特技なきエリートは 退職後 地獄を見る
2018年5月18日 お仕事日 本 生 涯 現 役 推 進 協 議 会 &
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
プレジゼントOnline/2018/05/16 09:15
「定年って生前葬だな」。脚本家の内館牧子氏が2015年に発表した小説『終わった人』は、こんな衝撃的な独白からはじまる。多くのシニア世代から共感を得て、現役世代を戦慄させた本作から、私たちは何を学ぶべきなのか。映画化(6月9日公開)に際し、内館牧子氏が語る――。
「定年したら妻と温泉」はやせ我慢だった
私内館がこの本を書こうと思ったのは、まわりが定年を迎えた頃のことでした。急にクラス会やサークルの集まりが増えたんです。そこでは、かつてのエリートたちがみんな暇になって、「終わって」いた。
そのとき、ふと思い出したのは、40年ほど前に聞いた「定年する人たち」の言葉です。
私は新卒で、コネで三菱重工に入社し、社内報を編集する部署にいました。そこでは定年を迎える人たちに全員に「第2の人生はどうなさいますか」と質問し、毎年記事にします。圧倒的に多かった答えは、「孫と遊ぶ」、「妻と温泉に行く」、そして「バラを育てる」「菊を育てる」。つまり、孫に生きるか、家庭に生きるか、趣味に生きるかの3択です。
当時、私は若く、さして仕事に生きがいも感じていなかったので、彼らの言葉をそのまま受け取り、「もうラッシュにもまれることもなくていいですね」なんて答えていました。
でも、彼らの言葉はやせ我慢だったんじゃないかと気づいたのは、シナリオライターとして駆け出した頃のこと。自分も仕事の面白さを知って、はじめて彼らの「もっと働きたい」「社会から必要とされたい」という本音が見えてきたんです。
そして、さらに20年後、定年を迎えたまわりの人間を見て、改めて「あれは本音じゃなかったな」という確信が持てた。それで、特技のないエリートを主人公にして、彼が定年後の第2の人生に悪戦苦闘する小説を書こうと思いました。
「終わった人」。同時にタイトルも思い浮かんでいました。
東大法学部卒の銀行員が地獄を見る3つの理由 『終わった人』の主人公・田代壮介に特定のモデルはいません。私が見聞きした「第2の人生への軟着陸が難しい男」の要素を集めたのが彼です。
壮介は、東大法学部卒の銀行員。こう聞くと輝かしい経歴ですが、実態は「元エリート」です。メガバンクで出世街道を走っていたのは40代の頃までで、最後は社員30人の関連会社の専務取締役で定年を迎えます。
定年後の壮介が地獄を見ることになった原因は大きく3つ。ひとつは、サラリーマンとして「成仏」していないことです。
安い給料かつ平社員で定年を迎えたとしても、「自分はとことんやった」と思う人はいるでしょう。でも、「成仏」とまで言える満足感を得るには、お金をある程度稼いで、妻子にも苦労はさせなかったという実感が必要。さらには、自分がした「いい仕事」が次々思い出せるうえ、人に自慢できるようなポジションにまで登りつめた――これくらいの条件がそろって初めてサラリーマンとして「成仏」できるのだと思う。でも、こんな人はそういません。
80歳を過ぎても現役の「終わらない人」はまれ
2つめは、エリートだったこと。エリートの壮介は、非エリートが見られなかった景色をいっぱい見ました。非エリートができない経験もたくさんして、いい目にもたくさんあった。でも、そこに落とし穴がある。現役時代と定年後の落差が激しいから、「自分は終わった」と強く感じるし、「社会から必要とされていない」と思えばつらいし痛い。
最後の地獄は、つぶしがきかなくて、特技のない人間だったこと。たとえば外国語がペラペラなら、あるいは何かの分野で抜きんでた知識や技術があれば、定年後もそれを生かして働けるかもしれない。私のまわりの編集者も「肘掛けがなくなったよ」なんて愚痴を言いながら、定年後も結構楽しそうに働いています。これは、編集という特技を活かしつつ、うまく「軟着陸」できた人の好例でしょう。
作中にも、壮介との対比にトシというフリーランスの男を登場させました。
