J.I.Mail News 巻頭文: 政権ガバナンス考
2016年4月7日 お仕事■□■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
J.I.メールニュース No.751 2016.04.07 発行
「 政 権 ガ バ ナ ン ス を 改 め て 考 え る
-消 費 税 軽 減 税 率 を 巡 る 意 思 決 定 過 程 を 題 材 に - 」
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<巻頭寄稿文>
「政 権 ガ バ ナ ン ス を 改 め て 考 え る
- 消 費 税 軽 減 税 率 を 巡 る 意 思 決 定 過 程 を 題 材 に - 」
明治大学公共政策大学院教授 田 中 秀 明
昨年末、消費税を現行の8%から10%に引き上げる際に、食料品などについては税率を8%に留める軽減税率の導入が自民党と公明党の間で合意され、政府の2016年度税制改正に盛り込まれた。そして、それを具体化する税法が、去る3月29日、国会で成立した。
ここでは、政策を決定する際の「決定プロセスの問題」を取り上げたいと思う。
軽減税率の導入を巡っては、真に低所得者対策になるのか疑問が出され、議論は注目を集めたが、導入に至る意思決定過程については問題視されなかった。しかし、軽減税率を巡る両党間のどたばた劇は「議院内閣制における統治構造のあり方」からみて、実は大きな問題を含んでいる。
従来、税制改正は自民党税制調査会(通称「党税調」)が実質的に決めていた。具体的には、「与党(自公)」が、各省や利益団体の要求を調整して、減税や税制上の特別措置を決める(税制を所管する財務省も一定の関与)。
与党が決定した内容を、政府がそのまま「政府提案の法律(閣法)」として国会に提出する。したがって、形の上では政府(所管は財務省)が責任を負うが、中身を決定した「与党」は、その内容に責任をとらないのだ。更に、国会審議において与党は、自ら決めた内容だから、今更何も言う必要はなく、野党が異論を唱えるための形式的な場となっている。諸外国と比べて、日本の国会審議は空洞化しているといわれる所以である。
政策の内容を巡って、政府と与党の間で意見が異なるときがあるので、その場合は調整が必要となる。その調整を政府と与党の間で国民に見えない形で行うのではなく、国会で行うべきである。政府が提出する法案は政府がその内容に責任をもって提出する。もし、与党が政府提案の法案に異論あれば、問題を国会で議論し、必要があれば法案を修正すればよい。それこそが立法機関である国会の役割りであり、その方が、透明性が高く、論点が国民に明らかになる。
不思議なことに、税制に責任を持つ財務大臣はしばしば意思決定の蚊帳の外である(今回の軽減税率などはその典型例)。財源確保の問題など、麻生財務大臣が国会で答えられないことを与党が勝手に決めるのはおかしいという声も聞かれた。
こうした仕組みは「政府・与党二元体制」と呼ばれ、我が国の議院内閣制の問題としてこれまでも指摘されてきた。社会保障にせよ、エネルギーにせよ、政策は法律というかたちにする必要がある。法律には議員立法というものもあるが、我が国のほとんどの法律は政府が作成する。ただし、政府が作成するに当たり、事前に与党に了解を得る必要があり、しばしば与党は利益誘導の観点から政府の法律案を修正する。その修正は与党議員と役人の間で非公式に行われるので、国民の目には留まらない。税制については、更に与党主導で、与党が内容を直接決めるのである。
この二元体制を廃止し、政府に意思決定を一元化しようとしたのが民主党政権であった。法的な権限や責任のない与党議員が意思決定の中心にいるのはおかしいという理屈は正しかったが、大臣・副大臣・政務官ら政府に入った議員だけが政策に関わることなり、残った大多数の議員から不満が噴出し、政権はばらばらになってしまった。その結果、野田政権では、国会に提出する法案は与党の事前審査にかけるという自民党モデルに事実上戻った。
民主党政権から、2012年末自公政権に交代(復活)した。安倍第2次政権は、第1次政権の失敗を勉強し、官僚機構や「与党」をコントロールしている。その意味では内閣に権限が集中し、民主党が当初に掲げた英国型の議院内閣制に近づいているともいえる。むしろ安保法制など、官邸が「決めすぎる」とも批判されている。
しかし、それは官邸が強い関心を持つ、少数のテーマについてであり、多くの政策については旧来型の意思決定なのだ。
そして、今回の軽減税率導入の意思決定過程は、以下の様な事情により政府・与党二元体制が更に「ねじれる」ものであった。
