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     NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ  活 動 で 
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N P O 法 人  ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ  
          ホ  ッ  ト  ラ  イ  ン   ニ  ュ  ー  ス
事 務 局 報 告 第 17 5 号                    2020年 4月 29日 発行
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◎  名医が実践!長寿ご飯メニューとマル秘食事法


 日々の生活に欠かせない食事。だが、健康診断などで、高血圧や塩分のとりすぎを指摘されたことのある読者諸兄も多いのでは。食事が乱れると生涯現役どころか、三大疾病のがんや脳卒中などを引き起こす危険性もある。

 また現在は、コロナ禍から命を守るため、免疫力を上げる必要がある。健康のことはプロである医師に聞くのが一番。そこで名医5人の献立と食事法を直撃。彼らの食事から学ぼう!

 予防医学の権威である岡田正彦・新潟大学名誉教授が、毎日の食事で注意している点は「塩分と糖分をとり過ぎず、野菜と果物をできるだけ多くとるよう意識すること」だと言う。

 この二つを厳守すれば、基本、あとは何を食べても大丈夫という考え方。そんな岡田氏に、ふだん食べている食事メニューを聞いてみると、やはり、朝食に生野菜と果物が含まれていた。

 「朝の果物は金、昼は銀、夜は銅という昔からの言い伝えがあります。朝は、人の体がこれから働こうというときで、胃腸もそれに合わせて動いてくれるので消化がよく、体のリズムに合っています。私は毎朝、お椀くらいの容器1杯分の果物……リンゴが多いですが、好きな果物を食べています。逆に夜食べると、これから体が休もうとしているときなので消化が悪く、胃にもたれることがあります」

 ただ、朝に果物を食べると、人によっては下痢などを引き起こす恐れもあり、無理しないことも大切だ。

 昼は自宅から持ってくるお弁当だが、その中身にもこだわりがあるという。

 「現実には弁当箱を3つも使う人はいませんが、仮にそうだと仮定しましょう。まず1つ目の弁当箱には白米などの主食、2つ目には、おかずとして肉・魚や卵など主にタンパク質と脂肪、最後の弁当箱に生野菜と果物を入れるというイメージです。おかずの弁当箱に、健康有料食品である豆類を加えてもいいでしょう」

 つまり弁当にたとえるなら、ハンバーグや焼き魚、白米、根菜の天ぷら、煮豆、サラダなどと、バランスよく食材が配された幕の内弁当のイメージだ。

 「外食する場合でも、その三つのバランスを考えて食べればいいでしょう」

 よく腹八分目というが、岡田氏の説明通り、体が休もうとしているときなので、夕食はほどほどに。食事の仕方にも注意したい。

 「仕事で嫌なことがあったらすべて忘れ、一日の疲れを癒す感じで……。朝昼は忙しいでしょうから、そういうわけにはいきませんが、夜はゆっくり時間をかけて食べるのがいいでしょう。そのためにはアルコールもOK。缶ビールならレギュラーサイズの1缶以内。私も毎日、晩酌しています。むしろ、その程度のアルコール飲料は動脈硬化や糖尿病を防ぎ、長寿につながるというデータもあります。お酒が飲めない人なら、日本茶でも紅茶でも、コー
ヒーでもいいと思います。とにかく、夕食はリラックスして楽しむべきです」

 それさえ注意すれば、昼食のお弁当を参考に、好きなものを食べて大丈夫だ。

 ただし、味噌汁の塩分は控えめにしよう。最後に、塩分のとり過ぎにならないための秘訣を聞いた。

 「食卓に塩やソースやしょう油、マヨネーズなどの調味料を一切置かないこと。朝の卵料理にも食塩は控えめにしています」

 こちらは、すぐにでも実行できそうだ。さっそく、試してみよう。
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平素より大変お世話になっております。
一般社団法人at Will Work 運営事務局でございます。

今、新型コロナウイルスの影響で、時差出勤やテレワークなど、多くの企業がこれまでできていなかった対応に追われています。奇しくもそうした大転換を求められている中、これからの日本企業の働き方改革はどうなるのでしょうか。

本イベントでは、デジタル時代に適応した働き方改革や組織・人材マネジメント変革に従事してきたデロイトトーマツコンサルティングの田中氏、「働き方を選択できる社会」を目指す一般社団法人at Will Work理事の日比谷、再現可能かつ持続可能な「新しい働き方」を提案する月刊誌『THE21』編集長の三輪氏の3名が、コロナ禍でますます浮き彫りになった働き方改革の課題に迫り、コロナ危機の経験を活かした新しい働き方を考えます。
モデレーターは、PHP総研主任研究員の山田氏が務めます。

■セミナー概要
日時:2020年4月30日(木)13:30~15:00(開場13:00)
会場:オンライン開催(ビジネスセミナー配信プラットフォームair stage利用)
   ※Peatixでお申込みされた方に視聴ページURLを前日までに送信いたします。
定員:100名
料金:無料

■スピーカー略歴
田中 公康/デロイト トーマツ グループ アソシエイトディレクター
デロイト トーマツ コンサルティング アソシエイトディレクター。外資系コンサルティングファーム、IT系ベンチャー設立を経て現職。Digital HRとEmployee Experience領域のリーダーとして、デジタル時代に対応した働き方改革や組織・人材マネジメント変革、などのプロジェクトを多数手掛けている。 直近では、HRテック領域の新規サービス開発にも従事。講演・執筆多数。Certified Scrum Master(CSM)保持者。

日比谷 尚武/一般社団法人at Will Work理事、 kipples(キップルズ 代表)
「人と情報をつなぎ、社会を変える主役を増やす」をテーマに、セクターを横断するコネクタとして活動。広報、マーケティング、新規事業、コミュニティ、トライセクター関連を中心に活動。一般社団法人Public Meets Innovation理事、Project30(渋谷をつなげる30人)エバンジェリスト、公益社団法人 日本パブリックリレーションズ協会 広報副委員長、ロックバーshhGarage主催、他。

三輪 奈央/株式会社PHP研究所 月刊『THE21』編集長
1981年、群馬県前橋市生まれ。2004年、早稲田大学法学部卒業後、株式会社PHP研究所入社。書籍編集部門、女性向け月刊誌『misaki』編集部を経て、2009年よりTHE21編集部。2016年、副編集長。2019年より現職。時代の転換点にある今、ビジネスパーソンの悩みに寄り添い、再現可能かつ持続可能な「新しい働き方」の提案を行なう 【「働く人」の一番身近なビジネス誌】を目指している。

■モデレータ略歴
山田 花菜/政策シンクタンクPHP総研主任研究員
2008年、東京大学卒業後、株式会社PHP研究所入社。書籍出版部、雑誌編集部を経て現職。2013年11月にインタビュー企画「変える人」を立ち上げ、取材を重ねる中でNPOが抱える共通の課題を知り、非営利組織の経営課題の解決を目指した「NPOマネジメントスクール」をNPOマネジメントラボ(現 株式会社PubliCo)山元圭太氏と共催。2016年より働き方改革の先進事例の調査に携わる。

【ご視聴方法】
ご視聴にあたって、バルス株式会社サイトより[SPWN ID]を取得する必要があります。詳細は、Peatixでお申込みされた方に視聴ページURLと合わせてお知らせします。
▼お申込みはこちら▼
https://phpthe21-0430.peatix.com/
(所定人数に達し次第、締切とさせていただきます。)
たくさんのご参加をお待ちしております。

◇お問い合わせ
一般社団法人at Will Work運営事務局
Tel:050-1749-7471 (営業時間:平日10:00~17:30 土日祝日除く)
Eメール:info@atwill.work
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Nrt IB News コダマの核心 2020年04月25日 07:00
ご参考URL=https://www.data-max.co.jp/article/35442?rct=kodama_t

     「コロナ恐慌革命」以降どうなるのか(3)~グロ―バリズムの幻想(後)

 前回「グローバル化の幻想を捨てよ!貴方を守ってくれるのは自国しかない」と指摘した。しかし、本気で「国が使命感をもって我々を守ってくれる」と思うと「大やけど」することになる。政府のコロナ対策は「行き当たりばったり」の繰り返しである。我々はこの現実に直面し、いらだちを感じる。コロナによって元の光景には戻れないかもしれないが、この国には、しぶとく生きながらえるという「悪しき体質」もある。それに関しては、後々このシリーズで触れることにする。

  林業復権への道程、行き当たりばったりの政策

 第二次世界大戦の果てに日本の国土は荒れ放題となった。国土保全の原点は山林保全である。かつては全国津々浦々の山々に営林署(現・森林管理署)の職員が派遣されていた。ところが「戦争資源」として伐採し尽くされ、「はげ山」が続出した。そのため、われわれの世代は小学校のころ、山に植林奉仕へと駆り出されていた。昭和20年代のことである(1950年ごろから本格化)。

 1960年(昭和35年)ごろから日本の高度成長が始まり、経済的な余裕がでてきたため、政府は外材輸入を推奨するようになった。この外材輸入政策が日本の住宅産業拡大に貢献したのは、まぎれもない事実である。当時は「国際化を先取り先駆的な政策」(このころは、まだグローバル化という言葉は使用されていなかった)と称賛されていた。

 この政策のおかげで国産材の製材所は淘汰されていった。おかげで歴史的に有名な木材産業のある地域経済の自立・循環型のシステムが崩壊した。一方、日本は世界から「エコノミックアニマル」と呼ばれ、避難の声が高まってきた。日本による強欲な世界の山林資源の買い占めにより、特にインドネシア、マレーシアの森林を「まるはげ」にしてしまった。木材資源を収奪された両国では「木材を日本に売るな!」と規制の動きが高まった。

 この動きに驚いた関係省庁は国産材利用を優先する政策へとシフトしていった。運が良いことに国内では、戦後に植林した樹木が成長していた。政府は強引に補助金を導入し、国産材利用の振興策を広めた。この過去の国産材対応における政府の「旗振り策」をみても、いかに行き当たりばったりだったか分かるだろう。

 グローバル化の現代においても、自国の山林資源を優先的に活用するのは当然のことである。「日本によるわが国の木材資源の略奪は許さないぞ」という批判の動きが起きても日本国内に対応できる資源があったという強運があったからこそ助かった。これがもし「日本に食料資源を輸出するな!」という動きが起こったならば、どうなるか想像していただきたい。

