昨年10月4日、101歳になった聖路加国際病院理事長・名誉院長の日野原重明さんは、いまでも新しいことにチャレンジし、子どもたちとも積極的に交流する。若さを失わない日野原さんに、「生涯現役であるための秘訣」や、「人と人のつながり」「老いとどう付き合い、どう死ぬか」について聞いている『集まれ!ほっとエイジ』日経Web刊から、常に10年先を考える 101歳が語る「生涯現役の秘訣」 聖路加国際病院理事長・名誉院長 日野原重明氏のご意見を転載紹介したい。
------------------------------------------------------------------------------------------------------

――日野原先生にとって「現役」とはどういう意味ですか。

日野原 生き甲斐を持って生きること、これが一番大切です。生き甲斐がなくなれば、人生は終わり。今日はこれをやろうというプログラムがないとだめです。今日に期待を持って朝はさわやかに目覚めます。

■ 1 0 年 手 帳 に 記 入 し た 予 定 は 自 分  の ミ ッ シ ョ ン

――10年先まで予定を書き込める10年手帳を使っていらっしゃるそうですね。

日野原 2011年から20年までの10年手帳を使っています。それぞれの年の同じ日に予定を書き込んでいます。食事に行くようなときはアポイントメントを取るって言うでしょう。ぼくが手帳に書くのは「コミットメント」なんです。神に誓約をすることをコミットメントと言います。どうしてもこれがやりたいということを5年、10年先でもきちっと決めて、これは自分のミッションであると考えています。

――先生が「『成人病』という言葉では誤解を招く。『生活習慣病』と呼ぼう」と提案してから、実際にそう呼ばれるようになるまで20年かかったそうですね。10年、20年の単位で取り組まなければならない仕事は多いのですね。

日野原 日本人の死亡原因の一番が当時は脳卒中で、高血圧の人が脳卒中になることが多いので厚生労働省が健診をしようということになりました。成人健診という名前をつけて、そこで発見される病気を成人病と呼んだのです。でもそれは間違っていると思いました。海外では「成人病」などと言っても通じないので、その人の毎日繰り返す生活の仕方がつくる病気を「生活習慣病」と呼ぼうと提案したのです。

■「よど号」事件に遭遇、その後の人生は「与えられたもの」

――101歳からでも10年先のことを考えていらっしゃるわけですが、60歳あるいは65歳になって、第二の人生を歩もうとしている人に対してアドバイスはありますか。

日野原 60歳とか65歳というのは職業で一区切りつくだけで、人間として生きることが終わるわけではないんです。自分の得意なことを開発して、新しい人生を始めることが必要です。ぼくは、ハイジャックにあった「よど号」に乗っていました。59歳のときですが、命が助かったときに、「これからの人生は与えられたものだ」と感じました。「恩を受けた人に返すだけでなく、あらゆる人にこれからの私の人生を捧げよう」「これからがぼくの人生の本番だ」と思いました。

――実際に60歳を過ぎてから、いろいろなお仕事をされているんですね。

日野原 オーストリア出身のマルティン・ブーバーという哲学者が「人は、新しいことを始めることを忘れない限り、いつまでも若い」と言っています。普通の人は、やったことがないからできないと言います。ぼくは3年前から俳句をつくり始めました。なんでもできるんです。小学生に行っている「いのちの授業」で俳句をつくってみようと言うと、10歳の子が「いのちとは 僕の持ってる 時間だね」という句をつくってしまうのです。

■ 立 ち 上 げ た 「 新 老 人 の 会 」、 6 0 ~ 6 4 歳 は 「 ジ ュ ニ ア 」

――先生が現役でいられる秘訣は小学生や若いスタッフと交流されているからかもしれませんね。



日野原 いまの小学生が10年先の日本をつくるのです。子どもの良いところを伸ばすように、先生だけでなく、一般の社会人が努力すべきじゃないかと思います。

――「新老人の会」を2000年に立ち上げられたそうですね。

日野原 89歳のときに、立ち上げたのですが、この構想は85歳から準備していたんですよ。老人というと背中が曲がって、よぼよぼになったイメージですが、そういうイメージを取り払って、新老人の会を立ち上げました。会員は1万2000人になり、最近、フェイスブックも使い始めましたから、3年先には3万人くらいに伸びると思っています。

 「おはようございます。日野原重明です」と言って、今日はこういう格言で生きてくださいといろんな格言を紹介しています。

 新老人の会では75歳以上がシニア、60歳以上がジュニアになります。

――フェイスブックを始められたということはさらに下の世代に参加を呼び掛けているわけですね。

日野原 20歳以上の人が加入しています。そのうち18歳以上にしようかと思っています。その人たちは「サポート会員」と呼んでいます。

■若い世代と日常的に触れ合うことが大切

――先生はどんなきっかけでもいいから、若い人と日常で触れ合うことが大切とおっしゃっていますね。

日野原 非常に大事です。101歳までの人生の間には、死ぬような危険があったり、ショックを受けたこともたくさんありました。サリン中毒のような大事件にも遭遇しました。そうしたことにどう対応するかということを伝えたいです。

――いろいろなことを体験した本人から直接聞くということが大切ですね。

日野原 子どもを亡くしたような親に対しては、やはり同じような悲しい体験をした友達からの言葉がなぐさめになります。

――どうすれば若い世代のために、活躍できる新老人が増えてくるのでしょうか。

日野原 森光子さんのような実力を見せないといけません。50年も「放浪記」で主演を務めたんですから。

 ジョン万次郎の記念館の募金のためのゴルフコンペでは、ぼくはゴルフはやったことがないのですが、息子に前の晩に教わって、始球式でちゃんと100ヤードくらい飛ばしましたから。ぼくはソフトボールのチームを持っていて、シートノックをするんですよ。

――万次郎の記念館について言及されましたので、ご紹介いただけますか。

日野原 無人島に漂着していたジョン万次郎は、アメリカのホイットフィールドという捕鯨船の船長に助けられ、フェアヘブンというところでホームステイをさせてもらい、教育も受けます。そのホイットフィールド船長の家が競売に出されるというので日本で1億円の寄付を募って、廃屋を修復して2009年に「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」をつくりました。アメリカの文化を日本に上手に紹介したジョン万次郎を日本人にもっと知ってもらいたいと思いました。 つづく