■□■━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  J.I.メールニュース No.765 2016.07.14  発行 
                  「長崎で考えたこと ― 熊本地震、出島、NIMBY」
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□ 
<巻頭寄稿文>
  「 長 崎 で 考 え た こ と ― 熊 本 地 震 、 出 島 、NIMBY 」
                      慶應義塾大学 特別招聘教授 柏木 茂雄
--------------------------------------------------------------------------------------------------
先日、講演のため長崎に出張する機会があった。その際、一見直接関連しないものの、あるつながりを持った三つのことが頭に浮かんだ。

まず、自宅でテレビを見ていたとき、熊本で全壊した自宅の前で座り込んでいた老人が語った言葉が強く心に残った。「5年前、東北大震災の報道を見たときは大変だと思いつつ、自分にはこのようなことは起きないだろうと思っていた。しかし、今回まさに自分がこのような被害を受け、自分が間違っていたと痛感した。気が付くのが遅すぎた。」と沈みがちに話されていた。我が身を振り返り反省すべき言葉として突き刺さり、加藤代表が主張している「自分事」を思い出すこととなった。

講演後、長崎で出島を見学した際、似たような点を強く意識することとなった。出島は、我が国の鎖国時代に海外に対して開かれた唯一の窓口として貿易・文化の面で大きな役割を果たした場所である。現在、当時の建物や街並みを修復・復元する事業が進行中であり、鎖国時代の出島の雰囲気を味わえる興味深いスポットとなっている。

当時の出島が果たした役割は大きく、現在でも新しい考え方を積極的に取り入れるための仕組みとして「出島マインド」をポジティブにとらえる見方が強い。特に九州では、最近、アジア諸国との間でモノ、サービス、ヒトのつながりが強くなっていることを受け、九州全体を「出島」のように考えようとする提言もあると聞く。

このような考え方に異論はないものの、私には「出島」が持つ面白い二面性のように映った。私自身、我が国のグローバル化への対応等について話す際「出島メンタリティーから脱却すべし」というフレーズをしばしば使ってきたからである。

「出島メンタリティー」というのは私の造語ではないが、鎖国時代、江戸に居住する幕府幹部の持っていた考え方を指している。当時の幕府中枢にとって国内案件の処理こそが最重要課題であった。国内案件に専念し、これを無難にこなしてきた人物が幕府中枢の主要ポストに就くことが多かった。

一方、海外関係の案件は面倒なものであり、自分たちは無関係でありたいものとしてとらえられていた。

海外案件の処理は長崎駐在の長崎奉行を筆頭に、海外の課題を専門的に扱う人々に任されていた。そして、長崎奉行が幕府の主流派となることは少なかった。「平家、海軍、国際派」※と言われる考え方がすでに出来上がっていたと言える。

近年グローバル化の進展を受け、このような考え方は一掃されたと断言できるだろうか。残念ながら、この発想はまだ我が国に蔓延っているのではないか、というのが私の懸念であり「出島メンタリティーからの脱却」を主張する所以である。

今日でも多くの組織において「国際部」が設けられ、海外案件の処理を任されている例が多い。そして組織のトップは国内部署を務めた人が占め、将来的にトップを目指す若い人たちは、いわゆる「国際派」となることを敬遠する傾向がある。

もちろん真のグローバル企業ともなれば、国内外一体の経営が行われ、海外で優秀な成績を修めた人がトップに就く例も多い。しかし、我が国ではまだ「出島的発想」が強いと言えるのではないだろうか。

今後グローバル化の一層の進展は不可避であり、日本国民誰もが直面せざるを得ない問題となってきている。これまであまり見られなかった地方都市にも外国人観光客が大勢押し寄せてきている。本邦企業が外国企業によって買収されたり、合弁、提携が進められるというケースも増えてこよう。ある日突然、自分の取引先、上司、同僚に外国人が来るという事態が今後一層増加してくるであろう。

グローバル化に伴う具体的出来事は、出島のように海外との接点を担う一部の特殊な人たちが経験する話ではなく、誰もが直面する話になりつつある。「内なるグローバル化」が求められる所以である。グローバル化も「他人事」ではなく皆が「自分事」としてとらえる必要のある問題であることを再認識した次第である。

最後に、「自分事」とは、皆が自分のことや自分の考えをただ強く主張しさえすれば良いということではない、という点も頭に浮かんだ。以前から米国で使われている言葉として「NIMBY」というものがある。これはNot In My Back Yardの略語であり、文字通り「自分の裏庭には困ります」という意味である。民主主義の発達した米国であっても、地域のごみ処理場を建設する際、建設予定地の近隣住民の了解を取るのが難しいケースが多いようであり、そのような動きを表現する言葉として使われる。

我が国でも、原発、米軍基地、ごみ処理場にとどまらず、最近では火葬場や保育所の設置を嫌がる住民運動もあるようだ。いずれも総論としての必要性は分かるが各論として自分の「裏庭」に作られるのはなかなかイエスと言えないのかもしれない。しかし、こういった地域全体のこと皆のことこそ、一人ひとりが「自分事」として考える努力をすべきなのではないだろうか。

そうは言いつつも、他人事と自分事のバランスのとり方は難しいものだと考えさせられる長崎出張となった。

※ 日本での非主流派。格好は良いが中身が伴わず、最終的に勝ち残れないという意味合いで使われる。
--------------------------------------------------------------------------------------------------
【柏木 茂雄(かしわぎ しげお)氏プロフィール】慶應義塾大学経済学部卒業後、大蔵省(現財務省)入省。米国プリンストン大学修士。国際通貨基金(IMF)及びアジア開発銀行に合計12年間出向。財務省退官後、慶應義塾大学大学院商学研究科教授に就任。本年4月より現職。これまでの行政経験、国際経験を踏まえ、日本経済、財政政策、国際金融等、生きた経済を英語で教えている。特定非営利活動法人「国際人材創出支援センター」理事も務める。
――――――――――――――――――――――――――――――――
* 皆さんのご意見をお待ちしています。(800字以内でお願いします)
info@kosonippon.org
 いただいたご意見はバックナンバーと共に「読者の声」として以下に掲載しています。メルマガにて抜粋掲載をさせていただくこともございます。
http://www.kosonippon.org/mail/index.php