民と官、官と民:どちらが機関車役か⁈
2017年9月19日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
一昨9/17日付の日経新聞「風見鶏」欄(ご参考URL=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO21230980X10C17A9EA3000/)で以下「官と民 どちらが機関車か?」という論旨(大石 格論説委員)を見付けた。その論旨には国民の一人として、無関心では済まされぬ日本社会の窮状放置があるような気がする。だから、それを無視することなく、この際ぜひともご一緒に考えたいと思う。
というのは、『生涯現役プロデューサー』仮登録皆様のお立場から、『生涯現役社会創り』の本来あるべき姿も、民>官 なのか 、それとも官>民なのかの、一体どちらに主導性が存在する方が、より高度な経済効果を日本全体に波及できるのか、冷静に判断していただきたい故だ。
つまり、これから皆様ご自身が主体的な実践行動で、どちらの選択肢を選ぶべきか、当然ながら存分に熟慮された上での、自信ある行動を採っていただけないと、本物の『生涯現役社会プラットフォーム』は達成できないと確信できるからだ。
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(風見鶏)官と民、どちらが機関車か
半ドンを今風に言やプレミアム――。
少し前、毎日新聞の川柳欄にこんな投稿が載っていた。安倍晋三首相の肝煎りと銘を打ったわりに、さっぱり盛り上がらないプレミアムフライデーをからかった一句である。
安倍政権は賃上げその他いろいろなことで音頭を取りたがる。水戸黄門や大岡越前といった庶民の味方を気取っているのかもしれないが、官が民にやたらと口出しするのは褒められたことではない。
他方、日本には長いものに巻かれろ的な考えが根強くあり、政府が動かないとものごとが進んでいかないのも事実である。
冒頭で触れた半ドンは、明治時代の初めに官公庁が土曜半休になったことで、民間にも広まった。江戸時代には土曜半休どころか、ほぼ休みもなく働いていた商家の奉公人らにとってはお上さまさまだったに違いない。
その半ドンが全ドン、すなわち週休2日制に移行するのは民間の方が早かった。先駆けとなったのは松下電器(現パナソニック)である。経営の神様、松下幸之助氏が「日本の扉を開ける」と宣言し、欧米流の勤務体制を導入したのは1965年のことだ。
国家公務員は81年に4週5休、88年に4週6休になった。鈴木善幸首相や中曽根康弘首相が行政改革に取り組んでいた時期で、公務員は何かにつけて月給泥棒呼ばわりされていた。
「公務員も民間並みに休むのは許されるべきだ」
当時の日経新聞の社説を読み返すとそう書いてあった。ただし、「とかく批判されがちな勤務ぶりを改めてもらわなければならない」との条件付きだ。官はおそるおそる民の後ろをついていく感じだった。
世論を最も二分したのが土曜閉庁の是非だ。当時はサラリーマンが平日に会社を休むことなど考えられず、住民票を取るにしても、土曜に役所に行くことが多かった。よりによってその日が閉庁かよ、という反発は大きかった。
土曜閉庁を進めるため、政府がひねり出したのが、「官が進めば民間の休日増にも側面援助になる」という理屈だ。高鳥修総務庁長官のそんな言い分をうのみにして記事を書いたのを覚えている。
土曜閉庁は89年1月に始まった。すでに決まっていた銀行など金融機関の土曜休業スタートより1カ月早かった。高鳥氏は「準備が間に合わない」と渋る各省庁の尻をたたいて、官先行にこだわった。
官が民を引っ張る機関車役を務めるという構図を印象付けて、土曜閉庁批判をかわそうとしたのだ。
先日、政府は公務員の定年を原則60歳から65歳に引き上げる方針を明らかにした。現在はいったん退職し、65歳まで働きたい職員は再任用する仕組みだ。
厚生労働省の高年齢者雇用状況調査によると、すでに民間企業の14.9%が定年を65歳に引き上げたそうだ。そうした民間の動向を踏まえれば、拙速ではないというのが政府高官の説明だが、果たしてうのみにしてよいものかどうか。
民間で65歳定年が増えだしたのは、少子高齢化に伴う労働力不足で、新入社員がなかなか入ってこないからだ。できれば若い社員で充足したいというのが多くの企業の本音だろう。
長年の仕組みを変えるには官民の協力が重要であり、どちらか一方があまり張り切りすぎるとかえってうまくいかないものだ。
安倍政権は独りよがりになっていないか。公務員の定年延長問題を注視していれば、官民関係のいまが見えてくるだろう。(編集委員 大石格)
