趣味/仕事に現役万歳 80代充実日々
2017年9月17日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
高知新聞ニュース/2017.09.17 08:30
ご参考URL=http://www.kochinews.co.jp/article/126030/
あす「敬老の日」 趣味に仕事に現役万歳 80代充実の日々
現役バリバリの社長さんも、新たな楽しみを見つけ熱中する元先生も、充実の今を生きている。 「生涯現役よ」「簡単には死なん」。ますます意気軒高な笑い声が響く、あす18日は「敬老の日」。
鉄加工を生きがいに 南国市の徳弘信喜さん(87)
パチバチ、バチ。レーザーが鉄の板を焼き切る音が響く。高知県南国市廿枝の徳弘鉄工所。「よし、今度はうまくいった」。87歳の現役社長、徳弘信喜さんにとって、愛機を操り思い通りに加工できた瞬間が至福の時だ。
会社勤めを経て、1965年ごろに自動車修理工場を立ち上げ独立。しばらくして鉄工所に業態を変えた。
15年ほどは農機具メーカーの下請けで溶接を主体にしていたが、他の工場が突然キャンセルしたパンチプレス機を、業者に頼まれて購入。これを機に工場の機械化を進め、県内では珍しかったレーザー加工機もいち早く導入した。
「当時はなんぼでも仕事があった」。昼は工場、夜は部屋で機械のデータを打ち込む生活だった。妻の陽子さん(80)は「働く一方やった。この人の趣味は仕事」と言い切る。
その姿勢はずっと変わらない。工場を夫婦で切り盛りするようになった今も毎日午前9時から午後5時まで工場で過ごす。依頼が途切れず舞い込むからだ。
信喜さんが「ありがたいことに、おんちゃんがやめたら困ると言うてくれる人がおる。生涯、現役よ」と言えば、「人の役に立つのが今の生きがいやね」と陽子さん。息ぴったりの2人。
ただ、陽子さんには心配事もある。信喜さんが80歳を前に始めたモーターパラグライダーだ。「仕事がない時はすぐ飛びに行く。仕事を入れちょかないかん」。夫婦漫才のようなやりとりは止まらない。
独学で折り鶴“名人”高知市の成岡和陽さん(81)
大きな手から生み出される繊細な折り鶴―。16羽の鶴が編隊を組んで飛ぶような作品を作ったのは、高知市介良の“名人”成岡和陽(かずはる)さん(81)。全てがつながっていて、1枚の紙で折り上げる。「連鶴はつなぎかたで全く違う作品になるし、奥が深い。他に目が向かん」と、工夫を凝らした鶴作りに夢中だ。
成岡さんは5年ほど前、「ぼけ防止に」と造花や船の模型などを作り始めたが、すぐに「作ったものを置く場所がのうなった」。そんな時、妻の道子さん(73)がたまたまもらってきたつながった折り鶴が目にとまった。すぐに分解し、折り方を研究。「これならできる」と、独学で折り鶴の世界に踏み込んだ。
どこがどうつながるのか混乱しがちだが、元高校数学教師で図形に強い成岡さんにはお手のもの。「鶴のどこをつなげるか図面にし、思いついたのをすっと作ります」と笑う。
1年余りで千個以上を折り、「高知平和美術展」にも出展するほどの腕前になった。16羽の折り鶴がつながった「十六文字」や親鶴の尾に子鶴がついた「村雲」などを展示した。
「手は大きいし、指も短いから器用じゃない」という成岡さん。「誰かにポッと鶴をあげて、喜ばれたらそれでえい」と、ポケットにはいつも折り鶴を入れている。「鶴は千年」と縁起のいい鳥。「まだまだやりたいことあるき、簡単には死なん」と元気に笑った。
県内の明治生まれ35人 100歳以上は658人
高知県内の100歳以上の人は年々増え、658人(9月5日現在)。このうち1912年7月30日以前に誕生した「明治生まれ」の人は35人で、昨年から47人減った。
今年105歳になった人の一部と、106歳以上の人たちが該当する。高知新聞が各市町村に問い合わせたところ、明治生まれの人は16市町におり、内訳は男性3人、女性32人。昨年から男性は3人、女性は44人減った。
元号が明治から大正に変わった1912年。2年後の14年には第1次世界大戦が始まり、太平洋戦争の終戦を30代で迎えるなど、明治生まれの人たちは激動の時代を生きた。
100歳以上の人は「百寿者」、105歳以上の人は「超百寿者」と呼ばれる。介護なしに自立して暮らす「健康寿命」を長く維持している人が多いことが近年分かり、健康長寿のモデルとして研究も進んでいる。
