新日本プロレス:生涯現役という生き方2
2016年7月3日 お仕事【昨日のBlogにつづく】
会社内では必須の、同期やライバルたちへのスタンスにも触れておきたい。
というのは俺自身、闘魂三銃士の他2人を最初は敵視していたんだよ。この世界は弱肉強食だと思っていたし、3人ひとくくりで見られるのはゴメンだ、という気持ちもあった。でも、徐々に考えが変わっていった。
というのは、3人いるから、誰か1人が不調でも、それがあまり目立たなくなるんだよ。それどころか、3人のうち誰か1人が上にいれば、自然と他の2人も、並べて見てもらえるようになった。
これは、精神的に助かる部分だったよ。余談かもしれないけれど、闘魂三銃士の後の、永田(裕志)、中西(学)、天山(広吉)……いわゆる第3世代のレスラーは、そういう前向きな関係を作り出せなかったね。それどころか、互いが互いを蹴落とそうとしていた印象がある。でも、それは、ひいては自分も蹴落とすことに繋がってしまうんだ。
みなさんも、職場において、同期なりライバルなりがいることだろう。 でも、組織において、足の引っ張り合いは厳禁。自分にも会社にも、何もプラスを生みださないから。それよりも、共に上がっていこうとか、上回ってやろうという、前向きな気持ちが必要だ。
仕 事 に や る 気 が 出 な い 時 に は
こ う 考 え て ほ し い
俺自身、東日本大震災の慰問活動で、改めて、プロレスという娯楽を担う、自分の仕事の意義がわかった部分があった。行く前は逡巡があった。俺たちは、食べ物を作ってるわけでもなければ、医療行為がほどこせるわけでもないから。
ところが行ってみると、被災地の皆さんが、みんな喜んでくれたんだ。
「よく来てくれました!」「元気が出ました!」って。
そうだ、俺たちは、気持ちをヘルプすることはできるんだなって。精神に余裕のない状況だからこそ、それは必要なものだったんだって。
仕事って、「これ、何の役に立ってるんだろう」と感じることもあると思う。直接的な効果と無縁に見える時も多いと思うんだ。自分のためにやるという気持ちが持てないことも数多いだろう。
でもそんな時は、誰かをヘルプしてる、気持ちをヘルプしてる。そう考えてみていいんじゃないかな。
俺には父親が2人いると言ってもいいかも知れない。実の父と、プロレスという仕事上の父、アントニオ猪木さんだ。この2人が、俺の人生におよぼしたものは大きいね。
でも、それは反面教師的な部分も多い。
親父は製紙会社で働いていて、最終的には専務にまで上り詰めたんだけど、典型的な仕事人間だった。帰宅しても夜中の2時3時まで仕事をしているような。コピー機なんかもない時代だから、全部手書きで書類を写していた。
子供心に、見てて思ったよ。「こんな人生、俺には無理だ」って。
二 人 の 父 親 か ら 受 け 継 い だ も の
ところが、プロレスの世界に入ってみたら、他でもない猪木さんがそういう人間だったんだ。「24時間、プロレスのことしか考えてない」というか。
俺が猪木さんになるのを早々と諦めたのは先に言った通りだし、今、アパレル・ブランド「アリストトリスト」をやっているのは、親父と違って、本業以外の生き方も模索した結果だからね。
ただ、俺が本当にガキだった頃、喧嘩で警察に補導されて、父親が迎えにきてくれたことがあった。その時、親父が、俺に聞いたんだ。
「その喧嘩は、誰が先に手を出したんだ?」
俺は正直に、「俺です」と答えた。そしたら親父は言ったよ。
「ならいい。お前から仕掛けたのなら、それでいい。だけど、後ろから金魚のフンみたいについて行って、他人の喧嘩に乗るような男には、絶対になるな」
親父と、人生の歩み方は違っていたけれど、そういう姿勢は、プロレスでも貫けたと思ってる。
どんな時も、それは自分の人生。ビジネスにおいても、結局は自分で判断して進んでいく気持ちを忘れずにいてほしい。