私も含め、フリーランスには「定年」はありません。でも、山田洋次監督や脚本家の橋田壽賀子さん、テレビプロデューサーの石井ふく子さんのように、80歳をとうに過ぎても現役バリバリなんていう「終わらない人」はまれで、多くの人は才能ある若手に徐々に仕事を奪われて「終わって」いく。
でも、自分たちも若い頃、上の世代を蹴散らして最前線に立ったという覚えがあるし、フリーは腕がなければ30歳でも40歳でも仕事がなくなる。その現実を知っているから、覚悟もある。つまり、会社の看板に頼らず仕事をしてきた人は、自分に納得できるから、「成仏」しやすい。そして、エリートにはないアップダウンを経験しているから落差にも強い。ずっとエッジの上を生きてきた人は、一番軟着陸がうまいんですよ。
私が思うに、定年を迎えた人がまずやるべきなのは、「自分の第1ステージは終わった」と観念すること。「自分はまだまだやれる」と思うかもしれないけど、本当にまだやれる人には、世間からお呼びがかかる。
安倍首相は「終わった」から5年後に戻ってきた
実際、定年してから請われて顧問になったり、壮介のように50代で関連会社に飛ばされたのに、何年かたって本社に呼び戻されたりした人を、私も何人か知っています。本当にまだやれる人だと周囲が認めたわけです。もちろん、会社員の場合は、運・不運も多分にあるので、実力ばかりとは言えませんけど。
第1次安倍内閣が終わったとき、誰もが「安倍さんは終わった」と思った。本人だってそう思ったでしょう。でも、5年後には第2次安倍内閣として、華々しく帰ってきた。これは、運とタイミング、そしてまわりからの「まだやってください」という要望があったからだと思います。
貴乃花はまだ「終わって」いない
そういう意味では、貴乃花親方も今は世間から「終わった人」と思われているでしょう。「理事」から親方の階級でもっとも低い「年寄」に降格し、貴乃花一門の名前も消えるのですから。でも、貴乃花親方はまだ45歳。私は横綱審議委員だったとき何度も会って話していますが、彼は本当に相撲界のことを考えている、実力のある人物です。あの人にはたくさんの人が期待している。だから、きっとまた戻ってくるだろうと思います。
でも、誰もがご承知のように、「終わらない人」のほうが珍しい。普通の人は、それなりの年齢になったら「現役時代は終わったな」と受け入れる方が、働きやすいのではないかしら。
意外かもしれませんが、「終わる」と面白いこともあるんです。私も54歳から大学院に行きましたが、これは「土俵も男女共同参画に」という嵐が吹き荒れる中、相撲に関連して伝統というものを学んでおきたかっただけのこと。社会の役に立つとも思っていないし、社会も私に何かを期待してない。
でも、だからこそ自分のやりたいことを好きなようにできる。やってみてあんまり面白くないな、疲れたな、もういいやと思ったら、そこでやめても全然構わない。こんな自由は現役時代の人にはないはずです。終わったからこそ、得る楽しさです。
これまたふとやりたくなって、中村太地七段という今をときめく王座に将棋を習っていました。将棋が面白いのは、敵陣のあるところまで行くと、駒がひっくり返って(成って)、すごい力を持つこと。これは深いですよね。
中村七段は故米長邦雄永世棋聖のお弟子さんなんですが、以前に米長先生が、私におっしゃっていた。「内館さん、人生も将棋もひっくりかえってからが強いんだよ」って。「終わった人」になって、一度ひっくり返ってからが、絶対に強いし、面白いっていうことですよ。
内館 牧子(うちだて・まきこ)
内館 牧子・脚本家:1948年、秋田県生まれ。武蔵野美術大学卒業後、三菱重工業に入社。13年半の会社員生活を経て87年に脚本家デビュー。主な作品に、ドラマ『都合のいい女』(フジテレビ)、『ひらり』『私の青空』(NHK朝の連続テレビ小説)、『毛利元就』(NHK大河ドラマ)、『週末婚』(TBS)などがある。大の格闘技ファン、特に好角家で知られ、2000年に女性初の日本相撲協会横綱審議委員会審議委員をつとめ、2010年1月に退任。2006年には、東北大学大学院文学研究科で、論文「大相撲の宗教学的考察―土俵という聖域」で修士号を取得。(構成=大高志帆)
