「木村 次郎右衛門様のご長寿をお祝い」
2013年2月5日 お仕事 「木村 次郎右衛門様のご長寿をお祝いして」
日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会
NPO法人 ラ イ フ・べ ン チ ャ ー・ク ラ ブ
木村 次郎右衛門様が現存の世界最高年齢者にギネス認定され、「生涯現役」を旗印としている私たち日本生涯現役推進協議会とNPO法人当クラブでは一同大きな喜びをもって心からお祝い申し上げます。
今世紀に入り、日本・韓国・中国と急速な高齢社会化が到来しています。そのために介護支援を必要とする負担増も当然生じますが、社会の活性化をめざして意欲的な「生涯現役社会づくり」構築への、明るい夢と希望を生み出せる最長寿モデルの木村 次郎右衛門様は、日本人の誇りだと確信しています。
私たちはそのため「生涯現役社会づくり」推進を担う者として、木村様のご長寿に少しでもあやかれる『生涯現役プロデューサー』の使命に恥じない「自主・自発・自律」の人生を学びたいと願います。
木村 次郎右衛門様が逞しくユーモラスに客人に英語で応接しておられる雄姿は、全世界で活躍を求められている後続の私たち日本人だけでなく、世界中の人々への素晴らしい生きがい目標の鑑です。
これからもますますご健勝で、木村様に与えられたご長寿人生を全国の百歳超ご長寿者の平均3倍もおられる恵まれた京丹後市で、ご家族ともにお幸せにお過ごしくださるよう心から祈念しております。 (代表 東瀧 邦次)
「木村 次郎右衛門さんへ」
これからもお健やかに ますますご長寿でいらっしゃること お祈りいたします。
日本生涯現役推進協議会 理事 伊東 紘二
長寿世界一 ほんとうに おめでとうございます。
日本生涯現役推進協議会 理事 中上 崇
世界最ご長寿 誠におめでとうございます。
益々お元気で われわれ若い者に ハッパをおかけください。
日本生涯現役推進協議会 理事 新川 正則
こころから ご長寿更新の お誕生日おめでとうございます。
世界に誇れる 最高ご長寿者がご健在であることを 大変うれしく思います。
NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ 理事 水上 久忠
「木村 次郎右衛門様」
世界さ愛長寿者に認定されましたことを 心よりお祝い申し上げます。
私どもは豊かな健康長寿社会の実現を目ざして 生涯元気で社会に貢献できる生き方をしよう、という活動を推進しております。
これからも 私どもの希望の星として お元気でご活躍くださいますようお祈りいたしております。 NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ 理事 冨澤 穣
「木村 次郎右衛門様のご長寿をお祝いして」
NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ
木村 次郎右衛門様が生存人類最高年齢者と認定されたことを、「生涯現役」を標識としている私たちクラブも、大きな喜びをもって、心からお祝い申し上げます
近年日本・中国…世界で急速な高齢化が言われております。その一端には「介護老人」のような暗い面もありますが、元気に活動し続けている「生涯現役」のような明るい面もあります。「生涯現役」の第一条件は「自主・自発・自律」の人生を長く貫くことです。
木村 次郎右衛門様が逞しく生きておられる姿は後続人類の素晴らしい目標です。今後もお元気に、逞しく、木村様らしい人生を、更に更にお伸ばし下さい。 (会員 伊東 義高)
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【木村 次郎右衛門さんの紹介】
最終更新が 2013年1月19日 (土) 10:43のWikipedia【URL=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%AC%A1%E9%83%8E%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80】からの木村さんを下記に紹介します。
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木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん、1897年(明治30年)4月19日 )さんは、京都府京丹後市在住の長寿の男性である。2012年(平成24年)12月17日より存命人物のうち世界最高齢。2012年(平成24年)12月28日に、クリスチャン・モーテンセンの115歳252日の記録を抜いて、死去した人物も含めた検証済みの歴代最高齢記録の男性となった。
