【2014年5月28日 第342回生涯現役シリーズ塾(午後の部)講演】

  「 日 本 的 ベ ン チ ャ ー を 学 ぶ 」 要 旨                         
                    
                      講 師: 中上 崇(たかし)
                        日本生涯現役推進協会 理事 
                        メタリンク創業、ベンチャー・コンサルタント
                        一般社団法人日本開発工学会 会長、
                        日本電子機器輸入協会 会長 他

  時代背景的には、1964年はまだ米ドルしか国際通貨は認められなかった。しかしやっと1965年には米ドルの自由化になり、日本でも活発に世界から優秀な工業製品や部品の取引が可能になった。田舎で生まれ、東京の大学で学び、日本人として生まれてきたのは、一体どういうことなのか?私の成功をしたいという思いは、「自分の価値を世間に問うて」生きゆくことである。自分が納得し、回りのみんなからも納得してくれるような生き方することなのです。
  ベンチャ-に取り組み始めた切っ掛けは、大学を卒業し企業に3年間勤めたが、自分の人生観や職業人生を考えていると、単なる給与生活者になって「雇われる働き方」では、せっかくの生をうけた人生が充実していかないと考えた。この考え方を深めると「自分の価値を世間に問う」ことが大切なのだという発想への展開になっていた。
  当時の中小企業庁にはまったくベンチャー企業を育てようという行政担当者はいないし、政府も危機感もなく、ベンチャー企業を育てる経営者・学者・指導者はいなかった時代である。そして、日本の企業構造はまた、前近代的な様相でした。たとえば、1974年頃は日本経済の2重構造がはっきりしていた。
  ベンチャー企業の条件は良い売れる技術を持っていることから始まった。技術だけを持っていることは最低限の条件ですが、技術を活かして初めてビジネスが成り立つ訳です。しかし、大手企業には1次・2次・3次という下請け制度が存在し、さらに4次・5次というようの劣悪な搾取構造になっていた。
  ベンチャーを志して開業したころ、日本は丁度ベンチャーの黎明期であり、段々同じ志の起業家があらわれ始めて来た。しかし、ベンチャー論を次世代に教える人たちがまだ殆ど居なかった。まだ、ベンチャーを始めたが限りなく失敗や成功をしているわけで、教えるような体験や知識を持っているわけではない。
  中上氏が考えるベンチャーとは①「人間の生き方」②「人間の価値観が、その人の個性に合っている」③「雇われた生き方ではない」④「雇われない生き方」⑤「自分が何をしたいかの基準で起業すること」⑥「自分ができることやる」⑦「自分が出来ないことはやらない」。
  すなわち自分のやりたい事を集中してやるから、自分の才能も磨かれて、自分の才能がなんであるかがわかる、そして幸福とはなんであるのかがわかる。ベンチャーとは分業であり、やりたいひとにさせてあげて応援をする。できる人に分け与える。
  中上氏の一生は、ベンチャ-起業をスタートして楽しむのがベンチャー経営の神髄です。あれやこれやと自分の才能を自分の会社で使って行くことです。これまで十分にベンチャーをやり続けてきた、そして自己満足ができるような死に方ができるようにしたい。(結び)

  次回は、事例を紹介する。沢山の事例から具体的なベンチャー行動がとれるような研究会にしていく。前回に参加しない方でもその都度独立した、会合にしていく。(要旨記録:NPO法人LVクラブ 日本的ベンチャーを学ぶ 担当水上久忠/次回会合は7月23日(水)13時~15時まで。八重洲口グラブ事務所にて開催。