アナン元国連事務総長が遺した贈物
2018年8月23日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
アナン元国連事務総長が世界に遺した二つの贈り物
いつも、お読み頂き有難うございます。
コフィ・アナン元国連事務総長が8月18日、死去しました。1997~2006年まで国連事務総長を務め、2001年には国連とともにノーベル平和賞を受賞しました。そのアナン氏が世界に遺した大きな贈りものが二つあるのです。(オルタナ編集長・森 摂)
一つ目は「国連グローバル・コンパクト(UNGC)」。もう一つはMDGs(ミレニアル開発目標)。いま話題のSDGs(持続可能な開発目標)の前身です。
UNGCは、アナン氏が1999年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で提唱したイニシアティブ(発議)です。コンパクトとはこの場合、「協定」「約束」という意味合いです。
90年代後半当時、世界ではグローバル経済が加速するとともに、途上国での貧困や貧富格差の拡大、児童労働などの社会的課題が顕在化していました。
アナン氏は、これを国連の力だけでは解決できないと考え、世界からグローバル企業の経営者が集まるダボス会議に乗り込み、国連と企業の連携を呼び掛けたのです。
その結果、UNGCは2000年7月に正式発足しました。「人権」「労働」「環境」「腐敗防止」に関わる10の原則について、企業や団体がその順守を「約束」し、国連に報告します。世界での署名団体は12000以上に達し、日本ではキッコーマン、リコー、三井物産、伊藤忠商事など287の企業・団体が署名しました(2018年8月20日現在。詳細はグローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンの参照サイトURL=http://www.ungcjn.org/)。
グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンの有馬利男代表理事(元富士ゼロックス社長)は、アナン氏が二度来日した時に直接、言葉を交わしました。「グローバリゼーションには光と影があることを強調していた。企業にはしっかり取り組んでほしい、力を貸して欲しいと言っていた。そして世界中のビジネスパーソンや経営者に将来に向けての生き方を教えてくれた」と懐かしんでいます。
そのグローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンは今や、日本でSDGsの最大の推進役の一つです。この3年、日本企業やメディアに呼び掛け続け、その重要性を説き、SDGsの認知度を高めてきました。
SDGsは2015年を起点に、2030年を目標年とした国際目標です。その前身であるMDGsは2000年を起点に、2015年をゴールにした目標でした。いわば、アナン氏が遺した贈り物が今、サステナビリティ(持続可能性)という大きなうねりになって、企業や政府・自治体に大きな影響を与えているのです。
2015年は「サステナビリティ元年」と言うべき年です。SDGsが国連で採択されたのは9月25日。その3日後の28日には、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が国連責任投資原則(PRI)に署名し、日本のESG投資の流れを決定づけました。
10月14日にはトヨタ自動車が意欲的な環境目標「環境チャレンジ2050」を発表。さらにその2か月後(12月12日)には、気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で「パリ協定」が採択されました。
わずか3カ月の間に「サステナビリティ」という共通のゴールに向けて、大きなマイルストーンが次々と置かれたのです。その道筋を付けたのが、ほかならぬアナン氏だったといっても過言ではありません。
MDGsには「道半ば」という評価もありましたが、その目標年だった「2015年」にこれだけ大きな潮流が訪れたのは、やはりMDGsという伏線が大きいのです。アナン氏は私たちにバトンを託したのです。
私たちはこのバトンを次の世代に渡していけるのでしょうか。そう考えると、SDGs の取り組みは決して一時的なものであってはならないことを改めて強調しておきたいのです。
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アナン元国連事務総長が世界に遺した二つの贈り物
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コフィ・アナン元国連事務総長が8月18日、死去しました。1997~2006年まで国連事務総長を務め、2001年には国連とともにノーベル平和賞を受賞しました。そのアナン氏が世界に遺した大きな贈りものが二つあるのです。(オルタナ編集長・森 摂)
一つ目は「国連グローバル・コンパクト(UNGC)」。もう一つはMDGs(ミレニアル開発目標)。いま話題のSDGs(持続可能な開発目標)の前身です。
UNGCは、アナン氏が1999年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で提唱したイニシアティブ(発議)です。コンパクトとはこの場合、「協定」「約束」という意味合いです。
90年代後半当時、世界ではグローバル経済が加速するとともに、途上国での貧困や貧富格差の拡大、児童労働などの社会的課題が顕在化していました。
アナン氏は、これを国連の力だけでは解決できないと考え、世界からグローバル企業の経営者が集まるダボス会議に乗り込み、国連と企業の連携を呼び掛けたのです。
その結果、UNGCは2000年7月に正式発足しました。「人権」「労働」「環境」「腐敗防止」に関わる10の原則について、企業や団体がその順守を「約束」し、国連に報告します。世界での署名団体は12000以上に達し、日本ではキッコーマン、リコー、三井物産、伊藤忠商事など287の企業・団体が署名しました(2018年8月20日現在。詳細はグローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンの参照サイトURL=http://www.ungcjn.org/)。
グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンの有馬利男代表理事(元富士ゼロックス社長)は、アナン氏が二度来日した時に直接、言葉を交わしました。「グローバリゼーションには光と影があることを強調していた。企業にはしっかり取り組んでほしい、力を貸して欲しいと言っていた。そして世界中のビジネスパーソンや経営者に将来に向けての生き方を教えてくれた」と懐かしんでいます。
そのグローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンは今や、日本でSDGsの最大の推進役の一つです。この3年、日本企業やメディアに呼び掛け続け、その重要性を説き、SDGsの認知度を高めてきました。
SDGsは2015年を起点に、2030年を目標年とした国際目標です。その前身であるMDGsは2000年を起点に、2015年をゴールにした目標でした。いわば、アナン氏が遺した贈り物が今、サステナビリティ(持続可能性)という大きなうねりになって、企業や政府・自治体に大きな影響を与えているのです。
2015年は「サステナビリティ元年」と言うべき年です。SDGsが国連で採択されたのは9月25日。その3日後の28日には、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が国連責任投資原則(PRI)に署名し、日本のESG投資の流れを決定づけました。
10月14日にはトヨタ自動車が意欲的な環境目標「環境チャレンジ2050」を発表。さらにその2か月後(12月12日)には、気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で「パリ協定」が採択されました。
わずか3カ月の間に「サステナビリティ」という共通のゴールに向けて、大きなマイルストーンが次々と置かれたのです。その道筋を付けたのが、ほかならぬアナン氏だったといっても過言ではありません。
MDGsには「道半ば」という評価もありましたが、その目標年だった「2015年」にこれだけ大きな潮流が訪れたのは、やはりMDGsという伏線が大きいのです。アナン氏は私たちにバトンを託したのです。
私たちはこのバトンを次の世代に渡していけるのでしょうか。そう考えると、SDGs の取り組みは決して一時的なものであってはならないことを改めて強調しておきたいのです。
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