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
一昨9/17日付の日経新聞「風見鶏」欄(ご参考URL=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO21230980X10C17A9EA3000/)で以下「官と民 どちらが機関車か?」という論旨(大石 格論説委員)を見付けた。その論旨には国民の一人として、無関心では済まされぬ日本社会の窮状放置があるような気がする。だから、それを無視することなく、この際ぜひともご一緒に考えたいと思う。
というのは、『生涯現役プロデューサー』仮登録皆様のお立場から、『生涯現役社会創り』の本来あるべき姿も、民>官 なのか 、それとも官>民なのかの、一体どちらに主導性が存在する方が、より高度な経済効果を日本全体に波及できるのか、冷静に判断していただきたい故だ。
つまり、これから皆様ご自身が主体的な実践行動で、どちらの選択肢を選ぶべきか、当然ながら存分に熟慮された上での、自信ある行動を採っていただけないと、本物の『生涯現役社会プラットフォーム』は達成できないと確信できるからだ。
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(風見鶏)官と民、どちらが機関車か
半ドンを今風に言やプレミアム――。
少し前、毎日新聞の川柳欄にこんな投稿が載っていた。安倍晋三首相の肝煎りと銘を打ったわりに、さっぱり盛り上がらないプレミアムフライデーをからかった一句である。
安倍政権は賃上げその他いろいろなことで音頭を取りたがる。水戸黄門や大岡越前といった庶民の味方を気取っているのかもしれないが、官が民にやたらと口出しするのは褒められたことではない。
他方、日本には長いものに巻かれろ的な考えが根強くあり、政府が動かないとものごとが進んでいかないのも事実である。
冒頭で触れた半ドンは、明治時代の初めに官公庁が土曜半休になったことで、民間にも広まった。江戸時代には土曜半休どころか、ほぼ休みもなく働いていた商家の奉公人らにとってはお上さまさまだったに違いない。
その半ドンが全ドン、すなわち週休2日制に移行するのは民間の方が早かった。先駆けとなったのは松下電器(現パナソニック)である。経営の神様、松下幸之助氏が「日本の扉を開ける」と宣言し、欧米流の勤務体制を導入したのは1965年のことだ。
国家公務員は81年に4週5休、88年に4週6休になった。鈴木善幸首相や中曽根康弘首相が行政改革に取り組んでいた時期で、公務員は何かにつけて月給泥棒呼ばわりされていた。
「公務員も民間並みに休むのは許されるべきだ」
当時の日経新聞の社説を読み返すとそう書いてあった。ただし、「とかく批判されがちな勤務ぶりを改めてもらわなければならない」との条件付きだ。官はおそるおそる民の後ろをついていく感じだった。
世論を最も二分したのが土曜閉庁の是非だ。当時はサラリーマンが平日に会社を休むことなど考えられず、住民票を取るにしても、土曜に役所に行くことが多かった。よりによってその日が閉庁かよ、という反発は大きかった。
土曜閉庁を進めるため、政府がひねり出したのが、「官が進めば民間の休日増にも側面援助になる」という理屈だ。高鳥修総務庁長官のそんな言い分をうのみにして記事を書いたのを覚えている。
土曜閉庁は89年1月に始まった。すでに決まっていた銀行など金融機関の土曜休業スタートより1カ月早かった。高鳥氏は「準備が間に合わない」と渋る各省庁の尻をたたいて、官先行にこだわった。
官が民を引っ張る機関車役を務めるという構図を印象付けて、土曜閉庁批判をかわそうとしたのだ。
先日、政府は公務員の定年を原則60歳から65歳に引き上げる方針を明らかにした。現在はいったん退職し、65歳まで働きたい職員は再任用する仕組みだ。
厚生労働省の高年齢者雇用状況調査によると、すでに民間企業の14.9%が定年を65歳に引き上げたそうだ。そうした民間の動向を踏まえれば、拙速ではないというのが政府高官の説明だが、果たしてうのみにしてよいものかどうか。
民間で65歳定年が増えだしたのは、少子高齢化に伴う労働力不足で、新入社員がなかなか入ってこないからだ。できれば若い社員で充足したいというのが多くの企業の本音だろう。
長年の仕組みを変えるには官民の協力が重要であり、どちらか一方があまり張り切りすぎるとかえってうまくいかないものだ。
安倍政権は独りよがりになっていないか。公務員の定年延長問題を注視していれば、官民関係のいまが見えてくるだろう。(編集委員 大石格)