田部井淳子さん:山とともに生きた生涯
2016年10月23日 お仕事 山 と と も に 生 き た 生 涯・・・・・
三 浦 雄 一 郎 さ ん
「 元 気 も ら っ た 。 あ り が と う 」
世界最高峰のエベレスト登頂を女性として初めて成し遂げた田部井淳子さんが死去した。闘病後も山に登り続け、山とともに生きた生涯…。「本当にありがとう」「元気をもらった」。関係者は改めて功績を振り返り悲しみを募らせた。
30年以上の親交がある冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(84)は「あれほど元気だったのに…」と肩を落とした。三浦さん一家とは家族ぐるみの付き合い。田部井さんが山に登る際に子供を預かりスキーを教えたこともあったという。
田部井さんはがんを患いながらも登山を続けていたが、「『私、がんだけどずっとずっと山に行くんだ』と言って前向きで元気をもらっていた」と振り返る。
オペラ好きで、友人を誘い出して楽しんだり、世界中の山々を飛び回っていたのも魅力で、その姿は頭から離れられない。死去を知ったのは22日夜。「女性登山家として世界最高のことをし続けた。生涯現役。ありがとうという言葉と、お疲れさまと言いたい」。三浦さんは静かに語った。
田部井さんが中心となって立ち上げた山岳環境保護のNPO法人「日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT-J)」の神崎忠男会長(76)は田部井さんの健康悪化に伴い、今年5月に正式に会長を引き継いだ。
「ここのところかなり健康的に優れず、無理をするなと言っていたのに…」。神崎さんは言葉を絞り出すように語る。
田部井さんは昭和50年に女性で世界で初めてエベレストに登頂。その準備を指導していたのが神崎さんだった。40年を超える親交があり、HAT-Jの立ち上げにも中心になって協力してきたという。
また、福島県出身で、東日本大震災の被災地を応援し、病を抱えながらも、被災した子供と富士山登山などを続けていた田部井さんを気にかけていた。
神崎さんは年齢は田部井さんの一つ下。どちらが先に天国に行くかと冗談も交わしていた。「いつも『山に感謝しないと』と言っていた。精力的に考え、行動され、それは圧倒されるほどだった。本当にお疲れさまでした」
交流のあった日本山岳会・前副会長の古野淳さん(55)も故郷への“愛”を感じていた。「最後まで故郷を元気にしたいと復興支援をライフワークにされていた」と語る。
国内外の登山家と交流し日本の良さなども発信する姿にも触れた。「私にとっては偉大すぎる大先輩。日本の登山家の中で、僕らを引っ張っていただいた」としのんだ。
三 浦 雄 一 郎 さ ん
「 元 気 も ら っ た 。 あ り が と う 」
世界最高峰のエベレスト登頂を女性として初めて成し遂げた田部井淳子さんが死去した。闘病後も山に登り続け、山とともに生きた生涯…。「本当にありがとう」「元気をもらった」。関係者は改めて功績を振り返り悲しみを募らせた。
30年以上の親交がある冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん(84)は「あれほど元気だったのに…」と肩を落とした。三浦さん一家とは家族ぐるみの付き合い。田部井さんが山に登る際に子供を預かりスキーを教えたこともあったという。
田部井さんはがんを患いながらも登山を続けていたが、「『私、がんだけどずっとずっと山に行くんだ』と言って前向きで元気をもらっていた」と振り返る。
オペラ好きで、友人を誘い出して楽しんだり、世界中の山々を飛び回っていたのも魅力で、その姿は頭から離れられない。死去を知ったのは22日夜。「女性登山家として世界最高のことをし続けた。生涯現役。ありがとうという言葉と、お疲れさまと言いたい」。三浦さんは静かに語った。
田部井さんが中心となって立ち上げた山岳環境保護のNPO法人「日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT-J)」の神崎忠男会長(76)は田部井さんの健康悪化に伴い、今年5月に正式に会長を引き継いだ。
「ここのところかなり健康的に優れず、無理をするなと言っていたのに…」。神崎さんは言葉を絞り出すように語る。
田部井さんは昭和50年に女性で世界で初めてエベレストに登頂。その準備を指導していたのが神崎さんだった。40年を超える親交があり、HAT-Jの立ち上げにも中心になって協力してきたという。
また、福島県出身で、東日本大震災の被災地を応援し、病を抱えながらも、被災した子供と富士山登山などを続けていた田部井さんを気にかけていた。
神崎さんは年齢は田部井さんの一つ下。どちらが先に天国に行くかと冗談も交わしていた。「いつも『山に感謝しないと』と言っていた。精力的に考え、行動され、それは圧倒されるほどだった。本当にお疲れさまでした」
交流のあった日本山岳会・前副会長の古野淳さん(55)も故郷への“愛”を感じていた。「最後まで故郷を元気にしたいと復興支援をライフワークにされていた」と語る。
国内外の登山家と交流し日本の良さなども発信する姿にも触れた。「私にとっては偉大すぎる大先輩。日本の登山家の中で、僕らを引っ張っていただいた」としのんだ。
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