人生100年時代での会社と社員の関係
2019年1月19日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 諸 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
日経BIZ GATE 2018/10/15
新「企業と社員」関係論―人生100年時代に
ミドル層社員にインセンティブはないのか
立命館大学教授 西山 昭彦
人生100年時代と言われる。日本の社会は、突然の生涯現役ブームだ。筆者は2001年に『定年自営のすすめ』(講談社)を出版し、この問題をずっと提案し、フォローしてきた。定年後働くには、在職中の生き方が問われる。本連載では、50代でもしっかり仕事をして、なおかつ定年後も働く道を模索する。
企業の昇進インセンティブ
大企業社員で、60歳で定年退職し、65歳で二度目の定年をした人がいう。
「一番良かったのは、40代前半かな。仕事の責任もあり、役職もマネジャーでライン職だったし…。あの頃は燃えてたと思う。でも、後半はひどかった。肩書は担当部長や上席とかついたけど、結局ラインでなく、ポストを外れてるので、どこの職場でもお荷物的な存在だったような気がする。もちろん仕事の責任は果たしてきたけど、正直どこか冷めていた。これ以上上に行けないのもわかっていたので」
会社は社員の働きに対して、昇進というインセンティブを提供する。しかし、社長を頂点とするピラミッド組織を維持する限り、中間まではポストも相当数提供できるが、そこから上はかなり絞り込むことになる。前半は昇進も順調で役員を目標にして人が何割もいるが、確率的にはその実現性は1割もない。部長ポストの任用のところで、ライン部長になれない人が大半である。企業の中でミドル層以降の社員へのインセンティブが急減するのが現状だ。
昇進可能性があれば、まだいい
役員OBの子会社社長がいう。「本社で執行役員のときは、なった時の昇進スピードから見て、これ以上はないなと感じていた。でも、可能性だけはあるわけだ。しかし、こちらに来たら、先輩を見ても昇進は0%だ。自分の気持ちを保つのがとても難しい。1%あるのとないのは大違いだ」
本来、子会社へ行った後も、実績があれば昇進はあるべきだが、入社数が増えた時代の大量の社員をかかえ、若手からの昇進圧力にさらされていれば、先輩にはもう席を譲る余裕がない。人事部も年次管理をしており、昇進適齢期をさかのぼって評価しなおし、昇進させる仕組みはとっていない。こうして、その層は会社では「あがり」となる。
社員の最終コース
多くの社員はミドル期の選別、実質は最終選別を経て、非ライン管理職として過ごすことになる。肩書は様々だ。主幹、審議役、シニアマネジャー、本部長付…。そして、50代半ばには最後の二本の道が示される。ここからは、ポスト者も年齢によるポストオフになるので、同じ選択を迫られることになる。
「60歳以降も本体に残って嘱託になるのか、子会社、取引先等へ出向するのか」。これは大企業サラリーマンにとって最後の分かれ道だ。
本体に残った場合、上級管理職が同じ職場で嘱託になり、課長の下に入る。制度上、新入社員より下位なので、席も末端になる。コピーメーカーの元部長で、「自分より下にはコピー機しかなかった。上席は一般職の若い女性だった。」と実話を語ってくれた人がいる。給料も、激減する。まず社員の間、55歳からカットの会社もけっこうある。4割カットとか、元が高い金融などのダウン率が高い。ところが、嘱託になると、そんなレベルではなく、もう下限に近い。「これじゃ初任給と同じだ」という声がある。
ある60代社員は妻にこういわれたと嘆く。「前は、高い給与と思っていたけど、今は何なのよ。パート先の社長は1千万円なのに。男の価値は定年後わかるわね」。
嘱託は、自分がいづらいのはもちろんだが、かつての後輩もまたつらい。お互いに敬語の奇妙な遠慮しあう関係ができ、できるだけ当たらず触らずの日々になる。
「課長も自分の仕事には無関心に見える。本当はもっといいたいことがあるのだろうが。嘱託の人事考課はいつも標準のやや上で、面接もやらない」
ほかの知らない職場で嘱託になるほうがお互いにいいのに、この職場で生かせるスキルしかないから、動きようがない。
子会社でも遠慮
他方、子会社では、仕事のスキル、実績をその会社のプロパー社員が厳しく見ている。ポスト部長になって仕事の指示をする立場でも、前からいる部下のほうができる現実。悔しいが、その子会社のビジネスにかかわる人脈も後から急には作りにくく、差は歴然としている。どうしても部下に敬語を使い、厳しい指示ができなくなる。