  最大の安保は「食糧安保」、食料輸出規制の波強まる

 賢明な読者の皆さんなら「国を守るのは食糧安保である」ことを承知されているはずだ。世界の食料自給率(出典:農林水産省HP)をカロリーベースでピックアップしてみると、日本は37%、アメリカ130%、フランス127%、イギリス63%、ドイツ95%である。アメリカは食糧もエネルギーも自前で調達できるから強い。あとは軍事力強化で軍事安保を鍛えるだけで済むから「楽ちん」だ。

 フランスに行った方であれば「フランスは農業国家なのだ」と驚くことだろう。フランスでは、まず食料に事欠くことはない。フランスは世界有数の農産物輸出国なのである。ドイツ、イギリスなどは自給率が低減傾向にある。しかし、日本と比較すれば倍近い数値を誇っている。これらの国々は歴史的経験から周辺国家と戦争を繰り返してきたことによって、食料安保の重要性が叩き込まれてきた。日本にはそうした思考の蓄積(食料安保の重要性)が薄い。休田の放置、草原化を加速させる国がどこにあるだろうか。

 「グローバル化の時代、金さえあれば食料はどこからでも調達できる」と大きな錯覚をしているのではないか!あまりにも脳天気である。国力が低下しているわが国は、いずれ輸入する資金も事欠くことになるだろう。

 そして、冷厳なる事実を突きつけよう。コロナ蔓延は「これは大変だ。食料だけはしっかりと備蓄しておかないと危機に対応できない」ということを世界各国に悟らせたのである。現にベトナム、タイでは食糧輸出を禁止する法整備が進んでいる。近々、公になるだろう。食料自給率を高めるための速やかな行動が求められている。そうしないと「日本の明日」はない。
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Net IB News コダマの核心 2020年04月24日 15:30
ご参考URL= https://www.data-max.co.jp/article/35432

      「コロナ恐慌革命」以降どうなるのか(2)~グロ―バリズムの幻想(前)

  インバウンドに「浮かれていた」

 「観光立国という国策に踊らされていた」と深く反省するのは、ホテル業を営む是永社長。同社は現在10のホテルを有しているが、そのホテルも稼働率が10%を割っている。「ホテルラッシュになったとき、“これは危険だ”と直感したのだが、優柔不断で判断が鈍ってしまった。手放すべきだった」。同社社長は他者に先駆けた決断をして事業を拡大させ、絶頂期にあざやかに身を引き、今日の栄華を極めた経営者なのだが――

 ある「中国人王」は「コロナの影響でホテル事業が壊滅するとは誰も予想できなかったよ」と悔やむ。この会社は中国人観光客を対象に、まずはクルーズ船に絞ったビジネスモデルを確立した。そして、この事業の行く末を見切って、対象を飛行機による中国人往来客へと舵を切ったのだが、この始末である。「せっかく、家族ぐるみで福岡に移住する決断をして、事業を移行したのだが、残念なことだ。かなりの金を失った」と打ち明ける。3棟のホテルは現在、閉鎖中。商売上手な中国人でも、さすがにコロナにより致命的な打撃を受けるとは予想できなかった。

 老舗ホテルの支配人・酒井は震えながら惨状を語る。「2月末は見通しが甘かったです。3月になり、日を追うごとに宿泊客が減り続け、宿泊率は15%です。やはりグローバル化によるインバウンドに過大な期待をしたツケがまわってきました。ウイルスだけでなく、過去にも他国との対立で、お客さんが急減したという苦い経験があります。こうしたリスクを考慮しなかったのは情けない限りです。浮かれすぎていました。もう一度、『宿屋』としての原点に戻ります」。

 コロナウイルスの襲来により、ホテル業界が壊滅するのではない!グローバル化の流れに乗って異常にインバウンドに傾倒したことがホテル業の危機を招いたのである。酒井が強調する「宿屋」の原点に立ち帰ってビジネスモデルを構築しないとホテル業の未来はない。

  「救助の手」は日本政府に頼るしかない

 新聞が「政府がアフリカに滞在の日本人約300人を帰国させた」と報じていた。しかし、世界には帰国のめどがたっていない邦人が約750人いるという。

 日本政府がチャーター機を派遣して武漢の日本人を脱出させたのは記憶に新しい。外国では誰も日本人を守ってくれない。滞在国でも当てにならないことが立証された。しかし、日本政府は「アフリカの彼方」まで、日本人が滞在していれば必死で救助の手を差し伸べてくれるのである。

 「グローバル化の時代は、世界のどこにでも飛び回ることができ、活躍できる」と過信して海外に定住する。その行動パターンを批判しているのではない。世界中にコロナが蔓延するという異常事態時に平然と踏みとどまる決断をした者は稀有であろう。現地に家族がおり、帰化していれば展開は違ってくる(現地で守ってもらえるだろうが…)。日本国籍の方々は不安にさいなまれて「日本に帰りたい」と泣き叫んだに違いない。

 佐々木は結婚40周年を祝し、豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号で東南アジアツアーに参加した。しかし、日本に近づいた際、乗客の中にコロナ発症者がいることが判明。上陸間近で2週間船に「幽閉」された。

 佐々木は「いやぁ、本当についていた。コロナ発症が判明した場所が日本ではなく、フィリピンや香港周辺の船中で起きていたらと思うとゾッとする。一体、どういう処置をされていたかを考えるだけでも怖くなってくる。2週間も部屋に監禁状態となり、船員たちの対応に八つ当たりしたくなる心理状態に追い込まれ、頭がおかしくなっていただろう。日本が見えていたから頑張れた」と語る。    つづく
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Net IB News コダマの核心 2020年04月23日 11:09     
ご参考URL=https://www.data-max.co.jp/article/35432

      「コロナ恐慌革命」以降どうなるのか(1)
                  ~ 7   0   代   経  営  者  は  引  退


 現在、水面下で「コロナ収束以降の社会はどうなるのか?」という議論が紛糾している。おそらく「コロナ蔓延から収束に向かう時期」を後世(近い時期)では、「現代の始まり」と呼ぶようになるだろう(この見解については後日、触れる)。このシリーズでは今後、社会、政治、経済体制などが、どうなっていくのかレポートしていきたい。

  不屈の経営者たちが自粛・事業マインド消失
 72歳の経営者Aは1週間のうち3日、東京で陣頭指揮を執っている。「いやぁ、東京で70代以上の経営者たちが、コロナに恐れおののいている姿を見ると情けない気持ちになる。感染すれば寿命が縮まる。だから『自宅にこもっている』とボヤいているのだ。あれだけ『生涯現役』と公言していたエネルギーは雲散霧消してしまった。もう、これで現役引退は確定してしまったようなものだ。これらの世代の経営者たちは一挙に経営から退陣するだろう。若手世代にとっては千歳一隅のチャンス到来だな?」と語る。

 さすがに豪快なAも頭が上がらない連れ合いがいる。「あなた!物好きもほどほどにしなさい。東京に行くのであれば即刻、離婚よ」と詰めよられたので、来週から当分、上京はストップした。

 上記で「?」をつけた意味は「客観的にみれば若手台頭の時代だが、現実問題、どこに該当者がいるのか」という強い疑問を抱いているからだ。歴史を紐解くと1945年8月、日本は戦争に負けた。マッカーサーは各部門の指導者たちを追放。財閥指導部連中も経営の中枢部から駆逐された。

 確かに日本には「情けない現実」がある。政治の世界でも「リスク管理能力ゼロの安倍首相に取って代わる人材がいるのか!自民党に代わる政党があるのか!」というものだ。

 若手経営者層も同じこと。設立以来、若手層を牽引してきたソフトバンク=孫正義氏もコロナの波にのみこまれようとしている。最悪の事態が発生すれば、次期中枢を担おうとしている若手経営陣にとってショックなことになる。慰めの言葉は、ただひとつ。「コロナ恐慌革命は長い道のりになる。そこで鍛えられた世代が育ってくるだろう」という言葉しかない。

  オムロン元社長立石氏、コロナによる死去のショック
 福岡で親しい経営者たちに連絡すると、大半が自宅に閉じこもっているようだ。Bは「事務所、ホテルを完全にシャットアウトしており、会社に出勤できないので自宅にいる。運動不足にならないように大濠公園を歩いている。コロナ自粛は長期的な覚悟がいると踏んでいる」と先を見すえている。

 「ただ、とんでもない情報が飛び込んできた。尊敬するオムロン元社長・立石義雄氏が死去したというニュースだ。ただの訃報ではない。80歳の故人が急逝した原因がコロナ感染によるものと報道されている。このニュースを耳にして我々、同世代の経営者たちは暗い気分になってしまい、経営から身を引いていくものと予想できる」と故人・立石義雄氏の強大な影響力について語ってくれた。

 だが、奇特な経営者もいる。77歳になるC氏は今日もまた、朝8時に工場に出勤していた。「受注が多すぎて若手設計士を5名ほど増員するつもりである」と意気軒昂。
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Felia! have fun 2020.4.23(木) フェリアフェリア
ご参考URL=https://mall.373news.com/felia/?p=195800

        ラーメン店相談役/絶望から一転、チャレンジャーとして生涯現役

   西 鈴子さん(鹿児島ラーメンみよし家/霧島市)

 国道10号沿いの「鹿児島ラーメンみよし家」牧之原店は、平日のランチタイムを過ぎても多くの客でにぎわっていた。ラーメンを食べ終えて早々と店を出るビジネスマンや、石焼ビビンバと定食を囲んで談笑する家族連れも。「食べたいものは人それぞれ。応えたくて」。柔らかな笑顔のあとに「私、チャレンジャーなのよ」と、いたずらっぽく笑った。

  両親が作り上げた店、従業員とともに守る

 1960年、父がラーメン店を始めた。郊外で広い駐車場がある店は当時はめずらしく、大隅半島と鹿児島市の往来に立ち寄る客で繁盛した。

 教育熱心だった母の影響で栄養士を目指し進学。資格を取り「商売をするつもりはなかった」。卒業後は県畜産試験場の寮に栄養士として勤めたが、家業は1日に1,000杯ほどのラーメンが売れ、てんてこ舞い。職場の上司らに心配されて1年後に仕事を辞め、店を手伝うようになった。

 「母がいなければ店は成り立たなかった」と断言するほど、客と従業員を大切にした母が病で亡くなったのは40歳のとき。心に大きな穴が空いた。創業時から働く従業員に支えられて5年が経った1993年。「平成5年8月豪雨」で店舗前の国道が数カ月間通行できなくなり、客足が止まる。このときの経営は今でも「どん底」の記録。その渦中に父が病で亡くなった。

