<きたかん遺産>
    群 馬 発 祥 の 還 暦 野 球
              生 涯 現 役 の び の び 白 球 追 う 

 「さあ来い」「ワンバン、ワンバンで捕れよっ」。マウンドに元気な声が響く。ユニホーム姿に白髪が目立つ選手たちが、懸命に白球を追い掛ける。七十歳以上が主体の古希野球チーム「全(オール)前橋野球倶楽部」の選手たちが、前橋市内の野球場でノック練習に励んでいた。

 三十四人いるメンバーは元高校球児や職場の草野球チームから始めた人などさまざま。長沢紀世寿(きよじ)監督(76)は「よせ集めだけど、やっぱり野球が好きな連中ばっかりで、和気あいあいなチームだね」と目を細める。

 長沢監督はメンバーの弱い所を直すのではなく、得意な所を生かすようにチームづくりに取り組んでいるという。「みんな七十過ぎた人ばっかりだから、あれ直せこれ直せって言ったってもう直りっこねえですよ」と笑う。チームのモットーは「生涯現役」と「健康第一」。週に二回集まり、のびのびと野球を楽しんでいる。

 群馬県は、六十歳以上が主体となる「還暦野球」の発祥の地だ。「古希野球」は、六十歳近くの“若手”が増え、出番が少なくなってきた先輩の声に応えてつくられた七十歳以上が主体のリーグ。七十五歳以上の「グランド古希野球」、八十歳以上の「傘寿チーム」も合わせると、群馬には全国で最も多い百八チームがあり、全国大会出場を目指して練習している。

 県還暦野球連盟によると、元日恒例のニューイヤー駅伝inぐんま(全日本実業団対抗駅伝競走大会)を誘致するなど「スポーツ知事」と呼ばれた当時の清水一郎知事が、「野球を生涯スポーツに」と提唱したことがきっかけで各地にチームが発足した。

 一九八一(昭和五十六)年には全国で初めて還暦野球連盟が発足。これをきっかけに全国に還暦野球が広まり、八五年には十八都道府県の二十五チームが参加して第一回全日本大会が群馬で開かれた。初代王者になった桐生OB野球クラブは、その後三連覇を達成し、発祥の地としてのレベルの高さを印象づけた。

 野球好きの県民性に加え、野球を楽しむ層の厚さも還暦野球の人気を支えている。群馬では四十歳からの壮年野球、五十歳からの熟年野球も盛んで、何歳になっても野球ができる環境が整っている。

 全前橋野球倶楽部の古株、清水豊彦さん(80)の野球歴はなんと約六十年。小学校高学年のころから野球を始め、クラブチームなどでプレー。一時中断したが、四十歳代で壮年野球に誘われてからは途切れることなく野球を続けている。

 野球のおかげか、これまで大病もなく二日以上寝込んだことはないという。「まさかこれほど長く続けるとは思わなかったが、野球はやっぱり楽しいね」。現在はグランド古希野球のチームも掛け持ちし、生涯現役を貫くつもりだ。  =終わり

◆私の認定理由
 昨年四月、渋川市であった北毛地区還暦親善野球大会(同大会実行委員会主催、東京新聞など後援)の開会式。代表の選手が「この年になっても野球ができることに感謝し、正々堂々と戦うことを誓います」と宣誓するとどっと笑いが起きた。みんな本当に元気で楽しそうだったのが印象的で、その理由を探りたいと思ったのが取材のきっかけだ。高齢化と孤立化は全国共通の課題。高齢者スポーツを通して群馬が一つのモデルを示すことができれば面白いと思う。 (原田晋也)