NPO法人 ラ イ フ ・ ベ ン チ ャ ー ・ ク ラ ブ 活 動 で
ご 支 援 く だ さ る 会 員 皆 様
プレジゼントOnline/2018/05/16 09:15
「定年って生前葬だな」。脚本家の内館牧子氏が2015年に発表した小説『終わった人』は、こんな衝撃的な独白からはじまる。多くのシニア世代から共感を得て、現役世代を戦慄させた本作から、私たちは何を学ぶべきなのか。映画化(6月9日公開)に際し、内館牧子氏が語る――。
「定年したら妻と温泉」はやせ我慢だった
私内館がこの本を書こうと思ったのは、まわりが定年を迎えた頃のことでした。急にクラス会やサークルの集まりが増えたんです。そこでは、かつてのエリートたちがみんな暇になって、「終わって」いた。
そのとき、ふと思い出したのは、40年ほど前に聞いた「定年する人たち」の言葉です。
私は新卒で、コネで三菱重工に入社し、社内報を編集する部署にいました。そこでは定年を迎える人たちに全員に「第2の人生はどうなさいますか」と質問し、毎年記事にします。圧倒的に多かった答えは、「孫と遊ぶ」、「妻と温泉に行く」、そして「バラを育てる」「菊を育てる」。つまり、孫に生きるか、家庭に生きるか、趣味に生きるかの3択です。
当時、私は若く、さして仕事に生きがいも感じていなかったので、彼らの言葉をそのまま受け取り、「もうラッシュにもまれることもなくていいですね」なんて答えていました。
でも、彼らの言葉はやせ我慢だったんじゃないかと気づいたのは、シナリオライターとして駆け出した頃のこと。自分も仕事の面白さを知って、はじめて彼らの「もっと働きたい」「社会から必要とされたい」という本音が見えてきたんです。
そして、さらに20年後、定年を迎えたまわりの人間を見て、改めて「あれは本音じゃなかったな」という確信が持てた。それで、特技のないエリートを主人公にして、彼が定年後の第2の人生に悪戦苦闘する小説を書こうと思いました。
「終わった人」。同時にタイトルも思い浮かんでいました。
東大法学部卒の銀行員が地獄を見る3つの理由 『終わった人』の主人公・田代壮介に特定のモデルはいません。私が見聞きした「第2の人生への軟着陸が難しい男」の要素を集めたのが彼です。
壮介は、東大法学部卒の銀行員。こう聞くと輝かしい経歴ですが、実態は「元エリート」です。メガバンクで出世街道を走っていたのは40代の頃までで、最後は社員30人の関連会社の専務取締役で定年を迎えます。
定年後の壮介が地獄を見ることになった原因は大きく3つ。ひとつは、サラリーマンとして「成仏」していないことです。
安い給料かつ平社員で定年を迎えたとしても、「自分はとことんやった」と思う人はいるでしょう。でも、「成仏」とまで言える満足感を得るには、お金をある程度稼いで、妻子にも苦労はさせなかったという実感が必要。さらには、自分がした「いい仕事」が次々思い出せるうえ、人に自慢できるようなポジションにまで登りつめた――これくらいの条件がそろって初めてサラリーマンとして「成仏」できるのだと思う。でも、こんな人はそういません。
80歳を過ぎても現役の「終わらない人」はまれ
2つめは、エリートだったこと。エリートの壮介は、非エリートが見られなかった景色をいっぱい見ました。非エリートができない経験もたくさんして、いい目にもたくさんあった。でも、そこに落とし穴がある。現役時代と定年後の落差が激しいから、「自分は終わった」と強く感じるし、「社会から必要とされていない」と思えばつらいし痛い。
最後の地獄は、つぶしがきかなくて、特技のない人間だったこと。たとえば外国語がペラペラなら、あるいは何かの分野で抜きんでた知識や技術があれば、定年後もそれを生かして働けるかもしれない。私のまわりの編集者も「肘掛けがなくなったよ」なんて愚痴を言いながら、定年後も結構楽しそうに働いています。これは、編集という特技を活かしつつ、うまく「軟着陸」できた人の好例でしょう。
作中にも、壮介との対比にトシというフリーランスの男を登場させました。