「絶望を感じました。人生で一番つらかった時期」と涙目で振り返る。「店を守るのは自分しかいない。10歳の息子に泣き顔を見せられない」と、自らを奮い立たせて葬儀の翌日から店に立ち、2018年まで代表を務め上げた。

  自分らしい店づくり、息子にバトンを渡す

 父の代はラーメン4種類のみだったが、今はラーメンだけで14種類。つけ麺、ちゃんぽんもあり、麵以外のメニューも充実する。「おいしいと思うものに出合えるまで食べ歩きます。こだわりが強いんですよ」と、自分の店づくりにまい進した。

 長男の洋平さん(37)が代表に就任したおととしからは相談役として店に立つ。洋平さんが思う店づくりに協力し、一緒に作り上げるつもりだ。「生涯現役。体が動かなくなるまで働くつもり」。今日もパワフルに駆け回る。

西 鈴子さんプロフィール:鹿児島市生まれ。国分高校を卒業後、西南女学院短期大学家政科で栄養士の資格を取る。県職員を1年務めた後、家業のラーメン店へ。1993年から2017年まで代表取締役、2018年から相談役。店舗は本店(霧島市福山)、牧之原店(霧島市国分)、空港バイパス店(霧島市隼人)、味噌三兄弟(霧島市隼人・アクロスプラザ隼人内)の4つがある。

今これに夢中です 「人に喜ばれること」
 両親をがんで亡くしてからホスピスボランティアに携わるようになり、今は「鹿児島・生と死を考える会」の事務局をしています。最近は「子ども食堂」にも関わりたいと考え、人に喜ばれることを模索する毎日です。
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日経チャンネル 2020年5月15日(金)13:00〜18:00
ご参考URL=https://channel.nikkei.co.jp/e/sdgs0515

     SDGs × 教育 学生と考えるSDGsに取り組む企業の未来
       日 経 S D G s フ ォ ー ラ ム 特 別 シ ン ポ ジ ウ ム


 日経SDGsフォーラムは、就職活動中の学生を支援する日経HRと協力して「SDGs×教育〜学生と考えるSDGsに取り組む企業の未来」をテーマに、シンポジウムを開催します。SDGs(持続可能な開発目標)の達成まで、あと10年‥‥。2030年は現在の学生の皆さんが社会に出て活躍しているころでしょう。これから社会へと飛び立つ、意識の高い学生×SDGsに積極的に取り組む企業とのシンポジウムが、SDGs達成に向けた新たな切り口となるかもしれません。当シンポジウムは、日経チャンネルにてライブ中継します。ご覧いただく際は、ぜひ事前登録(特典付・無料)してください。【 日経チャンネル https://channel.nikkei.co.jp/e/sdgs0515

【 日   時 】 2020年 5月15日(金) 13:00~18:00
【 主   催 】 日 本 経 済 新 聞 社  日経BP
【メディアパートナー】 FINANCIAL TIMES
【企 画 協 力】 日経HR    【特 別 協 力】 三菱地所

■ プログラム
〇13:00~15:00  パネルディスカッション①
 テーマ『SDGs達成に向けた企業の取り組みと大学生の企業研究』
    登壇者)入江 利成氏 キリンホールディングス CSV戦略部 主幹
          塩入 徹弥氏 大成建設 管理本部人事部部長
         久宗 雅人氏 テクノシステム 専務取締役×蟹江ゼミ 学生4名
  ファシリテーター)蟹江 憲史氏 慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究所教授
〇15:20~17;00  パネルディスカッション②
 テーマ『エコ・ファーストはSDGsの観点からも重要 SDGsにつなげるエール』
    登壇者)樋口正一郎氏 戸田建設 価値創造推進室 副室長
         宮田千夏子氏 ANA HD 執行役員 サステナビリティ推進部長
         星山 英子氏 スーパーホテル 経営品質本部 CS推進部
         石田 建一氏 積水ハウス 常務執行役員 環境推進担当
  ファシリテーター)相馬 隆宏  日経ESG経営フォーラム 主任研究員
〇17:00~18:00  クロージング講演
 テーマ『22世紀にも生きていけるために』
         池上 彰氏  ジャーナリスト/東京工業大学 特命教授
※講演者、講演内容・タイムスケジュールは事前の予告なく変更する場合がありますのでご了承ください。

 Webライブ中継 視聴の事前登録受付中(無料)
 事前登録いただくと、登壇者の資料をダウンロードいただけます
※ダウンロードいただけるのは、許諾をいただいた登壇者のダウンロードに適した資料となります。配信で映る全ての資料がダウンロードできるわけではございません、予めご了承ください。

 事前登録は ➡ https://events.nikkei.co.jp/25815/ または日経イベント 検索
 お問合せ先   日経SDGsフォーラム事務局
         TEL 03-6812-8693(受付時間/9:30~17:30 土日祝除く)
         E-mail:sdgs-f@nex.nikkei.co.jp
 申込締切日   5 月 1 4 日(木) 1 7 : 0 0 
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 本日の話題ご紹介に先立ち、私たち生涯現役仲間には今秋百歳健康寿命モデル大先輩の実在が、何よりお目出度い限りです。32年前に遡りますが、1988年11月6日㊐から同月15日㊋迄の九日間、不肖私が日本生産性本部主催の。韓国釜山と中国上海寄港の洋上研修セミナー講師出講の際、個人自費受講ご参加のAKさんとご縁いただきました。
 従来は、毎年度洋上企業研修のみだった主催本部が、高齢社会化対策へのシニア生きがい研修試行への研修企業側・シニア受講側の接点を探る狙いを私たちグループに初回期待しての研修企画でした。
 企業研修は元来、新入社員・営業・管理者等重点の企業本位が主力で、高齢社会のシニア生きがい創造等個人主体は自己責任で。専ら限定の大企業退職準備講座が、無難な老後安住(生きがい無視・年金依存)説明会の様式程度でした。
 当時10年後の21世紀には日本高齢社会期到来は確定予測であり、グローバル化・ITデジタル化に伴う産業構造変革など、企業本位から人財本位化への起業・雇用社会に改革せざるを得ない時代到来も考えられます。
 この激変する30有余年の期間、AKさんは洋上研修終了後に『生涯現役』の人生目標を自己健康保持の『ヨガ』教室起業を永続するだけでなく、在日外国人への『日本語』教師としての生きがい人生謳歌の羨ましい毎日です。
 その意味で、下記の104歳御仁Aさんの「長生きしても意味ないよ」「死にたい! 死にたい!」で、二度とない貴重な人生を無駄に浪費したくないものです。 
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YAHOO JAPAN ニュース 4/19(日) 20:00
ご参考URされるL=https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200419-00017588-jprime-life

       “人生100年時代”に突入するも、
                104歳男性の本音「長生きしても意味ないよ」


   長生き時代、104歳男性の本音は
 日本の100歳以上の人は、2019年の厚生労働省調べで7万1238人と報告されている。49年連続で過去最高人数を更新しているといい、長生きは加速しているように見えるが、実際に100歳以上の方と暮らしたことのある人は、そんなに多くはないと思う。

 わたしたちは、有名人の100歳をテレビで見ることはあっても、身の回りで一般の100歳の人と接したことのある人はごく少数ではないだろうか。

 このわたしも同じで、近所のお婆さんは106歳で亡くなったというが、姿を見たことがないので、実感がわかない。100歳以上を生きている人は、どんな状態の中にいるのだろうか。おそらく、多くの方は介護施設で暮らしているにちがいない。

 日本政府は、国民が100歳まで生きることを前提に、働き方改革を打ち出しているが、永田町の人の頭がおかしいといわざるを得ない。言わせてもらうと、70歳過ぎて議員をやっているほうが異常だ。権力の味を知っているあなた方がやりたいのはわかるが、日本全体を考えたときは、若い人に譲るべきだ。ああ、若い人も政治に感心のない人ばかりでいやになる。諸外国では、おかしいと思うことはデモをして政府に抗議する。香港も韓国もフランスもそうだ。この話をしていると、頭に血がのぼり、倒れそうになるのでやめるが。

   数か月で激しい衰えがくる、長生きの厳しさ
 人間は、医学などの発達で100歳まで生きられる肉体をもったが、それと、人間らしく生きることは違うと思う。マスコミで取り上げられる素敵な100歳もいらっしゃるが、申し訳ないが、一瞬、切り取れば素敵だが、100歳は100歳だ。変な夢を与えないでほしい。

 わたしの周りには88歳から93歳ぐらいで元気でいきいきと暮らしている方が多い。そんな方たちを見ていると、自分も90歳ぐらいまでは、いけそうな気がしてくるが、1年と言わず、3か月後に会うと、身体が小さくなり、めっきり弱くなっている姿を見せつけられ、厳しさを痛感させられる。

 90歳の人は、健康で元気だから90歳の山を越えられた。しかし、60歳の元気とは明らかに違い、衰え方は激しい。

 現在63歳のAさんは、数年前に母親をがんで亡くした。母親はまだ79歳だったということだ。母親は58歳のときに胃がんが見つかり、胃の5分の4を切除した。Aさんは、必要な手術だったのか、今もって疑問を感じているが、当時は知識のない自分だったので医者の言いなりだったと自分を責めている。

 この手術をきっかけに母親の身体は弱り始めたというのだが、その当時、Aさんの母親の実父は存命で、同じ町内に息子夫婦と暮らしていた。Aさんからみて祖父にあたるその人は、100歳を過ぎていたにもかかわらず、普通に家で生活できたというのだから、驚く。

 しかも、日課のように毎日、Aさんの家に通ってきたというのだ。

   祖父の口癖は「死にたい」
 「歩いてですか」とわたしがびっくりして聞くと、Aさんは笑いながら頷いた。しかも、朝9時に来て、お昼を娘(Aさんの母親)と食べて、16時半に帰るというのだから、まるで、デイサービスだ。胃がほとんどない母親は、70代に入ると「暑い、疲れた」を連発するようになったが、父親が毎日来ることを拒まなかった優しい人だった。

 そのころ104歳だったというおじいさんはどんなふうに毎日を送っていたのか。その心境について、Aさんに聞くと、Aさんは苦笑いしながら答えた。

「祖父は“死にたい、死にたい”ってしょっちゅう言っていましたよ」

 本当にその言葉しか記憶がないほど、言っていたという。

 どう答えていいかわからなかった彼女は、「おじいさん、なんで、そんなに死にたいの?」と聞いたところ、祖父は「長生きしても意味がないよ」と答えたという。人により違いはあるだろうが、100歳を超えれば身体を動かすのも大変だろう。日常生活も苦痛を伴い、何かをやる意欲もなくなり……。