従来は、党税調において情報が提出され様々な議論がなされて、税制改正内容が決まったが、今回は一体誰がどのような議論を行って、どのようなプロセスで決めたのか「公式な意思決定過程」がないのである。
新聞報道によれば、税制の秩序を重んじる自民党税調と政権維持のために公明党との選挙協力を優先する首相官邸が対立し、最後は、12月9日の安倍首相、菅官房長官、谷垣幹事長間の会談で、首相から「公明党とまとめるよう」指示が出て、最終決定がなされたという。
税制改正は政府提案の法律(閣法)になるので、閣議で議論して軽減税率導入を決めたのであれば、内閣が責任をもって決めたことになる。しかし、そうではなく、今回は、官邸が選挙対策のため自民党に圧力をかけて決めさせたということになる。
菅官房長官は、「これは政局だ。命懸けでやっている」(『日本経済新聞』2015年12月27日)と公明党を支援したという。税制という民主主義の根幹にかかわることが政治的な駆け引きの道具に終始する一方で、軽減税率が真に低所得者対策になるのか、その効果や影響についてデータに基づく冷静な議論や検討はおろそかになってしまった。
今年1月の国会審議では、軽減税率を加味した一人当たりの消費税負担額は、14,000円から27,000円に倍増した。これらは財務省の試算であるが、軽減税率の検討に当たって、最も重要なデータが後から出てくるのは全くナンセンスだ。
要するに、今回の軽減税率導入の意思決定過程は、政権ガバナンスに関わる重大な問題なのである。そして、これは税制だけに関わる問題ではなく、社会保障や原子力などあらゆる政策立案に関係する。責任の所在が曖昧であり、データに基づく冷静な検討が欠けているのでは、政策を間違えるリスクが高くなり、結局のところ、そのつけを負うのは我々国民である。
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田中 秀明(たなか ひであき)氏略歴:1985年東京工業大学大学院修了。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士、政策研究大学院大学博士。1985年旧大蔵省(現財務省)に入省。内閣官房、外務省、旧厚生省などで勤務。オーストラリア国立大学・一橋大学で教育・研究に従事。2012年より現職。財政・社会保障等が専門。著書に『日本の財政』(中公新書)など。
J.I.メールニュース No.751 2016.04.07 発行
「 政 権 ガ バ ナ ン ス を 改 め て 考 え る
-消 費 税 軽 減 税 率 を 巡 る 意 思 決 定 過 程 を 題 材 に - 」
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「政 権 ガ バ ナ ン ス を 改 め て 考 え る
- 消 費 税 軽 減 税 率 を 巡 る 意 思 決 定 過 程 を 題 材 に - 」
明治大学公共政策大学院教授 田 中 秀 明
昨年末、消費税を現行の8%から10%に引き上げる際に、食料品などについては税率を8%に留める軽減税率の導入が自民党と公明党の間で合意され、政府の2016年度税制改正に盛り込まれた。そして、それを具体化する税法が、去る3月29日、国会で成立した。
ここでは、政策を決定する際の「決定プロセスの問題」を取り上げたいと思う。
軽減税率の導入を巡っては、真に低所得者対策になるのか疑問が出され、議論は注目を集めたが、導入に至る意思決定過程については問題視されなかった。しかし、軽減税率を巡る両党間のどたばた劇は「議院内閣制における統治構造のあり方」からみて、実は大きな問題を含んでいる。
従来、税制改正は自民党税制調査会(通称「党税調」)が実質的に決めていた。具体的には、「与党(自公)」が、各省や利益団体の要求を調整して、減税や税制上の特別措置を決める(税制を所管する財務省も一定の関与)。
与党が決定した内容を、政府がそのまま「政府提案の法律(閣法)」として国会に提出する。したがって、形の上では政府(所管は財務省)が責任を負うが、中身を決定した「与党」は、その内容に責任をとらないのだ。更に、国会審議において与党は、自ら決めた内容だから、今更何も言う必要はなく、野党が異論を唱えるための形式的な場となっている。諸外国と比べて、日本の国会審議は空洞化しているといわれる所以である。
