを手掛けるメッドコミュニケーションズ(東京都港区、佐々木洋寧社長)に採用された。
「採用担当者との面接終了直後にまた連絡が入り、その日のうちに社長面接をしました。そこで社長に、『これから30年働いてくださいよ』と言われ、採用が決定しました。うれしかったですね、自分が必要とされていることに。今は充実した毎日で、できるだけ長く働きたいと思っています」
渡辺さんは新卒から勤めた建設会社を55歳で退職した後も、宅建やマンション管理士などの勉強をし、知識や資格取得にも熱心に取り組み、離島などの厳しい環境下でもさまざまな仕事を成し遂げてきた。
2年間のブランク中も、自分の居場所はもうないなどと諦めることはなかった。次の仕事(居場所)を見つけるために、普段は見ていなかった新聞の折り込み求人広告などにも目を通し、そこで目に留まったのが現在の会社だった。
新たな居場所作りは、過去の経験や知識の上にあぐらをかくことなく、さらに努力を続け、何事も諦めずに挑戦することから始まるのだろう。(「オレンジ世代」取材班)