 いくら元気に見えても、その年を生きるというのは、それだけ大変なことに違いない。老いるというのは過酷だ。しかも、死ぬまで老いつづけなくてはならない。ただ食べて出して寝るだけの生活だと思ってしまえば、「生きていても意味がない」ことになる。

 120歳まで生きたい人もいるが、わたしにはAさんの祖父の「早く死にたい」という気持ちがとてもよく理解できる。健康だろうが、優しい家族がいようが、そういう条件の問題ではないのだ。

「死にたい! 死にたい!」それを毎日聞いていたAさんの母親も大変な心労だっただろう。

 その祖父は自宅で105歳のときに倒れたが、息子の家より娘の家のほうがよかったようで「ここから出してくれ!」と叫びまくり、自宅を出てAさんの家に来たという。結局、最後はAさんの母親が面倒をみることになった。祖父が希望の死を迎えることができたのは106歳だった。   (松原惇子)

松原惇子(まつばら・じゅんこ)<プロフィール>1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。39歳のとき『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。3作目の『クロワッサン症候群』はベストセラーとなり流行語に。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている。NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。著書に『老後ひとりぼっち』、『長生き地獄』、『孤独こそ最高の老後』(以上、SBクリエイティブ)、『母の老い方観察記録』(海竜社)など。最新刊は『老後はひとりがいちばん』(海竜社)。  
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J-cast.com 2020年04月21日12時45分
ご参考URL=https://www.j-cast.com/kaisha/2020/04/21384636.html?p=all

      7 3 歳 で M B A 、 7 7 歳 で 博 士 号 を 取 得
            「人生100年時代」を生き抜くために必要なことはなにか?


  現代は、2人に1人が100歳より長生きするという「人生100年時代」。日本をはじめ先進国では、社会の高齢化という課題の解決に目を奪われて、長寿化に合わせた仕組み作りはまだまだ。長寿化した、その分をどのように生きるかは個人に任されている。

「老後」や「定年後」の参考書には、ひとつのゴールのあとの余生の過ごし方的なことを述べたものが多いが、本書「定年博士 生涯現役、挑戦をあきらめない生き方」は、個人のゴールは自分で設定すべきものであり、会社の「定年」などはプロセスにすぎないことを教えてくれる。

 60歳前に「もう一段の高みを......」
著者の吉岡憲章さんは1941年生まれ。2020年には79歳になる。2011年、70歳で多摩大学大学院に入学。3年後、73歳で経営学修士 (MBA)を取得した。そして、これで満足することなく、さらに研究を進め、2019年には77歳で同大大学院経営情報学研究科の博士課程後期を修了。経営情報学博士号(Ph.D.)を取得した。

喜寿での出来事に「わが国博士号取得者の中でも、十指に入るほどの高齢取得者でしょう」という。

そんな吉岡さんは、じつは1000社以上の中小企業を救ってきた「再建請負人」の異名を持つ経営コンサルタントなのだ。顧客のビジネスパーソンや中小企業経営者らから「自分たちがこの先の人生を、どのようにして、より有意義なものにすればよいかアドバイスが欲しい」という要望が多く寄せられた。それに応えようと上梓したのが本書だ。

大学院への再挑戦を考え始めたのは「60歳を迎えるあたりから」。会社務めの身ならば、定年後に思いをめぐらすところだが、その年齢をゴールなどとまったく考えていなかった。「経営コンサルタントとして、もう一段の高みを目指すことに挑戦したいと考えるようになった。自分の人生で、オンリーワンといわれるような、独特な『経営再生手法』をつくり上げたい。そのためにも経営大学院に入って、論理的に究明する勉強をしよう。そう決心した」という。

経営大学院への挑戦に、実際に乗り出すのは、「考え始め」てから10年以上あとの70歳のとき。じつはこの間に、仕事上の危機や闘病を余儀なくされることがあり、それらを乗り越えたうえでなお気力衰えず「もう一段の高み」を目指してMBAの取得を成し遂げたところ、さらに学ぶべきことがあることがあると気づいたという。

「青年期ならぬ盛年期」
仕事上の危機は、役員として指導する上場会社が倒産の危機に直面したこと。社員のために、債権者のために、何とかしなければならないとの思いで再建の陣頭指揮を執ったという。前例がほとんどない法的再建の事例で作業は困難を極めたが、最終的に再生は成功。裁判官からは「奇跡的な再建」といわれた。

この「修羅場の経験」が、その後の経営コンサルタントとしてのスキルアップに大いに役立ったと振り返る。常に前向きなキャラクターなのだ。この再生作業と立ち直りのアフターケアでかかった月日は合わせて5年。いよいよ、大学院へ、と向かうところで今度は病魔に侵されていることがわかる。病名は前立腺がん。

手術前には、前向きなキャラクターもへこみ「もう生還できないかもしれない」と、遺言状まで書いたほど。だが「当時、治療に採用されたばかりの最先端の手術」を受けることができ、無事に生き延びることができた。

これら「思いがけないアクシデント」に見舞われれば、年齢的にも、一たん決意したこととはいえ、くじけても不思議ではない。大学院に入ってからも「もうダメだ、もう投げ出そう!」と思ったことは1度や2度ではなかったという。

吉岡さんは、年齢的な衰えがあったことを自覚。それに加えて、当初は予想もしていなかった苦難があった。それらを乗り越えることができたのは「妻の存在が、言葉に表せないほど大きかった」という。「博士号は、妻と2人で取得したもの」ともいう。

だが、最終的には本人の強い気持ちがあればこそだろう。「一般的には仕事の上では卒業するような年齢でも、『これからが自分の青年期ならぬ盛年期が始まる』との思いでトコトンやれば、夢を掌中に納めることができる。いま、その確信を得ることができた」。本書に述べられた「確信を得る」プロセスは、多くの人に参考になるに違いない。 
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All About 2020/04/19 21:50 平井 千里(管理栄養士)
ご参考URL= https://edit.diarynote.jp/home/diary/edit/?time_id=202004200624239563

      4 0 過 ぎ た ら 止 め る べ き ! N G 老 け 食 習 慣

  老け見え・若見えの、見た目年齢と実年齢に差が出るのはなぜ?
 同窓会などに参加すると、同い年なのに、まだ若々しく見える人と、年齢よりも老けて見える人がいると思います。年齢を重ねていく中で、いわゆる「見た目年齢」の差が開いていくのはなぜなのか。この違いは「細胞の老化度合い」がもたらしていると考えられます。では細胞老化スピードの差はどのようにして出てくるのでしょうか?

  「細胞分裂のスピードを落とすこと」が、若さと長寿の秘訣になる可能性
 細胞は常に新陳代謝を行っており、あたらしい細胞と入れ替わっています。細胞をつくるための設計図は遺伝子。これはみなさんご承知の通りです。

 人の遺伝子は父親から1本、母親から1本を受け継いだ2本で一対になっています。両親から1本ずつもらって2本あるということは、「端っこ」があるわけです。

 遺伝子は体や性格をつくるためのデータですから、このデータが失われることは大問題。そのため、端までデータを失わないために、もしくは端のデータを失っても問題が起こらないように、両端に何も書かれていない部分が存在します。この部分を「テロメア」といいます。

 「テロメア」は昔のカセットテープの「リード部分」とか、靴ひもの先端の硬いところと説明されることもあります。なくても困らないようでいて、ないと困る部分です。

 その証拠に、この「テロメア」は単なる端っことしての役割だけでなく、体細胞が分裂した回数をカウントする役割をしています。言ってみれば「寿命の回数券」です。この回数券が尽きると、細胞は分裂できなくなり死を迎えるのです。

 ここでのポイントは「回数券」であるということ。すなわち、細胞分裂の「回数」は決まっていますが、次の分裂までの「間隔」は決まっていないのです。1回の分裂でできた細胞は、長く使うことができても、短期間しか使えなくても、1回は1回として数えられるのです。

 つまり、次の分裂が遅くなればなるほど、若い状態を保つことができますし、長寿にもなるということです。

  「食べ過ぎは老ける」は本当か
 ここで、ひとつの実験を見てみましょう。『Science』誌【※注記】に掲載された有名な写真です。AとB、CとDは同じサルの写真です。ここでAとCの写真を見比べてください。Cのほうが若く見えませんか? しかし、この2匹のサルは同い年(20歳)です。この差はどこから生まれたのでしょうか?

 実は、理由は単純なこと。片方には好きなだけえさを与え、もう一方には前者の8割程度のえさをコンスタントに与え続けます。そして2匹が20歳になったときの写真がこれ。サルの20歳というと、人間では大体60歳くらいだと考えればいいと思います。

 どちらがどちらかは、もうお分かりですね。AとBは好きなだけえさを食べたサル、CとDが食事制限をしたサルです。この写真から「食べすぎ」が老化を早めてしまうことがお分かりいただけますね。

  年齢より若く見られるためには
 「遺伝子は変えられないんだから、細胞分裂のタイミングだってどうせ変えられない」と思っている方もいるかもしれません。しかし、ちょっと待ってください。遺伝子は変えられませんが、細胞分裂のスピードは変えることができます。

 どのようにするかはこのサルたちが教えてくれています。昔からよく言う「腹八分目」。これが若々しさを保つ極意なのです。

 食事内容としては、全粒粉の穀類・野菜・果物・豆類などの植物性食品を積極的にとる、脂肪の多い動物性食品や精製された炭水化物をひかえめにする、加工食品はひかえるなど、かさはあってもエネルギー量の少ない食品を選ぶと腹八分目を続けることができます。

 活性酸素をためないように、抗酸化作用のあるビタミンCなどをとる方法もあります。さらに、時間栄養学の考え方を使って、夜中に食べないようにする、早めに満腹感を得られるようによく噛んで食べるなど、食事ひとつをとってみても、細胞分裂を遅らせる方法はたくさんあります。

 食事は毎日のことなのでおろそかにしてしまいがちです。たしかに、日々の食事の影響はほんとうに小さなものですが、継続は力なり。長い時間を経た後に、大きな差を生むのです。

 他にもテロメアを守るためには、ウォーキング等の運動をしたり、ストレスをためないよう早めに発散したりすることも有効です。「健康的な生活」こそが、いつまでも若々しくいられるためのポイントです。

