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  J.I.メールニュース No.710  2015.06.18 発行 
     「 ヤ シ ナ ヒ ビ ト ~ 看取る主体は誰なのか~ 」 
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<巻頭寄稿文>
  「 ヤ シ ナ ヒ ビ ト
          ~ 看 取 る 主 体 は 誰 な の か ~ 」
                  ものがたり診療所所長  
                      佐 藤 伸 彦(今月のフォーラムゲストです)       
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  「看取り」または「看取る」という言葉を10年ほど前はよく使ったのだが、最近あまり自分の立ち位置としては使わないようになった。

  多くの人の最期に関わってきた中で、看取る主体は誰なのかを考えた時、それは「関係性のあるものたち」に与えられた言葉なのだろうと思う。

  私たち医療・介護従事者も関係性のあるものに括られることになるのだが、家族や親戚や友人とはその濃さが違う。もちろん家族の中でも関係性の薄い人はいるだろう。しかし、最期の数ヶ月、数年間、「医療関係者」として関わった私たちが声だかに「看取る」という言葉を使うことには自省的にならなければならない。

  関係性の濃淡は決して時間の多少でないことも分かった上で、敢えて簡単に「看取る」という言葉を使うことは避けたいと思う。

  では、私たちが行っている、終末期の人に関わる一連の「おこない」をなんと呼べば良いのだろうか。 今それを端的に表す言葉を持ち合わせていない。

  日本民俗学の大御所新谷尚紀氏は、新著『葬式は誰がするのか』の中で、本来は血縁や地縁でおこなってきた死者を見送る行為が、現在は葬祭業者にお金という対価で代行してもらう「無縁」社会になっていることを指摘する。

  そして、以下のようにナラティブホームの活動を考察してくれていた。

  『そのような人たちの活動に対して、医師や看護師や介護師などという呼称ではとうてい表せない世界がある。
 
  そこで、それぞれの人の「生」をそれぞれかけがえのないたいせつな「生」としてその人が生きている限り支える人たち、それをやりがい、よろこびとしている人たちという意味の言葉として浮かんでくるのは、「支え人」、「生き添い人」などという言葉である。

  それに近い言葉を民俗伝承の中にさがしてみると、「養い親」に対する「養い子」という言葉がある。

  ただし、この佐藤医師たちスタッフは、それぞれの終末期高齢者の子供ではないから「養い子」というのはむずかしい。そこで考えつくのは「養い人」=「ヤシナヒビト」という言葉である。

  このナラティブホームものがたり診療所の人たちのような、血縁、地縁、無縁、という枠組みを超えたヒューマニズムの世界、ヤシナヒビトたちの世界が存在し続けているにちがいないということである。幼児や高齢者に手を差し伸べる養い親と養い人、歴史を通貫する「ヤシナイオヤとヤシナヒビト」の存在、それがここに提出する一つの仮説である。』

  100%人は死ぬ。そんな当たり前の現実の前に、私たちは素直にならなくてはいけない。

  その時、良い最期(死)を演出するような「看取り」は何か間違っている。

  良い死、尊厳ある死、平穏な死が、目標としての、目指されるべき死としてそこにあるではない。そのために、私たちは食べるのではない。食べさせるのではない。

  最後の最期まで、呼吸がなくなり、心臓の鼓動がとまるまで、私たちは生きているのである。

  その「生」を生ききることを支えるために、私たちはいるのではないだろうか。

  ものがたり診療所のスタッフがITを利用した、実際のやりとりを見ていただきたい。

  看護師
  「Aさん。血圧77/mmHg 触診。尿量100ml、声かけに微かな反応あり。奥様にも来て頂きました。チアノーゼが一段と拡がってきました。うつろな表情で、呼吸も努力様から下顎様です。昨日夕方、佐藤先生より、本日も長男さんにお話がありました。」

   言語聴覚士
  「お部屋にアイスクリームがあります。必要あればお使いください。」

   看護師
  「わかりました。ありがとうございます。」

   看護師
  「Aさん、今朝まで浅い呼吸で経過され、早朝より奥様が傍でみまもりをされていました。◯時10分、奥様見守りの中、呼吸が止まりました。佐藤先生にて死亡診断され、10時半頃より入浴して頂き、12時頃にお帰りになります。最期に、奥様よりアイスクリームを差し上げて頂きました。」

   言語聴覚士
  「看護師さん、佐藤先生、ありがとうございました。奥さまにとって、悔いの残らない時間であったことを願うばかりです。」

  彼女たちのこの淡々としたやり取りの中に、「ヤシナヒビト」としての存在の深さを私は感じざるを得ない。

  行為としての看取りではなく 最後の最後まで生き抜く生を支える存在としての「ヤシナイビト」は、死への過程が特別な事ではなく、まったく当たり前の日常に回帰することを教えてくれる。

  人の死は日常なのである。

参照メルマガ 「 ひ と り ひ と り の 物 語 ~これからの終末期医療~」
http://www.kosonippon.org/mail/detail.php?id=717
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 【佐藤 伸彦(さとう のぶひこ)氏:プロフィール】
1958年東京生まれ。富山大学薬学部、医学部卒業。成田赤十字病院内科、麻生飯塚病院神経内科を経て高齢者医療に携わり、市立砺波総合病院地域総合診療科部長を経て、平成21年4月に医療法人社団ナラティブホー ムを立ち上げ、平成22年4月1日「ものがたり診療所」を開設。平成24年は度厚生労働省在宅医療連携拠点事業所として地域医療と終末期医療をキーワードに包括チーム医療を実践。ナラティブホームの物語」を医学書院から2015年3月に刊行。
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終末期医療をささえる地域包括ケアのしかけ」医学書院
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