TV東京:NEC presents 『Crossroad』紹介2
2016年4月26日 お仕事 常 識 を 変 え た 靴 磨 き
人 気 行 列 店 ・ 千 葉 ス ペ シ ャ ル つづき
準ホームレスとなった千葉さんが出会った“天職”
東京交通会館に本格的な寒さがやってきました。それでもお客さんの行列は相変わらず。同じ場所に10時間、寒風が身にしみます。それでも決して休もうとしないのは、千葉さんなりの理由がありました。
「靴磨きは社会の一番つまはじきみたいなもんだし、磨かれる人は社会的地位が極端に上だから。それを自分が天狗になったんじゃ話にならない。いいお客さんが獲得できない」(千葉さん)
自ら「つまはじき」と例えるこの職業を、千葉さんはなぜ選んだのでしょうか?
千葉さんは宮城県大崎市出身。実家では、かつて父親が材木店を営んでいました。千葉さん自身も20代前半まで家業を手伝っていたと言います。靴磨きで使う足乗せ台を自ら作ったのも、この時の経験からです。しかし、些細なことで父と喧嘩し、実家は兄に任せて、「なんとかなるさ」と全国を回り、職を転々。やがて、その職もなくなり、気がつけば無一文になっていました。
「お金がなくなって上野の不忍池のベンチで寝てました。準ホームレスですね。大学を出てないし、書き物もできない。何もないわけですよ。財産があるわけでもない。名声があるわけでもない」(千葉さん)
なんにもない自分に声をかけてきたのが、路上の靴磨き。一緒にやろうと誘われ、すぐに飛びつきました。するとこれが……
「いい職種が見つかったと思いました。靴磨きの常識を全部変えてやる」(千葉さん)
やりはじめて、ふと気付いたのです。これは今までの仕事の経験が生かせる。すぐに独立し、有楽町の路上で営業をスタート。これまでになかった特製クリームを編み出し、弟子もできました。
しかし、そんな「千葉スペシャル」に最大のピンチが訪れます。
2012年、行政の指導が厳しくなり、路上での営業が全面禁止へ。千葉さんも例外ではありませんでした。
「キツかったね。追い出されて、もう終わりかと思った。救いの手が来るとは思わなかったです」(千葉さん)
ピンチの千葉さんを救ったものとは?
有楽町の人気者を守りたい
有楽町の駅前で靴磨きをしていた千葉さんを襲った廃業の危機。そんな彼を救ったのが、すぐそばにある東京交通会館でした。
他にも有楽町の人気者を守りたい。そう思った人がいました。空間、ディスプレイ業界の最大手・乃村工藝社の会長です。実は路上にいた頃から、千葉スペシャルに足繁く通う常連さんだったのです。
こうして東京交通会館が場所を、乃村工藝社が特製の椅子と道具箱を提供。たくさんの人が見てくれていた千葉さんの腕と心意気が新装開店につながりました。
よろこんでくれる人がいる限り磨き続ける
噂が噂を呼び、最近では以前は見られなかった女性客の姿が増えました。相手が女性でも、千葉さんは容赦しません。
「だいぶ、(靴を)ほったらかしにしてたね」(千葉さん)
指摘通り、そのブーツはしばらく手をかけずにいた様子。しかし、なぜ今磨いてもらおうと思ったのでしょうか。
「今日初めて来ました。私、今妊婦なんですけど、出産前に靴ぐらい綺麗にしておかなくてはいけないと。足元からしっかりしておかなければいけないと思いました。お腹が大きくなって、自分で磨くことができないし」(女性客)
「いいことですね」(千葉さん)
出産前に、汚れたブーツが一足早く生まれ変わりました。今や妊婦さんにまでニーズがある時代。靴磨きの可能性はまだまだ広がりそうです。
しかし、人生一寸先は闇。それを知っている千葉さんだからこそ、会社の今後について弟子である各店舗の店長に、言っておきたいことがありました。
弟子を引き連れ、居酒屋へ。
「(千葉さんは)厳しかったです。『今までお前は何をやってきたんだ』と、3日間説教されて、(最初は)技の指導は一切なしでした」(弟子)
そして、職人の人材不足に話題が及びました。
「やっぱり若手を育てていかないと」(弟子)
「現状では無理だよ。まずはその前の段階を一つ一つ越えていって、初めてそういうことが言えると思う」(千葉さん)
会社を大きくしたいわけではない。目標は本物を育てることなのです。
これまで磨いた靴は30万足。無一文の生活の中で、ようやく見つけた生きがい。
「俺は100万足を目標にしているから」(千葉さん)
よろこんでくれる人がいる限り−−。そんな職人魂を持つあなたを応援します。
【テレビ東京「NEC presents 『Crossroad』」2016年3月12日(土)放送より
(NECのサイト「NEC presents Crossroad」、テレビ東京番組公式サイト)】
人 気 行 列 店 ・ 千 葉 ス ペ シ ャ ル つづき
準ホームレスとなった千葉さんが出会った“天職”
東京交通会館に本格的な寒さがやってきました。それでもお客さんの行列は相変わらず。同じ場所に10時間、寒風が身にしみます。それでも決して休もうとしないのは、千葉さんなりの理由がありました。
「靴磨きは社会の一番つまはじきみたいなもんだし、磨かれる人は社会的地位が極端に上だから。それを自分が天狗になったんじゃ話にならない。いいお客さんが獲得できない」(千葉さん)
自ら「つまはじき」と例えるこの職業を、千葉さんはなぜ選んだのでしょうか?