▼ 平井 千里プロフィール:メタボ研究を行いエビデンスに則ったダイエットを教える管理栄養士。小田原短期大学 食物栄養学科 准教授。女子栄養大学大学院(博士課程)修了。前職の病院での栄養科責任者、栄養相談業務の経験を活かし、現在は教壇に立つ傍ら、実践に即した栄養の基礎を発信している。
【※注記】
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 いつもお読み頂き、有難うございます。

 新型コロナ問題では過日16日、日本政府は緊急事態宣言の対象地域を7都府県から全国に拡大することを決めました。すでに医療崩壊の実体が多く報じられており、本格的な感染拡大(オーバーシューティング)の可能性も指摘されています。
 皆様におかれましては、生活や仕事でさまざまなご苦労があるかと思いますが、しっかりとできることを全うし、産官学とNGO/NPOが協働し、この世界的な災禍に立ち向かっていく時だと考えます。そこでーー
■ 新型コロナ、支援したい人とされたい方をマッチング
 新型コロナウイルスの感染拡大の中、マスクや消毒液、子どもたちの食料などを支援できるという個人・法人の方はぜひ、名乗りを上げて頂くよう、お願い申し上げます。支援を求めている団体からの情報も受け付けています。
 メルマガなどで紹介します。連絡先⇒ オルタナ編集部(info@alterna.co.jp)
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■ CSR検定第1回1級試験合格者13人の顔ぶれ
 2015年に[新]CSR検定として全面リニューアルしてから5年が経ちました。これまで3級は5418人が受験、2級は752人の方たちに受験頂きました。1級試験は2019年11月に73人が1次試験を受験され、2020年2月の2次試験(面接とプレゼン)を経て、このほど13人の方が合格されました。この13人は、6000人以上の受験者の中で、最も早く頂上に達した、栄えある13人です。皆さんの会社にもおられるかもしれません。
 ご本人たちの同意を得たうえ、1級合格者全員の氏名と所属を発表させて頂きました。⇒ https://bit.ly/3epMf9r
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CSR検定(サステナビリティ経営とSDGs)第1回1級試験(1次:2019年10月実施、2次:2020年2月実施)の合格者は次の通り。(法人名と敬称略、受験番号順)
・日本マクドナルド CSR部 岩井 正人
・日立製作所 サステナビリティ 推進本部 岡田 直子
・三井物産 サステナビリティ 経営推進部 高堰 博英
・外村公認会計士事務所 所長 外村 泰嗣
・カルビー 生産本部生産管理部 西村 敏之
・カーギルジャパン  コーポレートアフェアーズ部 菱沼 雅久
・東レエンジニアリング 常務取締役CSR全般統括 松田 雅一
・ブリヂストンプラントエンジニアリング 安全防災環境推進室長 中村光男
・カシオ計算機 ESG推進部 サステナビリティ推進室 木村 則昭
・瀧定名古屋 紳士服地部 澤田 竜吾
・小野薬品工業 コーポレートコミュニケーション統括部 広報部 岩井 信之
・小林製薬 中央研究所研究推進部 和己 玲子
・タビオ奈良 研究開発事業部 米崎 欣弥
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◆ 今週のクラウドファンディング
 アフリカにおける感染拡大を防ぎ、人々の暮らしを守りたい
 新型コロナウイルスの感染を予防する手洗いなどの啓発活動とともに、最脆弱層の人々の生計支援活動を実施
目標金額500万円/残り44日。詳しくは⇒https://camp-fire.jp/projects/view/255160
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■ 締め切り6月15日「SDGs学生小論文アワード by 住友理工」
 テーマ「企業が持続的に成長するために、SDGsにどう取り組めば良いのか?」
賞金 最優秀賞100万円 最優秀次席50万円  詳しくは⇒ https://sr-s-award.jp/
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    東京都目黒区駒場1-26-10-304
       info@alterna.co.jp
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Zak zak by夕刊フジ 2020.4.18 経済・マネー
ご参考URL=https://www.zakzak.co.jp/eco/news/200418/ecn2004180001-n1.html

     【定年後・自走人生のススメ】
         企業の福利厚生「手当・給付・財産形成」型から「環境整備」型へ


 「働き方改革や健康支援を含め、多様な人材が活躍できる環境の整備に向けての課題意識がうかがえるも、対応は道半ばという現状が判明」

 日本生命(大阪市中央区、清水博社長)が、昨年行った『ニッセイ福利厚生アンケート調査』(2020年3月発表)の結果である。全国の従業員(職員)300人以上の企業・団体、約860社から回答を得たという。

 調査では、「経営環境が大きく変化する中で、多様な人材が活躍し、従業員が満足して働ける環境の整備は、大変重要な経営課題となっている」との認識が示されており、企業の福利厚生制度の整備・充実の大切さが伝わってくる。

 従業員の多様性を、いかに企業の組織パワー向上に生かすか…というダイバーシティ・マネジメントの対象として、企業はどの程度「高齢従業員」を意識しているのだろうか。

 圧倒的に多いのが、「女性の従業員」(86・5%)であり、以下「障がいのある従業員」(78・2%)、「高齢の従業員」(69・2%)、「外国籍の従業員」(57・2%)となっている。

 ダイバーシティについては、女性活躍推進に対する意識の高さが、今回調査でも改めて確認された。16年4月の「女性活躍推進法」施行など、「働き方改革」に先駆けての取り組みの成果といえよう。

 また、正規雇用の従業員に対して、今後拡充させたい福利厚生の領域は、「健康支援への取組み」(45・0%)、「メンタルヘルス対策」(29・0%)、「60歳以降への定年延長や定年廃止」(20・2%)が上位3位を占めており、介護休業やホームヘルプ補助などの「介護支援」(18・9%)、ライフプラン研修などの「情報提供」(15・7%)が続いている=図参照。

 これまでの「手当・給付・財産形成」型の福利厚生から、「仕事と私生活の両立」や「元気で働き続けるための支援」などの、環境整備型へと企業の視点が移っている様子がわかる。

 これは、高齢従業員にも働きやすい環境整備の必要性や「女性に続いて、次は高齢者に活躍して欲しい」という企業側の意識の表れなのだろうか。

 定年後研究所では、「労働市場変化に関する調査研究」(ニッセイ基礎研究所との共同研究)を行っており、労働市場に押し寄せる“変化の波”をとらえている。

 それは、「少子高齢化による人手不足」「70歳定年や生涯現役社会の実現」「健康支援による生産性の向上」「副業・兼業やテレワークなどの働き方の多様化・柔軟化」などである。

 企業は、これらの環境変化に対応しながら、高齢従業員をはじめとする多様な従業員の能力や生産性の向上に取り組まなければならず、福利厚生(制度)は、企業経営の上でますます重要なパーツになるものと思われる。(次回につづく)

 ■得丸英司(とくまる・えいじ) 「一般社団法人定年後研究所」所長。(株)星和ビジネスリンク取締役専務執行役員。1957年生まれ。日本生命保険で25年にわたり、法人・個人分野のFPコンサルティング部門に従事。日本FP協会常務理事、慶應義塾大学大学院講師などを歴任。日本FP協会特別顧問。

◇ 【定年後研究所】
 日本で初めての「50代以上会社員」に特化した、定年後ライフの準備支援機関。定年後の「自走人生」を目指すシニアを応援。ポータルサイト『定年3・0』(https://www.teinengo-lab.or.jp)を通じ、コミュニケーションスタイル診断アプリ「コミスタ」を無料提供中。
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YAHOO JAPAN 2020/4/14(火) 22:27 配信オルタナ
ご参考URL=https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200414-00010003-alterna-soci

       ケニアの貧困層に小口融資、事業拡大を支援

社会課題を解決するビジネスアイデアを披露する「みんなの夢AWARD10」が3月26日に開かれた。ファイナリスト6人がプレゼンテーションを行った結果、グランプリにはケニアの貧困層にマイクロファイナンスを提供する小林嶺司さん、準グランプリには「シニア世代が当たり前に働く社会」を目指す廣川絵理花さんが選ばれた。

■ 小規模事業者に1000円から融資
グランプリに選ばれた小林嶺司さんは、東アフリカにあるケニアに移住して1年になる起業家だ。失業率が40%に上るケニアで、お金を借りられない小規模事業者に1000円から融資するマイクロファイナンスを手掛ける。

小林さんは20歳のころ、バックパッカーとしてアフリカを横断し、アフリカの活気や人柄の良さに魅せられた。一方で、だまされることも多かった。

その背景には、銀行が貧困層にお金を貸すことを禁止していたため、誠実に事業をしている人でも融資を得られずに損をし、貧困の連鎖が続くという現状があった。小林さんが出会った服の行商をしていた23才の男性は、朝から晩まで働いても月収は5000円。ケニアの平均月収4.5万円と比べても低かった。

そうした現状を知り、小林さんはマイクロファイナンス事業を開始。貧困層に1000円から事業融資している。事業者は融資を返すことで信用が蓄積され、さらに大きな融資を得られるようになる。すでに美容師やキオスクオーナーなど637人に小口融資を行い、返済率は99.1%に上っているという。

小林さんは「まじめに働いている人が得をする社会にしたい」と意気込みを語る。

ケニアの貧困層に小口融資、事業拡大を支援
準グランプリを受賞した廣川絵理花さん
■ 「生涯現役」が認知症予防にも
準グランプリを受賞した廣川絵理花さんは、特別養護老人ホームで機能訓練に力を入れている。「年を取っても幸せに生きていくには、最後まで仕事をしたり運動したりすることが大切」という思いから「シニア世代が働く環境を当たり前にする」ことを目指す。

廣川さんの両親は足を悪くしたことで、仕事や地域のボランティアに参加することが難しくなり、社会参加の場がなくなった。70代で認知症を発症した両親について、「もし生涯現役だったら、認知症にならなかったのではないか」と振り返る。

そこで2014年、シニアスタッフで構成するコールセンターの実証実験を開始。2020年には第一センターを本格稼働し、月間売上高500万円を目指す。2023年には第二センターの設立、2030年には団塊の世代ジュニアの老後に向けてシニア向け仕事付き高齢者向け住宅を計画している。

廣川さんは「一人でも多くのシニアにできるだけ長く働く環境を提供していきたい。それは若者の未来のためにもなると信じている」と意欲を見せた。

このほか、「更年期ケアを映画で届ける」ことを目指す永田京子さん、障がい者雇用・就労1万人を目指す鈴木比呂さん、「虐待、不登校、うつ病、認知症ゼロの地域社会づくり」を掲げた武田規公美さん、エンターテインメントの力で投票率向上に取り組む高村治輝さんがファイナリストとしてそれぞれプレゼンテーションを行った。

グランプリの小林さんには最大2000万円の出資交渉権が贈られるほか、ファイナリストも夢に共感した協賛企業からの支援が受けられ、実現に向けてさらなる一歩を踏み出す。
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時事ドットコム ニュース 企業プレスリリース詳細へ (2020/04/14-12:05)
ご参考URL=https://www.jiji.com/jc/article?k=000000002.000047742&g=prt

     【リタイア後の人生考えていますか?】1,023人の医師に聞いた!
            リタイア後の人生をよりよく過ごすために必要なこととは…?