2013年(平成25年)現在、19世紀生まれの男性が、世界に2人生存している。木村次郎右衛門が、唯一人の1890年代生まれの男性であり、もうひとりの男性はバルバドスのジェームズ・シスネットで、1900年(明治33年)生まれである。
人物 [編集]
1897年3月19日、三宅家の6人兄弟姉妹の3番目に生まれ、金治郎と命名される。木村家に跡取りとして婿入りし、9代目・次郎右衛門を名乗るようになった。20歳から65歳までの45年間、郵便局にて勤め、1920年代には日本統治時代の朝鮮において政府の通信部門に勤めた経験も持つ。戦後、1955年に自治体合併に伴う個人データ統合の際に担当者が誤って誕生月を1ヶ月遅く入力してしまい、以後公式な誕生日は4月19日になったとされている[1]。
現在は長男の妻と孫の妻との3人暮らしで[2]、毎日午前5時半に起床し、午後8時に就寝する生活を送っており、食生活も朝はヨーグルトやサツマイモ、梅干しを食し、夜は牛乳を飲むことを習慣としているという。好き嫌いはなく、食べる量も自分で決めている。足腰が弱っているため外出は通院に限られている。
新聞は天眼鏡を使いながら1から2時間、長いときには3時間かけて読む[3](日本共産党の機関紙のしんぶん赤旗日曜版2009年(平成21年)7月12日号掲載のインタビュー記事によれば、愛読紙2紙のうち1紙は、しんぶん赤旗。また2009年(平成21年)9月18日放送の毎日放送「VOICE」では、朝日新聞が映っていた)。テレビ番組は国会中継や大相撲を欠かさず視聴するという[4]。また、長寿の秘訣として「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命永かれ」「苦にするな嵐のあとに日和あり」などの言葉をモットーにしている[5]。
長寿記録 [編集]
木村次郎衛門さんは、2009年(平成21年)6月19日に宮崎県在住の田鍋友時が死去したことに伴い、存命人物のうち日本最高齢の男性となり、2011年(平成23年)4月14日にアメリカ合衆国在住のウォルター・ブラウニングが死去したことにより、存命人物のうち世界最高齢の男性となったことが確認された[6]。
さらに、2011年(平成23年)12月2日には、当時の存命人物のうち日本最高齢の女性だった長谷川チヨノ(1896年(明治29年)生まれ)の死去に伴い、存命人物のうち日本最高齢の人物となった[7]。男性が存命人物中で日本の最高齢者となったのは、2003年(平成15年)に死去した中願寺雄吉以来のことである。なお、2013年(平成25年)1月12日現在の存命人物中の世界最高齢の女性は、大阪府在住の114歳の日本人・大川ミサヲであり、男性と女性の両方の長寿世界一が日本人である[8]。
2007年(平成19年)10月16日に老人学研究団体ジェロントロジー・リサーチ・グループの検証済み110歳超えリストに登録される[9]。
2009年(平成21年)9月には読売新聞のインタビューに応じ、その中で存命人物のうち日本最高齢の男性になったことについて「責任の重さみたいなのを痛感している。1日でも長く元気でありたい」と語っている。また、テレビの国会中継を見る理由については「時代についていけないようではいけない」と語った[3]。
2011年(平成23年)4月19日、存命人物のうち男性世界最高齢となった5日後には114歳の誕生日を迎え、赤飯やタイの塩焼きを食した[10]。
2012年(平成24年)4月19日、115歳の誕生日を自宅で迎えた[2]。同年9月には、今なお食事を楽しみとし、三食を欠かしていないとの近況が報道されている[11]。
2012年(平成24年)9月17日の敬老の日、京丹後市長の中山泰が自宅を訪れ、地元の小学生が作成した贈り物を届けた。これに「サンキュー」と答えた[12][13]。
2012年(平成24年)10月16日、ギネス・ワールド・レコーズの編集長クレイグ・グレンディが京丹後市の自宅を訪れ、ギネス世界記録の認定証を手渡した[14]。
2012年(平成24年)12月4日、116歳のアメリカ人女性ベシー・クーパーの死去に伴い、存命人物のうち世界で2番目に高齢の人物となる。
2012年(平成24年)12月17日、ディーナ・マンフレディーニの死去[15]に伴い、115歳242日で存命人物のうち世界最高齢となった。男性が世界一となるのは、2007年1月24日にエミリアーノ・メルカド・デル・トロが115歳156日で死去して以来のことである。
2012年(平成24年)12月28日、これまで世界でもっとも長生きした男性であるクリスチャン・モーテンセン(115歳252日没)の記録を上回り、男性で史上最も長生きした人物となった。
