朝日Digital 2017.3.18 ご紹介掲載URL=
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(インタ ビュー) 「 お 気 持 ち 」 と 政 治 
                        天皇制を研究する政治学者・原武史さん
 はらたけし氏略歴:1962年生まれ。専門は日本政治思想史。明治学院大学教授を経て昨年から放送大学教授。著書に「昭和天皇」「皇后考」「日本政治思想史」など。
 ◆キーワード
 <天皇と退位> 退位をめぐる天皇の意向は昨年7月に最初の報道があり、8月には「おことば」が公表された。憲法は天皇の地位を「国民の総意に基く」と規定するが、憲法にも、皇室に関する法律の皇室典範にも、存命中の退位と新天皇の即位の規定はない。政府は10月以降、有識者会議で退位に道を開くか、開く場合はどんな法整備が必要かを検討している。国会は与野党で議論を重ね、3月17日、特例法の制定により退位を可能とすることで合意した。
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  天皇陛下が昨夏、退位の意向を示唆する「お気持ち」を表明して以降、政治は大きく動いている。与野党は特例法制定でまとまり、政府は今国会に法案を出すという。「国政に権能を有しない」はずの天皇が政治に影響を及ぼし、それを社会が当然のように受け入れることに、近現代の天皇制を研究する原武史さんは疑問を呈する・・・。
  
 ――特例法に向けて与野党が合意し、天皇の退位が現実味を帯びています。これまでの流れをどう見ていますか。

 「はっきり言っておかしいと思います。いまの憲法下で、天皇は国政に関与できないはずです。それなのに、天皇が退位の気持ちをにじませた発言をすると、急に政府が動きだし、国会でも議論を始めた。『お気持ち』を通して、結果的にせよ、国政を動かしています。私が知る限り、戦後、天皇が意思を公に表し、それを受けて法律が作られたり改正されたりしたことはありません」

 「明治憲法によって『大権』を持っていた明治天皇や大正天皇、戦前の昭和天皇の時も、こんなことはありませんでした。今回の天皇の『お気持ち』の表明と、その後の退位へ向けての政治の動きは、極めて異例です」

 ――政府も国会も天皇のお気持ちが大事と受け止めたからでは。多くの国民も同様でしょう。

 「だからといって、これでいいとは思えません。本来は天皇を規定するはずの法が、天皇の意思で作られたり変わったりしたら、法の上に天皇が立つことになってしまう。政府や国会での議論の焦点は、特例法か皇室典範改正かでしたが、どちらになろうと、天皇の意思が現実政治に影響を及ぼしたことに変わりはありません」

 ――これまで、そう大きな議論にはなっていない点です。

 「そうですね。もっと憲法学者や政治学者たちから問題提起や疑義が出てもよさそうなものですが、なぜか聞こえてきません。それどころか『天皇が個人として、当事者として問題提起することは憲法違反にあたらない』という意味の発言をした学者もいます。あれには驚きました。その結果、政治が動いてもいいとは」

 「『退位の意向』が報じられた当初から私はおかしいと言っているのですが、ほとんど反応がない。孤立感を抱いています」
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 ――本来、どういう過程だったらよかったと考えますか。

 「日本国憲法の国民主権の原則との矛盾を避けるには、あらかじめ国民の中に『天皇の年齢を考えると、そろそろ退位してもらい、皇太子が即位した方がいい』という意見が広がり、その国民の『総意』に基づいて、天皇が退位するという過程をたどることでしょう。憲法は天皇の地位を『国民の総意に基づく』と定めています」

 「あるいは、その総意を受けて、国民の代表である国会議員が退位を発議するという形でもいいかもしれません」

 ――主権者である国民の側の意思が先にあるべきだった、と。

 「ええ。でも、それが現実には難しかったということも、わかります。国民の中に、天皇に対する『おそれおおい』という感情は今も根強くありますから。さらに、各地の被災地やかつての激戦地を訪れる天皇の姿に、尊敬の念が増しているともいわれています」

 「次善の策としては、政府が天皇の内意をくみとり、自発的に動いていればよかったと思います。少なくとも、天皇の意思がこんなに露骨に政治を動かすという事態は避けられました」

 「天皇本人は数年前から周囲に退位の希望を語っていたといいます。でも歴代内閣は対応しなかった。意思の疎通がうまくいっていなかったのか、理由はわかりません。そうこうしているうちに、しびれを切らした天皇自身が動いたということではないでしょうか」

