「敬老の日」スポーツ/趣味に生涯現役
2017年9月18日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
徳島新聞Web 2017/9/18 10:11
URL http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/09/2017_1505697167504.html
「 敬 老 の 日 」
ス ポ ー ツ に 趣 味 に 生 涯 現 役 尽 き ぬ 情 熱
18日は敬老の日。高齢になっても、生涯現役と言わんばかりにスポーツや趣味に情熱を燃やし続ける人たちがいる。
◆ 児童にサッカー指導 安崎敦彦さん(83) 吉野川市
吉野川市の山川少年サッカークラブの監督を長年続ける安崎敦彦さん(83)=同市山川町翁喜台=は、試合や練習に励む選手一人一人を優しく見守っている。「サッカーを通じて子どもたちが成長する姿を見るのが何よりうれしい」と、真っ黒に日焼けした顔をほころばせる。
サッカーと関わり始めたのは、会社員だった35年以上前。地元の山瀬小学校にサッカークラブが発足し、長男が入部したのを機にコーチ就任を求められた。無縁のスポーツだったが「ストレッチくらいなら手伝える」と請け合った。
間もなく初代監督が辞め、安崎さんに白羽の矢が立った。サッカーが日本ではマイナーだった1980年代。指導法を紹介した映像や専門書は少なかった。仕事と指導の合間を縫って強豪チームの試合を見学し、テクニックや戦術を学んだ。
国体出場経験のあるコーチも加わり、チームは急成長。93年のJリーグ発足でサッカー人気が高まり、スタート時は十数人だった選手は一時80人ほどに膨れ上がった。県大会優勝や全国大会出場も成し遂げ、強豪として名を知られるようになった。
今は、技術指導は後進に任せ、大会運営や各種会合への出席などの対外的な業務を担う。それでも試合では会場に駆け付け、負けたときは精神面のフォローを心掛ける。
「サッカーの素人だった自分が長年続けてこられたのも周囲の支えがあったからこそ。これからも多くの人たちとの交流を大切にしたい」。
◆ 「看板娘」元気に接客 網干シナエさん(87) 牟岐町
「最近仕事の調子はどうなん」「お子さんは元気にしとるん」。牟岐町中村の居酒屋「英(はなぶさ)」で、従業員の網干(あぼし)シナエさん(87)=同町灘=が愛想よく客に話し掛ける。店内を歩き回り、年齢を感じさせない元気な接客で常連の人気者。現役の看板娘だ。
長年、主婦として漁師の夫を支えてきたが、約30年前に次男の洋介さん(65)が居酒屋を始めたのをきっかけに、従業員として働き始めた。店では焼き物や煮物を作ったり、料理を運んだりしている。週1回の定休日以外は毎日出勤する。
店内を見回すと、折り紙細工や手まり、手編みの小物などが飾られている。にぎやかな装飾は全て網干さんの手作りだ。約50年前から趣味で小物を作り始め、動物の人形や草花を模した折り紙など、作品はこれまでに千点を超える。
店が忙しくない日は客席で裁縫や折り紙をする。常連客の子どもから「ばあば、作り方教えて」と言われ、一緒に作ることも。出来上がった小物はプレゼントする。「かわいい」「また作って」と喜んでくれるのがうれしい。
創作意欲は衰えず、休日も没頭することがある。「糸を通す針の穴が見えるうちは、ずっと続けていきたいねえ」
これまで作品を外に出したことはなかったが、知り合いの町立図書館職員から勧められ、来年6月に同館で初の個展を開くことになった。照れくさそうに「今がとっても楽しい」と笑顔を見せた。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
徳島新聞Web 2017/9/18 10:11
URL http://www.topics.or.jp/localNews/news/2017/09/2017_1505697167504.html
「 敬 老 の 日 」
ス ポ ー ツ に 趣 味 に 生 涯 現 役 尽 き ぬ 情 熱
18日は敬老の日。高齢になっても、生涯現役と言わんばかりにスポーツや趣味に情熱を燃やし続ける人たちがいる。
◆ 児童にサッカー指導 安崎敦彦さん(83) 吉野川市
吉野川市の山川少年サッカークラブの監督を長年続ける安崎敦彦さん(83)=同市山川町翁喜台=は、試合や練習に励む選手一人一人を優しく見守っている。「サッカーを通じて子どもたちが成長する姿を見るのが何よりうれしい」と、真っ黒に日焼けした顔をほころばせる。
サッカーと関わり始めたのは、会社員だった35年以上前。地元の山瀬小学校にサッカークラブが発足し、長男が入部したのを機にコーチ就任を求められた。無縁のスポーツだったが「ストレッチくらいなら手伝える」と請け合った。
間もなく初代監督が辞め、安崎さんに白羽の矢が立った。サッカーが日本ではマイナーだった1980年代。指導法を紹介した映像や専門書は少なかった。仕事と指導の合間を縫って強豪チームの試合を見学し、テクニックや戦術を学んだ。
国体出場経験のあるコーチも加わり、チームは急成長。93年のJリーグ発足でサッカー人気が高まり、スタート時は十数人だった選手は一時80人ほどに膨れ上がった。県大会優勝や全国大会出場も成し遂げ、強豪として名を知られるようになった。
今は、技術指導は後進に任せ、大会運営や各種会合への出席などの対外的な業務を担う。それでも試合では会場に駆け付け、負けたときは精神面のフォローを心掛ける。
「サッカーの素人だった自分が長年続けてこられたのも周囲の支えがあったからこそ。これからも多くの人たちとの交流を大切にしたい」。
◆ 「看板娘」元気に接客 網干シナエさん(87) 牟岐町
「最近仕事の調子はどうなん」「お子さんは元気にしとるん」。牟岐町中村の居酒屋「英(はなぶさ)」で、従業員の網干(あぼし)シナエさん(87)=同町灘=が愛想よく客に話し掛ける。店内を歩き回り、年齢を感じさせない元気な接客で常連の人気者。現役の看板娘だ。
長年、主婦として漁師の夫を支えてきたが、約30年前に次男の洋介さん(65)が居酒屋を始めたのをきっかけに、従業員として働き始めた。店では焼き物や煮物を作ったり、料理を運んだりしている。週1回の定休日以外は毎日出勤する。
店内を見回すと、折り紙細工や手まり、手編みの小物などが飾られている。にぎやかな装飾は全て網干さんの手作りだ。約50年前から趣味で小物を作り始め、動物の人形や草花を模した折り紙など、作品はこれまでに千点を超える。
店が忙しくない日は客席で裁縫や折り紙をする。常連客の子どもから「ばあば、作り方教えて」と言われ、一緒に作ることも。出来上がった小物はプレゼントする。「かわいい」「また作って」と喜んでくれるのがうれしい。
創作意欲は衰えず、休日も没頭することがある。「糸を通す針の穴が見えるうちは、ずっと続けていきたいねえ」
これまで作品を外に出したことはなかったが、知り合いの町立図書館職員から勧められ、来年6月に同館で初の個展を開くことになった。照れくさそうに「今がとっても楽しい」と笑顔を見せた。