2013年(平成25年)1月12日、1897年12月生まれの大久保琴の死去に伴い、1897年生まれの最後の生き残りとなった。
日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会
NPO法人 ラ イ フ・べ ン チ ャ ー・ク ラ ブ
木村 次郎右衛門様が現存の世界最高年齢者にギネス認定され、「生涯現役」を旗印としている私たち日本生涯現役推進協議会とNPO法人当クラブでは一同大きな喜びをもって心からお祝い申し上げます。
今世紀に入り、日本・韓国・中国と急速な高齢社会化が到来しています。そのために介護支援を必要とする負担増も当然生じますが、社会の活性化をめざして意欲的な「生涯現役社会づくり」構築への、明るい夢と希望を生み出せる最長寿モデルの木村 次郎右衛門様は、日本人の誇りだと確信しています。
私たちはそのため「生涯現役社会づくり」推進を担う者として、木村様のご長寿に少しでもあやかれる『生涯現役プロデューサー』の使命に恥じない「自主・自発・自律」の人生を学びたいと願います。
木村 次郎右衛門様が逞しくユーモラスに客人に英語で応接しておられる雄姿は、全世界で活躍を求められている後続の私たち日本人だけでなく、世界中の人々への素晴らしい生きがい目標の鑑です。
これからもますますご健勝で、木村様に与えられたご長寿人生を全国の百歳超ご長寿者の平均3倍もおられる恵まれた京丹後市で、ご家族ともにお幸せにお過ごしくださるよう心から祈念しております。 (代表 東瀧 邦次)
「木村 次郎右衛門さんへ」
これからもお健やかに ますますご長寿でいらっしゃること お祈りいたします。
日本生涯現役推進協議会 理事 伊東 紘二
長寿世界一 ほんとうに おめでとうございます。
日本生涯現役推進協議会 理事 中上 崇
世界最ご長寿 誠におめでとうございます。
益々お元気で われわれ若い者に ハッパをおかけください。
日本生涯現役推進協議会 理事 新川 正則
こころから ご長寿更新の お誕生日おめでとうございます。
世界に誇れる 最高ご長寿者がご健在であることを 大変うれしく思います。
NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ 理事 水上 久忠
「木村 次郎右衛門様」
世界さ愛長寿者に認定されましたことを 心よりお祝い申し上げます。
私どもは豊かな健康長寿社会の実現を目ざして 生涯元気で社会に貢献できる生き方をしよう、という活動を推進しております。
これからも 私どもの希望の星として お元気でご活躍くださいますようお祈りいたしております。 NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ 理事 冨澤 穣
「木村 次郎右衛門様のご長寿をお祝いして」
NPO法人ライフ・ベンチャー・クラブ
木村 次郎右衛門様が生存人類最高年齢者と認定されたことを、「生涯現役」を標識としている私たちクラブも、大きな喜びをもって、心からお祝い申し上げます
近年日本・中国…世界で急速な高齢化が言われております。その一端には「介護老人」のような暗い面もありますが、元気に活動し続けている「生涯現役」のような明るい面もあります。「生涯現役」の第一条件は「自主・自発・自律」の人生を長く貫くことです。
木村 次郎右衛門様が逞しく生きておられる姿は後続人類の素晴らしい目標です。今後もお元気に、逞しく、木村様らしい人生を、更に更にお伸ばし下さい。 (会員 伊東 義高)
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【木村 次郎右衛門さんの紹介】
最終更新が 2013年1月19日 (土) 10:43のWikipedia【URL=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E6%AC%A1%E9%83%8E%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80】からの木村さんを下記に紹介します。
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木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん、1897年(明治30年)4月19日 )さんは、京都府京丹後市在住の長寿の男性である。2012年(平成24年)12月17日より存命人物のうち世界最高齢。2012年(平成24年)12月28日に、クリスチャン・モーテンセンの115歳252日の記録を抜いて、死去した人物も含めた検証済みの歴代最高齢記録の男性となった。