 [株式会社インベストメントパートナーズ] “自分4.0” 投資する。モノではなく生き方に。
 株式会社インベストメントパートナーズ(本社所在地:大阪市西区、代表取締役:川口 一成)は、全国の医師を対象に、リタイアに関する調査をゼネラルリサーチに依頼し実施内容をご紹介します。

 一般企業の定年は65歳などと言われていますが、開業医には定年という概念はありません。

 生涯現役で活躍する医師も多いですが、
「体力に合わせて徐々に仕事量を減らしたい」
「診療の現場は後継者に任せて、自分は経営に専念したい」
「65歳までに仕事を辞めて、海外で暮らしたい」
など様々なお考えの方がいらっしゃいます。

 ご自身の望むやり残しのない人生を送るために、他の医師はどのような準備をされているのでしょうか?

 そこで今回、株式会社インベストメントパートナーズ(https://www.ivm-bplan.com/)は、全国の医師を対象に、リタイアに関する調査をゼネラルリサーチに依頼し実施しました。

 今の仕事を何歳まで続けたいですか? 
 まず医師は、今の仕事を何歳くらいまで続ける予定なのか伺っていきたいと思います。

 「今の仕事をどのくらいまで続けたいと考えていますか?」と質問したところ、『生涯現役(29.5%)』と回答した方が最も多く、次いで『65歳~69歳(19.9%)』『70歳~74歳(19.4%)』『60歳~64歳(13.2%)』『75歳~84歳(7.4%)』と続きました。

 セミリタイア(仕事量を今の5~8割程度に軽減)を希望しますか?
 それでは、セミリタイア(仕事量を今の5~8割程度に軽減)を希望する医師はどのくらいいるのでしょうか?

 「セミリタイアを希望しますか?」と質問したところ、6割以上の方が『体力に合わせて、仕事量を減らしていきたい(31.9%)』『60歳以降は診療日数(勤務日数)を現在より週1~2日程度減らしたい(30.4%)』と年齢や体力に合わせてセミリタイアを希望すると回答しました。
 同じ仕事量で続けていくというよりは、年齢や体力に合わせてセミリタイアをし仕事を続けていきたいようです。

 リタイア後は●●したいと回答!具体的にどのようなことをしたいのか?
 ここまでの調査で、医師のセミリタイアに関する考えが明らかになりました。
それでは、医師はリタイア後の生活を具体的に考えているのでしょうか?

 「リタイア後の生活を具体的に考えていますか?」と質問したところ、4割以上の方が『考えている(45.9%)』と回答しました。

 医師はリタイア後、どのようなことに挑戦してみたいのでしょうか
 「リタイア後、どのようなことに挑戦してみたいですか?」と質問したところ、『家族で描いていた夢の実現(40.3%)』と回答した方が最も多く、次いで『社会貢献(27.0%)』『子どもの頃からの夢を実現(14.7%)』『若手の育成・研究開発(8.2%)』『経営コンサルタントやセミナー講演(5.8%)』と続きました。

 具体的にどのようなことに挑戦してみたいのでしょう。詳しく聞いてみました。
■ リタイア後に挑戦したいこととは…?
・「妻と世界一周旅行をする」(30代/男性)
・「医療の知識を活かしたボランティア活動を行っていきたい」(30代/女性)
・「発展途上国で医療活動をする」(30代/女性)
・「地方に移住して農業に挑戦したい!」(40代/男性)
・「現在行っている研究の実用化に向けて動きたい」(50代/男性)
などの回答が寄せられました。

 将来に向けて取り組むべきことは●● 実際に準備している?

 前述でリタイア後に医師が挑戦したいことが明らかになりました。しかし、リタイア後必要になってくるのが生活資金です。

 リタイア後も現役時代と同等の生活レベルを維持するためには生涯平均年収の6割が必要だと言われています。例えば、生涯平均年収2,000万円の方であれば、月100万円程度が必要です。

 どのくらいの医師が、生活レベル維持のために準備しているのでしょうか?
 「あなたはリタイア後の生活レベル維持のためにどの程度準備できていますか?」と質問したところ、『3~5割程度の目処は立っている(46.9%)』と回答した方が最も多く、次いで『6割以上準備できている(27.7%)』『公的な年金のみでほとんど準備できていない(24.9%)』と続きました。
 医師の7割以上がリタイア後の生活レベル維持のために少なくとも3割程度の準備ができているようです。

 準備している方も、準備していない方も将来に備えて具体的にどのようなことに取り組んでいるのでしょうか?
 「具体的に将来に備えて取り組んでいることを教えてください」と質問したところ、『貯蓄(49.0%)』と回答した方が最も多く、次いで『投資・資産運用(25.3%)』『年金等の公的制度の活用(19.8%)』『専門家との相談(4.7%)』と続きました。
 将来に備えて貯蓄という選択をし、堅実に資産を蓄えているのかもしれません。なかには、投資や資産運用を行い、今ある資産を増やすという選択をしている方もいるようです。

 将来に備えて今後取り組む必要があるのは…?

 前述で、医師が将来に向けて取り組んでいることが明らかになりました。では、将来に備えて今後取り組む必要があるのは何でしょうか?
 そこで、「今後、将来に備えて取り組む必要があると感じていることを教えてください」と質問したところ、『貯蓄(44.1%)』と回答した方が最も多く、次いで『投資・資産運用(29.3%)』『保険の見直し(20.7%)』『専門家との相談(5.2%)』と続きました。
 貯金で堅実に資産を蓄える方法か、今ある資産を増やすという方法に取り組む必要があると感じている方が多いようです。
■ 必要性があると感じている理由とは…?
・「今の貯蓄額に不安があるため」(30代/男性)
・「少しでも余裕のある生活をしたいから」(40代/男性)
・「今は貯金をしているが、貯金よりもお金を増やすほうが有効に感じる」(40代/男性)
・「公的・私的年金制度等は社会経済により当てにならないと言われているから」(50代/男性)
などの回答が寄せられました。
 現在貯蓄をしている方も、貯蓄額に不安を感じて、投資や資産運用の必要性を感じているのかもしれません。
 6割以上の方がよりよい人生を送るために専門家とじっくりと話してみたいと回答
 リタイア後、よりよい人生を過ごすために、現在取り組んでいること、取り組む必要があると感じていることが明らかになりました。

では、リタイア後の人生をより強くイメージするため、安心して過ごすためにライフプランに精通した医業専門のコンサルタントに相談してみたい方はどのくらいいるのでしょうか?

 「よりよい人生を送るために、ライフプランに精通した医業専門のコンサルタントに相談してみたいと思いますか?」と質問したところ、6割以上の方が『はい(63.4%)』と回答しました。
 マネーライフプランニングに精通した医師専門のコンサルタントに相談すれば、リタイア後も豊かな時を過ごすためには何がどのくらい足りないのかや、どのような準備をしていけば良いのかを知ることができますよね。

 今回の調査で、医師のリタイアに関する考えが明らかになりました。
 リタイア後の人生を考えている方も考えていない方も、将来必要になる資産について今のうちから備えておくことが重要ではないでしょうか?

 よりよい人生を過ごすために、早い段階でマネーライフプランを練ることが非常に重要です。また、将来に関する悩みも一緒に相談できる、そんな専門家とともに将来のことについて話す機会があれば良いですよね。

 理想のファイナンシャルゴールへの道を切り開く『“自分4.0”サービス』

 「リタイア後の人生、明確にしたいことがある!」と考えている方も、「今のうちの準備って何すれば…」と何を始めて良いか分からないという方も、株式会社インベストメントパートナーズ(https://www.ivm-bplan.com/)の『“自分4.0”サービス』で計画的な資産運用を始めましょう!
 『“自分4.0”サービス』は人生のゴールや夢・ビジョンを明確にすることで、その実現にいくら必要かを算出、あらかじめ理想のファイナンシャルゴールを設定。
 提携税理士や会計士などの専門士業、ファイナンシャルプランナー、経営コンサルタントなどの専門家ネットワークを駆使し、理想とのギャップを明確化することにより、どのようにそのゴールを目指すのか具体的な手法に落としていきます。
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 リタイア後、どう過ごそうかお考えの医師のみなさま、株式会社インベストメントパートナーズにご相談ください。
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■ お問い合わせ:https://www.ivm-bplan.com/contact/
■ お電話でのお問い合わせ:0120-43-5410
 調査概要 : リタイアに関する調査
 【調査期間】2020年3月27日(金)~2020年3月30日(月)
 【調査方法】インターネット調査
 【調査人数】1,023人
 【調査対象】全国の医師
 【モニター提供元】ゼネラルリサーチ
 
 データ提供
 本コーナーの内容に関するお問い合わせ、または掲載についてのお問い合わせは株式会社 PR TIMES ()までご連絡ください。製品、サービスなどに関するお問い合わせは、それぞれの発表企業・団体にご連絡ください。
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デイリースポーツ 04/15 06:00
ご参考URL=https://article.auone.jp/detail/1/5/9/17_9_r_20200415_1586898231720051

      大林宣彦さん「皆さん、ありがとう」と旅立つ 妻・恭子さんが遺言明かす       

 肺がんのため10日に死去した映画監督の大林宣彦さん(享年82)の妻で映画プロデューサーの大林恭子さんが14日、コメントを発表した。関係者によると、同日までに家族葬が執り行われ、恭子さんは葬儀を終えたタイミングで亡き夫への思いを明かした。

 “生涯現役”だった大林監督の死を「この度、監督は、次回作のロケハンに出かけました」と表現した恭子さん。「私との63年間の日々は、文学と音楽と映画の日々」と共にした時間を回想した。

 “尾道3部作”など、多くの作品を残した大林監督は「口癖は『眠るのは死んでから充分眠れるのだから眠るなんて勿体ない』と本当に眠らなかった」という。「今頃、ロケハンの途中の天国村で、黒澤明監督や本多猪四郎監督、立川談志さん、高畑勲監督、和田誠さんにお会いして、映画談義が尽きることなく、やっぱり眠っていないのでは」とかつての盟友たちとの再会を願った。