会社内では必須の、同期やライバルたちへのスタンスにも触れておきたい。
というのは俺自身、闘魂三銃士の他2人を最初は敵視していたんだよ。この世界は弱肉強食だと思っていたし、3人ひとくくりで見られるのはゴメンだ、という気持ちもあった。でも、徐々に考えが変わっていった。
というのは、3人いるから、誰か1人が不調でも、それがあまり目立たなくなるんだよ。それどころか、3人のうち誰か1人が上にいれば、自然と他の2人も、並べて見てもらえるようになった。
これは、精神的に助かる部分だったよ。余談かもしれないけれど、闘魂三銃士の後の、永田(裕志)、中西(学)、天山(広吉)……いわゆる第3世代のレスラーは、そういう前向きな関係を作り出せなかったね。それどころか、互いが互いを蹴落とそうとしていた印象がある。でも、それは、ひいては自分も蹴落とすことに繋がってしまうんだ。
みなさんも、職場において、同期なりライバルなりがいることだろう。 でも、組織において、足の引っ張り合いは厳禁。自分にも会社にも、何もプラスを生みださないから。それよりも、共に上がっていこうとか、上回ってやろうという、前向きな気持ちが必要だ。
仕 事 に や る 気 が 出 な い 時 に は
こ う 考 え て ほ し い
俺自身、東日本大震災の慰問活動で、改めて、プロレスという娯楽を担う、自分の仕事の意義がわかった部分があった。行く前は逡巡があった。俺たちは、食べ物を作ってるわけでもなければ、医療行為がほどこせるわけでもないから。
ところが行ってみると、被災地の皆さんが、みんな喜んでくれたんだ。
「よく来てくれました!」「元気が出ました!」って。
そうだ、俺たちは、気持ちをヘルプすることはできるんだなって。精神に余裕のない状況だからこそ、それは必要なものだったんだって。
仕事って、「これ、何の役に立ってるんだろう」と感じることもあると思う。直接的な効果と無縁に見える時も多いと思うんだ。自分のためにやるという気持ちが持てないことも数多いだろう。
でもそんな時は、誰かをヘルプしてる、気持ちをヘルプしてる。そう考えてみていいんじゃないかな。
俺には父親が2人いると言ってもいいかも知れない。実の父と、プロレスという仕事上の父、アントニオ猪木さんだ。この2人が、俺の人生におよぼしたものは大きいね。
でも、それは反面教師的な部分も多い。
親父は製紙会社で働いていて、最終的には専務にまで上り詰めたんだけど、典型的な仕事人間だった。帰宅しても夜中の2時3時まで仕事をしているような。コピー機なんかもない時代だから、全部手書きで書類を写していた。
子供心に、見てて思ったよ。「こんな人生、俺には無理だ」って。
二 人 の 父 親 か ら 受 け 継 い だ も の
ところが、プロレスの世界に入ってみたら、他でもない猪木さんがそういう人間だったんだ。「24時間、プロレスのことしか考えてない」というか。
俺が猪木さんになるのを早々と諦めたのは先に言った通りだし、今、アパレル・ブランド「アリストトリスト」をやっているのは、親父と違って、本業以外の生き方も模索した結果だからね。
ただ、俺が本当にガキだった頃、喧嘩で警察に補導されて、父親が迎えにきてくれたことがあった。その時、親父が、俺に聞いたんだ。
「その喧嘩は、誰が先に手を出したんだ?」
俺は正直に、「俺です」と答えた。そしたら親父は言ったよ。
「ならいい。お前から仕掛けたのなら、それでいい。だけど、後ろから金魚のフンみたいについて行って、他人の喧嘩に乗るような男には、絶対になるな」
親父と、人生の歩み方は違っていたけれど、そういう姿勢は、プロレスでも貫けたと思ってる。
どんな時も、それは自分の人生。ビジネスにおいても、結局は自分で判断して進んでいく気持ちを忘れずにいてほしい。