県内最高齢は1908(明治41)年生まれの山本忠子さん(108)=高岡郡佐川町。10月には109歳の誕生日を迎える。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
高知新聞ニュース/2017.09.17 08:30
ご参考URL=http://www.kochinews.co.jp/article/126030/
あす「敬老の日」 趣味に仕事に現役万歳 80代充実の日々
現役バリバリの社長さんも、新たな楽しみを見つけ熱中する元先生も、充実の今を生きている。 「生涯現役よ」「簡単には死なん」。ますます意気軒高な笑い声が響く、あす18日は「敬老の日」。
鉄加工を生きがいに 南国市の徳弘信喜さん(87)
パチバチ、バチ。レーザーが鉄の板を焼き切る音が響く。高知県南国市廿枝の徳弘鉄工所。「よし、今度はうまくいった」。87歳の現役社長、徳弘信喜さんにとって、愛機を操り思い通りに加工できた瞬間が至福の時だ。
会社勤めを経て、1965年ごろに自動車修理工場を立ち上げ独立。しばらくして鉄工所に業態を変えた。
15年ほどは農機具メーカーの下請けで溶接を主体にしていたが、他の工場が突然キャンセルしたパンチプレス機を、業者に頼まれて購入。これを機に工場の機械化を進め、県内では珍しかったレーザー加工機もいち早く導入した。
「当時はなんぼでも仕事があった」。昼は工場、夜は部屋で機械のデータを打ち込む生活だった。妻の陽子さん(80)は「働く一方やった。この人の趣味は仕事」と言い切る。
その姿勢はずっと変わらない。工場を夫婦で切り盛りするようになった今も毎日午前9時から午後5時まで工場で過ごす。依頼が途切れず舞い込むからだ。
信喜さんが「ありがたいことに、おんちゃんがやめたら困ると言うてくれる人がおる。生涯、現役よ」と言えば、「人の役に立つのが今の生きがいやね」と陽子さん。息ぴったりの2人。
ただ、陽子さんには心配事もある。信喜さんが80歳を前に始めたモーターパラグライダーだ。「仕事がない時はすぐ飛びに行く。仕事を入れちょかないかん」。夫婦漫才のようなやりとりは止まらない。
独学で折り鶴“名人”高知市の成岡和陽さん(81)
大きな手から生み出される繊細な折り鶴―。16羽の鶴が編隊を組んで飛ぶような作品を作ったのは、高知市介良の“名人”成岡和陽(かずはる)さん(81)。全てがつながっていて、1枚の紙で折り上げる。「連鶴はつなぎかたで全く違う作品になるし、奥が深い。他に目が向かん」と、工夫を凝らした鶴作りに夢中だ。
成岡さんは5年ほど前、「ぼけ防止に」と造花や船の模型などを作り始めたが、すぐに「作ったものを置く場所がのうなった」。そんな時、妻の道子さん(73)がたまたまもらってきたつながった折り鶴が目にとまった。すぐに分解し、折り方を研究。「これならできる」と、独学で折り鶴の世界に踏み込んだ。
どこがどうつながるのか混乱しがちだが、元高校数学教師で図形に強い成岡さんにはお手のもの。「鶴のどこをつなげるか図面にし、思いついたのをすっと作ります」と笑う。
1年余りで千個以上を折り、「高知平和美術展」にも出展するほどの腕前になった。16羽の折り鶴がつながった「十六文字」や親鶴の尾に子鶴がついた「村雲」などを展示した。
「手は大きいし、指も短いから器用じゃない」という成岡さん。「誰かにポッと鶴をあげて、喜ばれたらそれでえい」と、ポケットにはいつも折り鶴を入れている。「鶴は千年」と縁起のいい鳥。「まだまだやりたいことあるき、簡単には死なん」と元気に笑った。
県内の明治生まれ35人 100歳以上は658人
高知県内の100歳以上の人は年々増え、658人(9月5日現在)。このうち1912年7月30日以前に誕生した「明治生まれ」の人は35人で、昨年から47人減った。
今年105歳になった人の一部と、106歳以上の人たちが該当する。高知新聞が各市町村に問い合わせたところ、明治生まれの人は16市町におり、内訳は男性3人、女性32人。昨年から男性は3人、女性は44人減った。
元号が明治から大正に変わった1912年。2年後の14年には第1次世界大戦が始まり、太平洋戦争の終戦を30代で迎えるなど、明治生まれの人たちは激動の時代を生きた。
100歳以上の人は「百寿者」、105歳以上の人は「超百寿者」と呼ばれる。介護なしに自立して暮らす「健康寿命」を長く維持している人が多いことが近年分かり、健康長寿のモデルとして研究も進んでいる。
県内最高齢は1908(明治41)年生まれの山本忠子さん(108)=高岡郡佐川町。10月には109歳の誕生日を迎える。