 亡くなった日は最新作の公開予定日。「まだまだあふれる才能の持ち主、彼にあと三倍の映画の時間をあげたかった」と吐露して無念をにじませた。亡くなる数週間前から「皆さん、ありがとう」と言いながら映画の夢を見ていた大林監督に「ありがとう、愛してる」と伝えていた恭子さん。「大林作品を愛してくださったすべての人に監督の『ありがとう』をお伝えしたく存じます」と改めて感謝を伝えた。
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AERA dot. 2020.4.12 07:00
ご参考URL=https://dot.asahi.com/dot/2020040900050.html?page=3   

   「マスカラスがこんな小さな会場で?」って俺が言い放ったのに

 その後もいろんなリングに上がって生きながらえてきた俺だけど、「さぁ、60歳か」というタイミングでプロレスラーを辞めなければならない時がくるのかなってこともよぎった。そんな時に、「自分で興行をやればいいじゃない」って気楽に考えようと思っていたら、娘(現・天龍プロジェクト代表)が手伝いをしてくれることになって、彼女が前面に出ていろいろやってくれた。晩年の俺が生きていく上での、意味を見出してくれたね。リングに上がりたいというよりも、リングという俺の居場所があるという安心感だよね。

 娘がいろいろやってくれるようになったらのん気、気ままにやろうと思っていた天龍プロジェクトは「半年に1回のペースの興行では天龍源一郎がいないみたいになってしまう!毎月やります」って、ガンガン働かせられたよ(笑)。俺が自分の居場所を持つことでまたかつての団体から出場オファーがきたり、懐かしい選手たちとも再開する機会が増えて、あちこちの団体と交流が出来た。「いつかは天龍源一郎と試合したい」っていう若いレスラーたちの励みにもなったかな?そんな思いで過ごしているうちに脊柱管狭窄症で手術入院、休養をすることになった。

 俺がいない間の興行でもファンは変わらずに応援してくれたよね。天龍源一郎なしで他のレスラーたちもよくヘルプしてくれたよ。天龍源一郎不在の天龍プロジェクトの為に身体を酷使してくれたレスラー達には感謝してるよ。

 レスラーって他の団体の試合に上がると“格”が落ちると思って嫌がる場合があるんだよね。“格”っていうのを気にするから、俺も天龍プロジェクトの初めのころに興行をやった時「このヤロー!こんなちっちゃな会場でやったら俺の名前が傷つくだろう!」って文句言ってたんだよ。そしたらある時、マスカラスがある会場で試合をやることになって「マスカラスをこんなところでやらせるのかよ!」って俺はブーブー言ってたのに、結局その会場で毎月試合をやるっていうね(笑)。また、別の話でマスカラスを呼んだある団体があって「なんだよ、マスカラス、こんなしょうもない団体の試合に上がっちゃって!」って言っていたのに、その2年後、俺がその団体の試合に上がるとは夢にも思わなかったねぇ~(笑)。本当に口は災いの元だよな。

 体のことでは、結婚した当初から食べ物には気を使っていたね。女房が作ってくれる唐揚げとか肉のメニューをバランス良く食べるようにしていた。女房はファイトマネーが少ないころからずっと算段してくれて、支えてくれているな。

   馬場さんが体重計に乗ってビックリ!

 というのも、体重が極端に減ってしまうと馬力が違ってくる。相手に加える圧力と言うか、やられても耐えられるはずなのに耐えられなくなる。体重が馬力に直結するわけだから、ガンガンガンって叩いて、ヒーッって逃げたヤツをガバッってやって、ものすごい楽。擬音だけでわかるだろ?(笑) 

 だから馬場さんくらい体が大きいと向かうところ敵なしで楽だっただろうね。体重、140キロ位はあったからね。そんなにあるように思わないだろ?馬場さんが体重計に乗ったときに「え?馬場さん142キロもあるの??」ってビックリしたのを覚えているよ。

 食べることの延長になるけどジャンクフードは食べない。プロレスに入ってアメリカ修行時代に現地の選手たちが、チキンでも皮の脂身のところは食べなかったり、胸肉しか食べないとか、プロとしての徹底した食生活が頭にインプットされて、練習のあとにプロテインを飲むのもアメリカ修行で知った。その流れで、娘が小学生のころは、朝飯にプロテインを飲ませて学校に送り出していたからな(笑)。ハンバーガーとかも食べなかったね。ミンチの肉は食べない。家の食卓にもハンバーグやミートボールは出なかったね。アメリカで選手たちの食生活を見て、こういうふうにしなきゃいけないんだって勝手に思ったんだよね。

 それ以外に気を付けていること?何もないな……息をしているだけ(笑)。体を動かさないとご飯が美味しくないから最低限のことはやっているよ。せっかく女房が作ってくれるご飯だから美味しく食べたいっていう気持ちはいつもある。

 人生最後の食事に何で食べたいかって?………プロテイン飲んでから死にたいな(笑)。俺が自分で作ったやつだよ、ちゃんとシェイクして。リンゴ、ヨーグルト、牛乳とプロテイン大さじ3杯。あ、アイスクリーム入れると美味しいんだよ!って何、いってんだか……。

 生涯現役。これは、プロレスは無事に終えられたけどね、決して人生が終わるわけじゃないから、そこは間違っちゃいけない。いつ終わっちゃうかわからないのも人生だけど、でもその日まではアエラさんでも好き勝手語らせてもらいながら楽しく、今できる生涯現役を貫いていきますよ!(笑)
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AERA dot. 2020.4.12 07:00 トップ > スポーツ > 記事
ご参考URL=https://dot.asahi.com/dot/2020040900050.html?page=1

      連載「 7 0 歳 か ら の は っ け よ い ! 」
       天 龍 源 一 郎 が 語 る ” 生 涯 現 役 ” ベ ン チ プ レ ス 2 0 0 キ ロ 上 げ た の は
                                5 0 歳 過 ぎ て か ら だ よ !


 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えて、カムバックを果たした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいこととは? 今回は「生涯現役」をテーマに、飄々と明るく、つれづれに語ります。

  【天龍さん、50歳になるまで行ったことなかった場所って?】
*  *  *
 生涯現役なんていう言葉があるけど俺はずっと現役でプロレスをやれるもんだって気概や自惚れがあった。それがある時、自分で自分の事が嫌になったんだ。モタモタしている俺とか、「こんなの天龍源一郎じゃない!」って。それで、プロレスを辞めようってところに自然と行き着いたんだと思う。

 手を変え品を変え、キャリアどうのこうのじゃなくて、「天龍源一郎として、俺、頑張れていた?」ということをものすごい気にしだしていたね。そうなったら意外と考えは短絡的で、こんなにモタモタしている俺なら「すっぱりと辞めよう!」って。

 以前だったら、試合が終わった後「なんか源ちゃん、今日元気なかったね」とか、後援者や仲間の人たちとの飲み会の席で言われても、「何言ってんだよ!俺はいつもの天龍だよ!」と突っ張る俺がいたのに。逆に俺のほうから「今日、どうだった?」って聞いていたし、それと同時に「今日は全く冴えなかったな」と感じている俺もいて、「もう、退こう」と思った。

 思い立ったら決断は早いんだよね。話があるからって女房と娘に声をかけて「もう辞めようと思う……」と打ち明けた。それまでは、どんなになっても頑張ろうって思う俺がいたのに糸が切れたっていうか、これ以上頑張り切れないよっていう俺になったのが正直なところだよ(笑)。

 相撲界を離れるときも、思い立ったら決断は早かったな。でも、相撲のときの方がまさか辞める日が来るなんてと思ったね。

 当時、輪島さんとか若貴兄弟のお父さんの貴ノ花とか、増位山とか、俺より後輩のやつらが皆、横綱とか大関になっていくんだけど、「負けるもんか!」って思って頑張っていた。自分を通り越して下の奴らがスイスイ出世していっても、俺は俺の歩幅で歩んでいけばいいと思っていた。だから、辞めるとかそんなことは何にも考えなかった。

 やれるところまでやろう、ただひたすら頑張ろうと思っていたな。

    親方が亡くなって激変! みんなが金の亡者に

 相撲を辞めるきっかけは俺を相撲の世界に入れてくれた親方が亡くなり、その跡目争いが起きて、急にみんな「二所ノ関部屋」っていう看板に欲をむき出しに争っているのを見て、「なんだよこの人たちは!俺が尊敬していた人たちなのにただの金の亡者じゃないか!」って。そんな姿を見せつけられて、「今までこんなところにいたのかよ」って相撲の世界がすごく嫌になった。そこにたまたまプロレスへの話がきて、プロレスもいいなって思った俺がいたんだ。

 誘ってくれた馬場さんのおっとりした性格とか、プロレスという仕事と私生活を分けたアメリカナイズな生活様式が、相撲部屋の世界にどっぷり浸かっていた俺にはすごく新鮮に映って、「じゃあ、やってみよう」ってなった。

 相撲もそうだけどプロレスも「引退」なんてことは考えたこともなかった。プロレスはね、年齢を重ねていくとテクニックで若いヤツのパワーを沈めていくことができる。闘っていくといろんなテクニックを覚えていって、それで凌いでいける。そんな先輩方を間近で見ていたから、俺は自分の体が痩せ衰えなければずっとプロレスを続けていかれるという確信があったんだよね。

 確信って言うけど、俺、50歳で215キロのベンチプレス上がったんだよ!200キロを上げられるようになったのは50歳過ぎてからだからね(笑)。今思い返しても我ながら凄いよ!50歳になってから挑戦したことが多かったね。50から煙草吸ったりね(笑)。その頃寿司屋を経営していたんだけど、暇だからお酒の飲みながら煙草吸ってみたら「あ、煙草いいな!」って一気にショートホープだよ(笑)。煙草だ、ベンチプレス200キロだとか、50を超えてからやったことだから、この体が永遠に続くのかなって自惚れていたよ。

 ジムでベンチプレスを200キロ上げたあとに、起き上がると目の前に鏡があって、「いい体してんなぁ」って思うんだけど、当時はフリーだったから試合のオファーがこない。自分で売り込んで金額等の交渉をしないと声はかからない待ちの状態で、体はこんなにも絶好調なのにオファーがない。鏡に映った自分を見て「何やってんだよ……おまえ」って自問自答していたよ。     つづく
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サライ.jp 2020/4/11 暮らし, 定年リタイア 定年 文/印南敦史
ご参考URL=https://serai.jp/living/390505