千葉さんは宮城県大崎市出身。実家では、かつて父親が材木店を営んでいました。千葉さん自身も20代前半まで家業を手伝っていたと言います。靴磨きで使う足乗せ台を自ら作ったのも、この時の経験からです。しかし、些細なことで父と喧嘩し、実家は兄に任せて、「なんとかなるさ」と全国を回り、職を転々。やがて、その職もなくなり、気がつけば無一文になっていました。
「お金がなくなって上野の不忍池のベンチで寝てました。準ホームレスですね。大学を出てないし、書き物もできない。何もないわけですよ。財産があるわけでもない。名声があるわけでもない」(千葉さん)
なんにもない自分に声をかけてきたのが、路上の靴磨き。一緒にやろうと誘われ、すぐに飛びつきました。するとこれが……
「いい職種が見つかったと思いました。靴磨きの常識を全部変えてやる」(千葉さん)
やりはじめて、ふと気付いたのです。これは今までの仕事の経験が生かせる。すぐに独立し、有楽町の路上で営業をスタート。これまでになかった特製クリームを編み出し、弟子もできました。
しかし、そんな「千葉スペシャル」に最大のピンチが訪れます。
2012年、行政の指導が厳しくなり、路上での営業が全面禁止へ。千葉さんも例外ではありませんでした。
「キツかったね。追い出されて、もう終わりかと思った。救いの手が来るとは思わなかったです」(千葉さん)
ピンチの千葉さんを救ったものとは?
有楽町の人気者を守りたい
有楽町の駅前で靴磨きをしていた千葉さんを襲った廃業の危機。そんな彼を救ったのが、すぐそばにある東京交通会館でした。
他にも有楽町の人気者を守りたい。そう思った人がいました。空間、ディスプレイ業界の最大手・乃村工藝社の会長です。実は路上にいた頃から、千葉スペシャルに足繁く通う常連さんだったのです。
こうして東京交通会館が場所を、乃村工藝社が特製の椅子と道具箱を提供。たくさんの人が見てくれていた千葉さんの腕と心意気が新装開店につながりました。
よろこんでくれる人がいる限り磨き続ける
噂が噂を呼び、最近では以前は見られなかった女性客の姿が増えました。相手が女性でも、千葉さんは容赦しません。
「だいぶ、(靴を)ほったらかしにしてたね」(千葉さん)
指摘通り、そのブーツはしばらく手をかけずにいた様子。しかし、なぜ今磨いてもらおうと思ったのでしょうか。
「今日初めて来ました。私、今妊婦なんですけど、出産前に靴ぐらい綺麗にしておかなくてはいけないと。足元からしっかりしておかなければいけないと思いました。お腹が大きくなって、自分で磨くことができないし」(女性客)
「いいことですね」(千葉さん)
出産前に、汚れたブーツが一足早く生まれ変わりました。今や妊婦さんにまでニーズがある時代。靴磨きの可能性はまだまだ広がりそうです。
しかし、人生一寸先は闇。それを知っている千葉さんだからこそ、会社の今後について弟子である各店舗の店長に、言っておきたいことがありました。
弟子を引き連れ、居酒屋へ。
「(千葉さんは)厳しかったです。『今までお前は何をやってきたんだ』と、3日間説教されて、(最初は)技の指導は一切なしでした」(弟子)
そして、職人の人材不足に話題が及びました。
「やっぱり若手を育てていかないと」(弟子)
「現状では無理だよ。まずはその前の段階を一つ一つ越えていって、初めてそういうことが言えると思う」(千葉さん)
会社を大きくしたいわけではない。目標は本物を育てることなのです。
これまで磨いた靴は30万足。無一文の生活の中で、ようやく見つけた生きがい。
「俺は100万足を目標にしているから」(千葉さん)
よろこんでくれる人がいる限り−−。そんな職人魂を持つあなたを応援します。
【テレビ東京「NEC presents 『Crossroad』」2016年3月12日(土)放送より
(NECのサイト「NEC presents Crossroad」、テレビ東京番組公式サイト)】
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