「子会社に行ってから、頭の中であと何年かと、いつも考えるようになりました。若い時はそんなこと考えたこともなかったんですが。いくらやってもプロパーには追いつかないし、何の昇進、昇給もないので、減点だけを避けている感じですね」
「本体の営業では、いつも上位でした。ポストに入らなくても、実績をあげその面で評価されていたので、満足感がありました。子会社の営業部長になって、うまくできないんです。理由は、前は大企業だから、お客さんに会えたし、話を聞いてくれました。今はなかなか会ってくれないし、会えても、失礼な言い方ですが、相手の理解力、社内での実現力が足りないから、導入に至らないんです」
日本は大丈夫か
「入社したときは、こんな立派な企業に入れて良かったね、と親戚からも褒められて、有頂天になっていた。未来はばら色だった。組織のピラミッドはその時から変わってないが、なぜか昇進に不安はなかった。同期も同じだった」
「入社後は、とにかく実績を上げ続けた。上司との関係にも心をくだいた。酒が強くないのであまり飲めないが、何十回も上司と飲んだ。ごますりもパフォーマンスもした。そして、38歳でトップで課長になった。そこでも、未来はばら色だった」
「47歳で部長になり絶頂期を過ごした。それが、56歳でポストオフ。今61歳の1年契約シニア社員で、身を縮めて生きている。子会社に行った同期も、余生のように生きている。こんなことでいいのだろうか。日本を支えてきたのは俺たちなんだ。まだ自分にマッチした職場さえ与えてくれれば、そして実績に見合った年収がもらえれば、いくらでも働ける。俺たちをもっと使ってくれ。65歳以降だって働けるんだ。日本は大変な損をしている。一億総活躍社会を真剣に作らないと、社会保障で国が亡びてしまう」。その解は意外なところにあった。(続く)
西山 昭彦(にしやま・あきひこ) 立命館大学教授:一橋大学社会学部卒業後、東京ガス入社。ロンドン大学大学院留学、ハーバード大学大学院修士課程修了。中東経済研究所研究員。アーバンクラブ設立、取締役。法政大学大学院博士後期課程修了、経営学博士。東京女学館大学国際教養学部教授、一橋大学特任教授などを経て18年から立命館大学共通教育推進機構教授。人材育成、企業経営、キャリアデザインを中心に研究し、実践的人材開発の理論を構築。研修・講演は通算1000回を超える。「ビジネスリーダーの生涯キャリア研究」がライフテーマ。著書は計61冊。
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 諸 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
日経BIZ GATE 2018/10/15
新「企業と社員」関係論―人生100年時代に
ミドル層社員にインセンティブはないのか
立命館大学教授 西山 昭彦
人生100年時代と言われる。日本の社会は、突然の生涯現役ブームだ。筆者は2001年に『定年自営のすすめ』(講談社)を出版し、この問題をずっと提案し、フォローしてきた。定年後働くには、在職中の生き方が問われる。本連載では、50代でもしっかり仕事をして、なおかつ定年後も働く道を模索する。
企業の昇進インセンティブ
大企業社員で、60歳で定年退職し、65歳で二度目の定年をした人がいう。
「一番良かったのは、40代前半かな。仕事の責任もあり、役職もマネジャーでライン職だったし…。あの頃は燃えてたと思う。でも、後半はひどかった。肩書は担当部長や上席とかついたけど、結局ラインでなく、ポストを外れてるので、どこの職場でもお荷物的な存在だったような気がする。もちろん仕事の責任は果たしてきたけど、正直どこか冷めていた。これ以上上に行けないのもわかっていたので」
会社は社員の働きに対して、昇進というインセンティブを提供する。しかし、社長を頂点とするピラミッド組織を維持する限り、中間まではポストも相当数提供できるが、そこから上はかなり絞り込むことになる。前半は昇進も順調で役員を目標にして人が何割もいるが、確率的にはその実現性は1割もない。部長ポストの任用のところで、ライン部長になれない人が大半である。企業の中でミドル層以降の社員へのインセンティブが急減するのが現状だ。
昇進可能性があれば、まだいい
役員OBの子会社社長がいう。「本社で執行役員のときは、なった時の昇進スピードから見て、これ以上はないなと感じていた。でも、可能性だけはあるわけだ。しかし、こちらに来たら、先輩を見ても昇進は0%だ。自分の気持ちを保つのがとても難しい。1%あるのとないのは大違いだ」
本来、子会社へ行った後も、実績があれば昇進はあるべきだが、入社数が増えた時代の大量の社員をかかえ、若手からの昇進圧力にさらされていれば、先輩にはもう席を譲る余裕がない。人事部も年次管理をしており、昇進適齢期をさかのぼって評価しなおし、昇進させる仕組みはとっていない。こうして、その層は会社では「あがり」となる。