2013年(平成25年)現在、19世紀生まれの男性が、世界に2人生存している。木村次郎右衛門が、唯一人の1890年代生まれの男性であり、もうひとりの男性はバルバドスのジェームズ・シスネットで、1900年(明治33年)生まれである。
人物 [編集]
1897年3月19日、三宅家の6人兄弟姉妹の3番目に生まれ、金治郎と命名される。木村家に跡取りとして婿入りし、9代目・次郎右衛門を名乗るようになった。20歳から65歳までの45年間、郵便局にて勤め、1920年代には日本統治時代の朝鮮において政府の通信部門に勤めた経験も持つ。戦後、1955年に自治体合併に伴う個人データ統合の際に担当者が誤って誕生月を1ヶ月遅く入力してしまい、以後公式な誕生日は4月19日になったとされている[1]。
現在は長男の妻と孫の妻との3人暮らしで[2]、毎日午前5時半に起床し、午後8時に就寝する生活を送っており、食生活も朝はヨーグルトやサツマイモ、梅干しを食し、夜は牛乳を飲むことを習慣としているという。好き嫌いはなく、食べる量も自分で決めている。足腰が弱っているため外出は通院に限られている。
新聞は天眼鏡を使いながら1から2時間、長いときには3時間かけて読む[3](日本共産党の機関紙のしんぶん赤旗日曜版2009年(平成21年)7月12日号掲載のインタビュー記事によれば、愛読紙2紙のうち1紙は、しんぶん赤旗。また2009年(平成21年)9月18日放送の毎日放送「VOICE」では、朝日新聞が映っていた)。テレビ番組は国会中継や大相撲を欠かさず視聴するという[4]。また、長寿の秘訣として「食べ物に好き嫌いはない。食細くして命永かれ」「苦にするな嵐のあとに日和あり」などの言葉をモットーにしている[5]。
長寿記録 [編集]
木村次郎衛門さんは、2009年(平成21年)6月19日に宮崎県在住の田鍋友時が死去したことに伴い、存命人物のうち日本最高齢の男性となり、2011年(平成23年)4月14日にアメリカ合衆国在住のウォルター・ブラウニングが死去したことにより、存命人物のうち世界最高齢の男性となったことが確認された[6]。
さらに、2011年(平成23年)12月2日には、当時の存命人物のうち日本最高齢の女性だった長谷川チヨノ(1896年(明治29年)生まれ)の死去に伴い、存命人物のうち日本最高齢の人物となった[7]。男性が存命人物中で日本の最高齢者となったのは、2003年(平成15年)に死去した中願寺雄吉以来のことである。なお、2013年(平成25年)1月12日現在の存命人物中の世界最高齢の女性は、大阪府在住の114歳の日本人・大川ミサヲであり、男性と女性の両方の長寿世界一が日本人である[8]。
2007年(平成19年)10月16日に老人学研究団体ジェロントロジー・リサーチ・グループの検証済み110歳超えリストに登録される[9]。
2009年(平成21年)9月には読売新聞のインタビューに応じ、その中で存命人物のうち日本最高齢の男性になったことについて「責任の重さみたいなのを痛感している。1日でも長く元気でありたい」と語っている。また、テレビの国会中継を見る理由については「時代についていけないようではいけない」と語った[3]。
2011年(平成23年)4月19日、存命人物のうち男性世界最高齢となった5日後には114歳の誕生日を迎え、赤飯やタイの塩焼きを食した[10]。
2012年(平成24年)4月19日、115歳の誕生日を自宅で迎えた[2]。同年9月には、今なお食事を楽しみとし、三食を欠かしていないとの近況が報道されている[11]。
2012年(平成24年)9月17日の敬老の日、京丹後市長の中山泰が自宅を訪れ、地元の小学生が作成した贈り物を届けた。これに「サンキュー」と答えた[12][13]。
2012年(平成24年)10月16日、ギネス・ワールド・レコーズの編集長クレイグ・グレンディが京丹後市の自宅を訪れ、ギネス世界記録の認定証を手渡した[14]。
2012年(平成24年)12月4日、116歳のアメリカ人女性ベシー・クーパーの死去に伴い、存命人物のうち世界で2番目に高齢の人物となる。
2012年(平成24年)12月17日、ディーナ・マンフレディーニの死去[15]に伴い、115歳242日で存命人物のうち世界最高齢となった。男性が世界一となるのは、2007年1月24日にエミリアーノ・メルカド・デル・トロが115歳156日で死去して以来のことである。
2012年(平成24年)12月28日、これまで世界でもっとも長生きした男性であるクリスチャン・モーテンセン(115歳252日没)の記録を上回り、男性で史上最も長生きした人物となった。
2013年(平成25年)1月12日、1897年12月生まれの大久保琴の死去に伴い、1897年生まれの最後の生き残りとなった。