『とくダネ‼』番組今秋終了打切り?一転継続!
2020年5月4日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
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めるも by MGO まいじつ 2020/5/4 19:00
ご参考URL=https://news.merumo.ne.jp/article/genre/9691795
『とくダネ!』打ち切り一転継続!? 今秋終了が覆った裏事情とは… (C)まいじつ
昨年10月発売の『週刊文春』により、今年秋での番組終了が報じられた『とくダネ!』(フジテレビ系)。しかし、さまざまな要因が重なったことで、一転して〝番組継続〟が決まったという。
当時の「文春」によれば、「とくダネ!」は今年秋で放送終了。新番組のメインキャスターには、前月にフジテレビを退社しフリーとなった笠井信輔が就任予定だとされていた。フジ退社後の笠井が小倉と同じ事務所に所属したのも、こうした〝禅譲〟のためだったという。
「ここ数年、自身の衰えを感じた小倉さんは〝生涯現役〟というモットーを捨て、花道を作って隠居に入る筋道を立てていたそうです。その〝後継者〟に指名されたのが笠井。フジ退社の際も、小倉さんが強く誘い入れたことで事務所入りが実現したそうです」(芸能記者)
また、番組は笠井の退社と同じタイミングで大幅リニューアルをしており、ここにも小倉の意向が強く反映されていたという。
「昨年秋の改編時、小倉さんは編成とも話し合った上で、カズレーザーと社会学者の古市憲寿氏をスペシャルキャスターに就任させます。この〝ご指名〟は次期番組を見据えたもので、小倉さんは、キレ味鋭いインテリ芸人と忖度しない社会学者というタッグが、メインキャスターの笠井を支える体制を思い描いていたそう。つまり、昨年10月からの『とくダネ!』は、次期番組の〝プレ〟的意味合いがあったのです」(同・記者)
地元五輪取材で“有終の美”を飾るつもりだった!?
しかし、小倉の事務所に所属してわずか2カ月後、笠井に悪性リンパ腫の罹患が発覚。後継者としての番組引き継ぎどころか、苦しい闘病生活に突入してしまった。そして、もう一発飛び込んできた〝青天の霹靂〟がトドメとなり、番組は打ち切りから一転して継続することになる。
「東京オリンピックの延期です。小倉さんは昔からオリンピックが大好きで、その熱意は並々ならぬものがある。1964年の東京大会では、まだフサフサだった当時高校2年生の小倉少年が聖火ランナーに参加しています。その後、アナウンサーになってからも『オリンピックの実況をするのが一番の夢』と語るほどで、シドニー大会には取材ではなく観戦ツアーにまで参加。北京大会ではフジテレビから取材として派遣され、日本が金メダルを獲得した瞬間はすべて見届けました」(民放テレビ局関係者)
どうやら小倉は、〝夢〟とまで語る地元開催のオリンピックを取材することで、〝有終の美〟を飾るつもりだったらしい。
「自身の高齢を悟った小倉さんは、〝念願の東京五輪取材〟を花道に、笠井に後を任せて番組を降りようと考えていました。昨年秋のカズと古市氏のスペシャルキャスター起用も、五輪閉幕=番組終了まで残り1年という中で〝スムーズな体制移行〟をする狙いがあったため。しかし、五輪の開催延期により、局も『とくダネ!』終了の1年延期を決断しました。笠井の病状も、1年たてば好転するかもしれませんしね。そうすれば、想定より時間がかかったとはいえ、小倉さんの描いていた笠井・カズ・古市氏の〝トロイカ体制〟が完成します」(同・関係者)
愛する後輩の闘病、大好きな五輪の延期と、度重なる災難に見舞われてしまった小倉。しかし、小倉のコメントを毎朝聞くことが日課という『とくダネ!』視聴者にとっては、終了延期は〝不幸中の幸い〟かもしれない。
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めるも by MGO まいじつ 2020/5/4 19:00
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『とくダネ!』打ち切り一転継続!? 今秋終了が覆った裏事情とは… (C)まいじつ
昨年10月発売の『週刊文春』により、今年秋での番組終了が報じられた『とくダネ!』(フジテレビ系)。しかし、さまざまな要因が重なったことで、一転して〝番組継続〟が決まったという。
当時の「文春」によれば、「とくダネ!」は今年秋で放送終了。新番組のメインキャスターには、前月にフジテレビを退社しフリーとなった笠井信輔が就任予定だとされていた。フジ退社後の笠井が小倉と同じ事務所に所属したのも、こうした〝禅譲〟のためだったという。
「ここ数年、自身の衰えを感じた小倉さんは〝生涯現役〟というモットーを捨て、花道を作って隠居に入る筋道を立てていたそうです。その〝後継者〟に指名されたのが笠井。フジ退社の際も、小倉さんが強く誘い入れたことで事務所入りが実現したそうです」(芸能記者)
また、番組は笠井の退社と同じタイミングで大幅リニューアルをしており、ここにも小倉の意向が強く反映されていたという。
「昨年秋の改編時、小倉さんは編成とも話し合った上で、カズレーザーと社会学者の古市憲寿氏をスペシャルキャスターに就任させます。この〝ご指名〟は次期番組を見据えたもので、小倉さんは、キレ味鋭いインテリ芸人と忖度しない社会学者というタッグが、メインキャスターの笠井を支える体制を思い描いていたそう。つまり、昨年10月からの『とくダネ!』は、次期番組の〝プレ〟的意味合いがあったのです」(同・記者)
地元五輪取材で“有終の美”を飾るつもりだった!?
しかし、小倉の事務所に所属してわずか2カ月後、笠井に悪性リンパ腫の罹患が発覚。後継者としての番組引き継ぎどころか、苦しい闘病生活に突入してしまった。そして、もう一発飛び込んできた〝青天の霹靂〟がトドメとなり、番組は打ち切りから一転して継続することになる。
「東京オリンピックの延期です。小倉さんは昔からオリンピックが大好きで、その熱意は並々ならぬものがある。1964年の東京大会では、まだフサフサだった当時高校2年生の小倉少年が聖火ランナーに参加しています。その後、アナウンサーになってからも『オリンピックの実況をするのが一番の夢』と語るほどで、シドニー大会には取材ではなく観戦ツアーにまで参加。北京大会ではフジテレビから取材として派遣され、日本が金メダルを獲得した瞬間はすべて見届けました」(民放テレビ局関係者)
どうやら小倉は、〝夢〟とまで語る地元開催のオリンピックを取材することで、〝有終の美〟を飾るつもりだったらしい。
「自身の高齢を悟った小倉さんは、〝念願の東京五輪取材〟を花道に、笠井に後を任せて番組を降りようと考えていました。昨年秋のカズと古市氏のスペシャルキャスター起用も、五輪閉幕=番組終了まで残り1年という中で〝スムーズな体制移行〟をする狙いがあったため。しかし、五輪の開催延期により、局も『とくダネ!』終了の1年延期を決断しました。笠井の病状も、1年たてば好転するかもしれませんしね。そうすれば、想定より時間がかかったとはいえ、小倉さんの描いていた笠井・カズ・古市氏の〝トロイカ体制〟が完成します」(同・関係者)
愛する後輩の闘病、大好きな五輪の延期と、度重なる災難に見舞われてしまった小倉。しかし、小倉のコメントを毎朝聞くことが日課という『とくダネ!』視聴者にとっては、終了延期は〝不幸中の幸い〟かもしれない。
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