政策の内容を巡って、政府と与党の間で意見が異なるときがあるので、その場合は調整が必要となる。その調整を政府と与党の間で国民に見えない形で行うのではなく、国会で行うべきである。政府が提出する法案は政府がその内容に責任をもって提出する。もし、与党が政府提案の法案に異論あれば、問題を国会で議論し、必要があれば法案を修正すればよい。それこそが立法機関である国会の役割りであり、その方が、透明性が高く、論点が国民に明らかになる。
不思議なことに、税制に責任を持つ財務大臣はしばしば意思決定の蚊帳の外である(今回の軽減税率などはその典型例)。財源確保の問題など、麻生財務大臣が国会で答えられないことを与党が勝手に決めるのはおかしいという声も聞かれた。
こうした仕組みは「政府・与党二元体制」と呼ばれ、我が国の議院内閣制の問題としてこれまでも指摘されてきた。社会保障にせよ、エネルギーにせよ、政策は法律というかたちにする必要がある。法律には議員立法というものもあるが、我が国のほとんどの法律は政府が作成する。ただし、政府が作成するに当たり、事前に与党に了解を得る必要があり、しばしば与党は利益誘導の観点から政府の法律案を修正する。その修正は与党議員と役人の間で非公式に行われるので、国民の目には留まらない。税制については、更に与党主導で、与党が内容を直接決めるのである。
この二元体制を廃止し、政府に意思決定を一元化しようとしたのが民主党政権であった。法的な権限や責任のない与党議員が意思決定の中心にいるのはおかしいという理屈は正しかったが、大臣・副大臣・政務官ら政府に入った議員だけが政策に関わることなり、残った大多数の議員から不満が噴出し、政権はばらばらになってしまった。その結果、野田政権では、国会に提出する法案は与党の事前審査にかけるという自民党モデルに事実上戻った。
民主党政権から、2012年末自公政権に交代(復活)した。安倍第2次政権は、第1次政権の失敗を勉強し、官僚機構や「与党」をコントロールしている。その意味では内閣に権限が集中し、民主党が当初に掲げた英国型の議院内閣制に近づいているともいえる。むしろ安保法制など、官邸が「決めすぎる」とも批判されている。
しかし、それは官邸が強い関心を持つ、少数のテーマについてであり、多くの政策については旧来型の意思決定なのだ。
そして、今回の軽減税率導入の意思決定過程は、以下の様な事情により政府・与党二元体制が更に「ねじれる」ものであった。
従来は、党税調において情報が提出され様々な議論がなされて、税制改正内容が決まったが、今回は一体誰がどのような議論を行って、どのようなプロセスで決めたのか「公式な意思決定過程」がないのである。
新聞報道によれば、税制の秩序を重んじる自民党税調と政権維持のために公明党との選挙協力を優先する首相官邸が対立し、最後は、12月9日の安倍首相、菅官房長官、谷垣幹事長間の会談で、首相から「公明党とまとめるよう」指示が出て、最終決定がなされたという。
税制改正は政府提案の法律(閣法)になるので、閣議で議論して軽減税率導入を決めたのであれば、内閣が責任をもって決めたことになる。しかし、そうではなく、今回は、官邸が選挙対策のため自民党に圧力をかけて決めさせたということになる。
菅官房長官は、「これは政局だ。命懸けでやっている」(『日本経済新聞』2015年12月27日)と公明党を支援したという。税制という民主主義の根幹にかかわることが政治的な駆け引きの道具に終始する一方で、軽減税率が真に低所得者対策になるのか、その効果や影響についてデータに基づく冷静な議論や検討はおろそかになってしまった。
今年1月の国会審議では、軽減税率を加味した一人当たりの消費税負担額は、14,000円から27,000円に倍増した。これらは財務省の試算であるが、軽減税率の検討に当たって、最も重要なデータが後から出てくるのは全くナンセンスだ。
要するに、今回の軽減税率導入の意思決定過程は、政権ガバナンスに関わる重大な問題なのである。そして、これは税制だけに関わる問題ではなく、社会保障や原子力などあらゆる政策立案に関係する。責任の所在が曖昧であり、データに基づく冷静な検討が欠けているのでは、政策を間違えるリスクが高くなり、結局のところ、そのつけを負うのは我々国民である。
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田中 秀明(たなか ひであき)氏略歴:1985年東京工業大学大学院修了。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス修士、政策研究大学院大学博士。1985年旧大蔵省(現財務省)に入省。内閣官房、外務省、旧厚生省などで勤務。オーストラリア国立大学・一橋大学で教育・研究に従事。2012年より現職。財政・社会保障等が専門。著書に『日本の財政』(中公新書)など。