      7 0 歳 か ら の チ ャ レ ン ジ で 博 士 号 を 取 得
                    生 涯 現 役 、 挑 戦 を あ き ら め な い 生 き 方


 50代後半になると、多くのビジネスパーソンは必然的に「定年」を意識することになるのだろう。フリーランスの私には推測の域を越えない部分があるのも事実だが、たとえば学生時代の同級生を見てみても、少なからずそういう傾向はあるようだ。

 「なんだか、もうすぐ“ゴール”に行き着いちゃうような感じがするんだよね」

 先日、同級生のひとりからもそんなことばを聞いた。ただ、それはちょっと違うのではないかと感じる。「人生100年時代」というフレーズを引き合いに出す気はないが、それでも「定年=ゴール」という考え方は、いまや前時代的にも思えるからだ。

 事実、『定年博士 ~生涯現役、挑戦をあきらめない生き方』(吉岡憲章 著、きずな出版)の著者は、定年がひとつのプロセスに過ぎないということを示している。

 なにしろ、定年どころか77歳にして経営情報学博士号を取得したというのだから。具体的には70歳で多摩大学大学院に入学し、73歳でMBA取得。そののち2019年に、77歳で多摩大学大学院経営情報学研究科博士課程後期を修了したのである。

 『思い返しますと、60歳を迎えるあたりから、経営コンサルタントとして、もう一段高みを目指すことに挑戦したいと考えるようになったのです。自分の人生で、オンリーワンといわれるような、独特な「経営再生手法」をつくり上げたい。そのためにも、経営大学院に入って、論理的に究明する勉強をしよう。そう決心しました。』(本書「はじめに 70歳からのチャレンジで、博士号を取得する」より引用)

 こう考えたという時点で、定年をゴールと考えようなどという意識がまったくないことがわかる。そこにあるのは向上心だけであり、つまり定年など単なるプロセスとしか捉えていないということなのかもしれない。

 ここには、(上記の同級生を含め)定年を間近に控えた多くの人々が学ぶべきものがあるのではないだろうか?

 とはいえ著者はそこから先、順調に歩みを進めたわけではない。新たな挑戦をしようと決心したものの、役員として指導していた情報会社の倒産に直面してしまうのである。

 社員はもちろん債権者のためにも、なんとかしなければ……。そんな思いから、再建の陣頭に立って指揮を執ったという。前例のほとんどない法的再建事例だったため困難を極めたそうだが、最終的には無事に再生させることに成功する。

 なお、そのとき修羅場を見た経験については、その後の経営コンサルタントのスキルアップに大いに役立ってくれたと振り返っている。どこまでも前向きなのだ。だが、とはいえ再生活動とその衝撃から立ちなおるためには、5年もの歳月が必要だった。

 だから時間が経ってしまったのである……とまとめられれば美しいかもしれないが、残念ながらそれだけでは終わらなかった。そののち著者は、前立腺がんの宣告を受けるのである。

 結果的には無事に生き延びることができたものの、手術の前には「もしかしたら、もう生還できないかも知れない」と考え、遺言状まで書いたのだとか。

 『こうした思いがけないアクシデントのために、念願の大学院に入学できたときには、すでに70歳になっていました。
「ひらめいた その瞬間に みな忘れ」という川柳があるのですが、その言葉通り、ついさっき何を言ったかさえ忘れてしまうことがたび重なるような年齢です。
 それでも大学院に通い、喜寿にして、ついに経営学博士(Ph.D.)をいただくことができました。』(本書「はじめに 70歳からのチャレンジで、博士号を取得する」より引用)

 だが大学院に入ったものの、博士号を取得するまでには6年かかった。当然ながらその過程においては、「もうダメだ、もう投げ出そう!」と諦めかけたことも一度や二度ではなかった。

 年齢を重ねたうえでなにかに挑もうとする場合、必然的にそうした思いに苛まれるものなのかもしれない。

 しかし、それでも苦難を乗り越えることができた理由について、著者は「妻の存在が、言葉に表せないほど大きかった」と綴っている。そういう意味では、博士号は夫婦ふたりで取得したものでもあると考えているそうだ。

 たしかにそうかもしれない。きっと奥方の支えは不可欠なものだったのだ。だが、それも最終的には本人の強い意志があってこそである。

 つまり著者は博士号取得を通じ、年齢に関係なく、人間はいつでも次の次元を目指せるということを証明したのだ。

 『一般的には仕事の上では卒業するような年齢でも、「これからが自分の青年期ならぬ盛年期が始まる」との思いでトコトンやれば、夢を現実として掌中に収めることができる。いま、その確信を得ることもできました。』(本書「はじめに 70歳からのチャレンジで、博士号を取得する」より引用)

 経験に基づき、博士号取得までの道のりから、「定年時代」の生き方までを綴った本書は、定年に対する考え方を変えてくれるかもしれない。

『定年博士 ~生涯現役、挑戦をあきらめない生き方』吉岡憲章 著 きずな出版

文/印南敦史
作家、書評家、編集者。株式会社アンビエンス代表取締役。1962年東京生まれ。音楽雑誌の編集長を経て独立。複数のウェブ媒体で書評欄を担当。著書に『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)などがある。新刊は『書評の仕事』 (ワニブックスPLUS新書)。
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マネーポストWEB 暮らしのマネー 2020年4月9日 15:00
ご参考URL=https://www.moneypost.jp/648033

      年 金 の 新 制 度 「 7 5 歳 繰 り 下 げ 」 は ど ん な 人 に 向 い て い る の か

 現在議論が進められている年金改正では、75歳まで年金を繰り下げられるようにするという制度変更も検討されている。『週刊ポストGOLD あなたの年金』より、“年金博士”として知られる社会保険労務士の北村庄吾氏が、どんな人が「繰り下げ」に向いているのかを解説する。

 * * *
 年金受給開始年齢は原則65歳ですが、実際には「60~70歳」の好きな年齢から受給を始められます。65歳より早く年金をもらう「繰り上げ」を選べば長く受給できるかわりに年金額が減らされ、逆に、65歳より遅くもらい始める「繰り下げ」は受給期間が短いかわりに年金額は割増しされる。

 年金を“細く長く”もらうか、“太く短く”もらうかを選べるわけです。

 今回の改正では、「繰り下げ」の年齢の上限が75歳まで引き上げられる方向で話が進んでおり、「75歳受給開始」を選ぶと毎月の年金額が84%も割増しされることになりました。

 誤解が多いようですが、年金制度は何歳から受給しても、平均寿命までに受け取る年金の総額はだいたい同じになるように設計されていますから、どちらが得だとか損とかいうことではありません。

「定年後は夫婦でのんびり過ごしたい」「生涯現役を目指したい」など自分のライフスタイルに応じて受給開始のタイミングを判断することが肝要です。

「老後はできるだけ長く働き資金を蓄えたい」と考えている人なら、新たに導入される「75歳繰り下げ」は選択肢の1つになるでしょう。
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 平素より生涯現役社会づくりへのご協働を賜わり厚く御礼申し上げます。
 この度は、新型コロナウイルス緊急事態宣言の発令を受け、その感染拡大防止と会員皆様方の尊い生命や大事な家族、財産を守るためにも、私たちはお互いにテレワーク等活用での連携活動での運営にこれからのネットワーク活用時代を楽しみたいと存じます。
1)実施内容
 *八重洲事務所での在所と活用について
  ・原則として緊急事態宣言に準じ事務所での例会・会議は休止(5月5日㊐まで)
  ・それに代わる関係者間のLINE等で相互テレワークを活用(在宅連絡が可能な方)
  ・理事会・定例塾(当面4月中は休会とし、事務局機能は東瀧への電話転送連絡)
2)事務局へのご連絡について
  電話、メールは、今まで通りご利用になれますが、テレワーク活用での対応に限る場合となりますが、予め簡潔な要件に絞って了承頂けますようお願いいたします。電話ご用件につきましてご希望会員様はご遠慮なく、出来ればLINE連絡願います。
3) 実施期間
  明2020年4月11日(土)~ 2020年5月6日(水) ※緊急事態宣言期間参考
  できることは限られておりますが、ご関係皆様の協働連携を考慮して、皆様総力で『生涯現役社会づくり』に役立つ知恵・工夫を重ね、お困りのことがありましたら、遠慮なくできるだけ会員関係者連携で役立つことに、ご連絡取り合いたく存じます。新型コロナウイルス一日も早い収束と、皆様のご健勝を心からお祈り申し上げます。
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      NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ
           ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー 株 式 会 社
                 代 表    東   瀧     邦   次     
TEL:03-3517-6667            FAX:03-3517-6668
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山陽新聞さんデジDijital 2020年04月10日 10時05分
ご参考URL=https://www.sanyonews.jp/article/1002311

      高齢者と企業をマッチング 岡山市 支援センター本格スタート

 高齢者やシニアの就労を支援するため、岡山市は本年度、「生涯かつやく支援センター」の業務を本格スタートさせた。市社会福祉協議会が運営に当たり、企業とのマッチングを行うほか、就労後もサポートする。

 センターは市保健福祉会館(北区鹿田町)に相談員3人体制で開設。おおむね55歳以上の市民の登録を受け付け、職種や勤務時間など希望の条件を聞き取り、人材派遣会社を通じて企業とマッチングする。

 8時間勤務を希望する企業側に対し、高齢者は3、4時間程度の勤務を希望するなど、ミスマッチングが起きがちという。こうした場合、センターが企業に条件緩和を働き掛けるなど調整に努める。採用後も利用者、企業と定期的に連絡を取り、悩み事の相談に対応して定着を図る。本年度は年間380件程度の就労を目指す。

 退職後のブランクが長いなど不安のある人には、ボランティアや職場体験を紹介。徐々に経験を積んでもらって採用につなげる。

 市が2015年に開設し、ボランティアのマッチングを主に行ってきた「生涯現役応援センター」を継承、発展させた。昨年8月にオープンし、準備を続けてきた。

 高齢者の就労支援は市シルバー人材センターでも行っているが、対象年齢が60歳以上で、仕事の内容も植木の剪定(せん/てい)や草刈りといった臨時・短期の業務が中心。生涯かつやく支援センターはより長期の安定的な就労に結び付けるのが狙い。

 市地域包括ケア推進課は「高齢者の社会参加は、生きがいづくりや健康の維持につながる。人手不足に悩む企業の課題解決にも役立てたい」としている。

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