社員の最終コース
多くの社員はミドル期の選別、実質は最終選別を経て、非ライン管理職として過ごすことになる。肩書は様々だ。主幹、審議役、シニアマネジャー、本部長付…。そして、50代半ばには最後の二本の道が示される。ここからは、ポスト者も年齢によるポストオフになるので、同じ選択を迫られることになる。
「60歳以降も本体に残って嘱託になるのか、子会社、取引先等へ出向するのか」。これは大企業サラリーマンにとって最後の分かれ道だ。
本体に残った場合、上級管理職が同じ職場で嘱託になり、課長の下に入る。制度上、新入社員より下位なので、席も末端になる。コピーメーカーの元部長で、「自分より下にはコピー機しかなかった。上席は一般職の若い女性だった。」と実話を語ってくれた人がいる。給料も、激減する。まず社員の間、55歳からカットの会社もけっこうある。4割カットとか、元が高い金融などのダウン率が高い。ところが、嘱託になると、そんなレベルではなく、もう下限に近い。「これじゃ初任給と同じだ」という声がある。
ある60代社員は妻にこういわれたと嘆く。「前は、高い給与と思っていたけど、今は何なのよ。パート先の社長は1千万円なのに。男の価値は定年後わかるわね」。
嘱託は、自分がいづらいのはもちろんだが、かつての後輩もまたつらい。お互いに敬語の奇妙な遠慮しあう関係ができ、できるだけ当たらず触らずの日々になる。
「課長も自分の仕事には無関心に見える。本当はもっといいたいことがあるのだろうが。嘱託の人事考課はいつも標準のやや上で、面接もやらない」
ほかの知らない職場で嘱託になるほうがお互いにいいのに、この職場で生かせるスキルしかないから、動きようがない。
子会社でも遠慮
他方、子会社では、仕事のスキル、実績をその会社のプロパー社員が厳しく見ている。ポスト部長になって仕事の指示をする立場でも、前からいる部下のほうができる現実。悔しいが、その子会社のビジネスにかかわる人脈も後から急には作りにくく、差は歴然としている。どうしても部下に敬語を使い、厳しい指示ができなくなる。
「子会社に行ってから、頭の中であと何年かと、いつも考えるようになりました。若い時はそんなこと考えたこともなかったんですが。いくらやってもプロパーには追いつかないし、何の昇進、昇給もないので、減点だけを避けている感じですね」
「本体の営業では、いつも上位でした。ポストに入らなくても、実績をあげその面で評価されていたので、満足感がありました。子会社の営業部長になって、うまくできないんです。理由は、前は大企業だから、お客さんに会えたし、話を聞いてくれました。今はなかなか会ってくれないし、会えても、失礼な言い方ですが、相手の理解力、社内での実現力が足りないから、導入に至らないんです」
日本は大丈夫か
「入社したときは、こんな立派な企業に入れて良かったね、と親戚からも褒められて、有頂天になっていた。未来はばら色だった。組織のピラミッドはその時から変わってないが、なぜか昇進に不安はなかった。同期も同じだった」
「入社後は、とにかく実績を上げ続けた。上司との関係にも心をくだいた。酒が強くないのであまり飲めないが、何十回も上司と飲んだ。ごますりもパフォーマンスもした。そして、38歳でトップで課長になった。そこでも、未来はばら色だった」
「47歳で部長になり絶頂期を過ごした。それが、56歳でポストオフ。今61歳の1年契約シニア社員で、身を縮めて生きている。子会社に行った同期も、余生のように生きている。こんなことでいいのだろうか。日本を支えてきたのは俺たちなんだ。まだ自分にマッチした職場さえ与えてくれれば、そして実績に見合った年収がもらえれば、いくらでも働ける。俺たちをもっと使ってくれ。65歳以降だって働けるんだ。日本は大変な損をしている。一億総活躍社会を真剣に作らないと、社会保障で国が亡びてしまう」。その解は意外なところにあった。(続く)
西山 昭彦(にしやま・あきひこ) 立命館大学教授:一橋大学社会学部卒業後、東京ガス入社。ロンドン大学大学院留学、ハーバード大学大学院修士課程修了。中東経済研究所研究員。アーバンクラブ設立、取締役。法政大学大学院博士後期課程修了、経営学博士。東京女学館大学国際教養学部教授、一橋大学特任教授などを経て18年から立命館大学共通教育推進機構教授。人材育成、企業経営、キャリアデザインを中心に研究し、実践的人材開発の理論を構築。研修・講演は通算1000回を超える。「ビジネスリーダーの生涯キャリア研究」がライフテーマ。著書は計61冊。
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