 ――天皇自身は、ことあるごとに「日本国憲法を守り――」と言い続けてきました。

 「その天皇に、憲法への適合性が疑われるようなことをさせてしまった。周囲や政府の責任は大きいと言わざるを得ません」

 「政府の有識者会議の委員、あるいは会議に呼ばれた専門家の中にも、私と同じような疑問を抱いた人はいたようです。発表された会議の論点整理には、『天皇の意思に基づく退位を可能とすれば、そもそも憲法が禁止している国政に関する権能を天皇に与えたこととなるのではないか』『仮に、今上陛下の御意向に沿って制度改正したということとなると、憲法の趣旨に反するのではないか』といった記述があります」

 「ところが、いずれも皇室典範を改正した場合の『課題』として挙げられている。つまり、皇室典範改正ではだめで、一代限りの特例法の方がいいという論拠として使われているのです。そうではなく、この過程全体にかかわる問題点とされるべきでした」
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 ――とはいえ、天皇はご高齢です。このまま何もしなくていいとは思えませんが。

 「方法がないわけではありません。まず検討すべき選択肢は、摂政を立てることです」

 ――保守派、伝統派と言われる人たちと近い立場ですか。

 「そう思われるのは困ります。大事なことは、退位のよしあしよりも、過程全体が憲法や皇室典範など現行法にのっとっているかどうかです。次元の違う問題です」

 「摂政案には天皇本人が強く反対したという報道もありました。大正天皇の時に、皇太子だった後の昭和天皇が摂政になりました。この結果、大正天皇はいわば押し込められ、しかも宮中は天皇側と摂政側に大きく割れてしまった。今の天皇はそれを知っていて、摂政案を拒否したといいます」
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 ――世論調査では、8割以上が天皇の退位について賛成しているようですが。

 「昨年の7月13日にNHKが報じるまで、ほとんどの人は天皇の退位について関心がなかったでしょう。それが突然知らされ、気づいたわけです。そして『本人が望むなら辞めさせてあげてもいい』と、素朴な感覚で受け止めている人は多いと思います。現代はテレビを通して、時間とともに老いる天皇の身体が、いわば公開されています。いったん気づくと、こうした感情は広がりやすい」

 ――昨年公表された「お気持ち」には、リベラルといわれる人からも高い評価がありました。敗戦翌年の1946年元日の昭和天皇による「人間宣言」と「相互の信頼と敬愛」が重なるなど共通点がある、引き継いでいると。

 「新日本建設の詔書ですね。私は、あれは『人間宣言』とはいえないと考えています。たしかに詔書で『現御神(アキツミカミ)』であることは否定しましたが、『昭和天皇実録』の当時の記述を読むと、昭和天皇は『神の裔でないとすることには反対である』という意見だったとあります。つまり天皇本人は天照大神の子孫であることを否定していません。万世一系イデオロギーを継承しているのです」

 「それより、45年8月15日の昭和天皇による終戦詔書の朗読、いわゆる『玉音放送』との比較にこそ意味があります」

 ――というと。

 「玉音放送が流れるまでは、たとえこの戦争は負けると思っていても、公然と言える空気ではありませんでした。ところがいったんあの放送が流れるや、圧倒的多数の臣民がそれを受け入れました。だからこそ、速やかに戦争を終えることができたわけです」

 「当時の鈴木貫太郎内閣は終戦に向けて政府・軍部をまとめることができず、非常手段として御前会議で聖断(天皇の直接のことば)を仰ぎました。それによってようやく、ポツダム宣言受諾を決めた。その流れが今回の退位をめぐる動きと似ています」

 「昨年7月にNHKの第一報が流れるまでは、もし国民の誰かが『陛下ももうお年なのだから、そろそろ皇位を皇太子にお譲りになって引退されたら』などと言おうものなら、それこそ『身のほどをわきまえない無礼者』とのそしりを受けた可能性は大いにあったでしょう。たとえそう思ったとしても、公然とそれを言い出せる空気があったかどうか」

 「ところが、いったん天皇からその意思が示されるや、圧倒的多数の国民が受け入れました。これが天皇と国民との関係です。この点で、45年8月と現在は変わっていません」(聞き手 編集委員・刀祢館正明)