私も含め、フリーランスには「定年」はありません。でも、山田洋次監督や脚本家の橋田壽賀子さん、テレビプロデューサーの石井ふく子さんのように、80歳をとうに過ぎても現役バリバリなんていう「終わらない人」はまれで、多くの人は才能ある若手に徐々に仕事を奪われて「終わって」いく。
でも、自分たちも若い頃、上の世代を蹴散らして最前線に立ったという覚えがあるし、フリーは腕がなければ30歳でも40歳でも仕事がなくなる。その現実を知っているから、覚悟もある。つまり、会社の看板に頼らず仕事をしてきた人は、自分に納得できるから、「成仏」しやすい。そして、エリートにはないアップダウンを経験しているから落差にも強い。ずっとエッジの上を生きてきた人は、一番軟着陸がうまいんですよ。
私が思うに、定年を迎えた人がまずやるべきなのは、「自分の第1ステージは終わった」と観念すること。「自分はまだまだやれる」と思うかもしれないけど、本当にまだやれる人には、世間からお呼びがかかる。
安倍首相は「終わった」から5年後に戻ってきた
実際、定年してから請われて顧問になったり、壮介のように50代で関連会社に飛ばされたのに、何年かたって本社に呼び戻されたりした人を、私も何人か知っています。本当にまだやれる人だと周囲が認めたわけです。もちろん、会社員の場合は、運・不運も多分にあるので、実力ばかりとは言えませんけど。
第1次安倍内閣が終わったとき、誰もが「安倍さんは終わった」と思った。本人だってそう思ったでしょう。でも、5年後には第2次安倍内閣として、華々しく帰ってきた。これは、運とタイミング、そしてまわりからの「まだやってください」という要望があったからだと思います。
貴乃花はまだ「終わって」いない
そういう意味では、貴乃花親方も今は世間から「終わった人」と思われているでしょう。「理事」から親方の階級でもっとも低い「年寄」に降格し、貴乃花一門の名前も消えるのですから。でも、貴乃花親方はまだ45歳。私は横綱審議委員だったとき何度も会って話していますが、彼は本当に相撲界のことを考えている、実力のある人物です。あの人にはたくさんの人が期待している。だから、きっとまた戻ってくるだろうと思います。
でも、誰もがご承知のように、「終わらない人」のほうが珍しい。普通の人は、それなりの年齢になったら「現役時代は終わったな」と受け入れる方が、働きやすいのではないかしら。
意外かもしれませんが、「終わる」と面白いこともあるんです。私も54歳から大学院に行きましたが、これは「土俵も男女共同参画に」という嵐が吹き荒れる中、相撲に関連して伝統というものを学んでおきたかっただけのこと。社会の役に立つとも思っていないし、社会も私に何かを期待してない。
でも、だからこそ自分のやりたいことを好きなようにできる。やってみてあんまり面白くないな、疲れたな、もういいやと思ったら、そこでやめても全然構わない。こんな自由は現役時代の人にはないはずです。終わったからこそ、得る楽しさです。
これまたふとやりたくなって、中村太地七段という今をときめく王座に将棋を習っていました。将棋が面白いのは、敵陣のあるところまで行くと、駒がひっくり返って(成って)、すごい力を持つこと。これは深いですよね。
中村七段は故米長邦雄永世棋聖のお弟子さんなんですが、以前に米長先生が、私におっしゃっていた。「内館さん、人生も将棋もひっくりかえってからが強いんだよ」って。「終わった人」になって、一度ひっくり返ってからが、絶対に強いし、面白いっていうことですよ。
内館 牧子(うちだて・まきこ)
内館 牧子・脚本家:1948年、秋田県生まれ。武蔵野美術大学卒業後、三菱重工業に入社。13年半の会社員生活を経て87年に脚本家デビュー。主な作品に、ドラマ『都合のいい女』(フジテレビ)、『ひらり』『私の青空』(NHK朝の連続テレビ小説)、『毛利元就』(NHK大河ドラマ)、『週末婚』(TBS)などがある。大の格闘技ファン、特に好角家で知られ、2000年に女性初の日本相撲協会横綱審議委員会審議委員をつとめ、2010年1月に退任。2006年には、東北大学大学院文学研究科で、論文「大相撲の宗教学的考察―土俵という聖域」で修士号を取得。(構成=大高志帆)
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