「生涯現役社会づくり」をめざす第一弾:24
2015年4月14日 お仕事◎ 海 で 鍛 え た ベ ン チ ャ ー 精 神
ベンチャーという言葉を辞書でひくと、① 冒険、冒険的事業、商売上の冒険、投機、やま ②投機の対象になるもの、賭けたもの、賭け金、などとある。
熟語の at a venture をひくと、「冒険的に」「運まかせに」「でたらめに」などという用語さえでてくる。
ベンチャー実践者の元祖をたどれば、アメリカ大陸発見者コロンブスだという人もいるが、ベンチャーには男の雄大なロマンを行動指針とした、生き甲斐の確たる信念が不可欠であるように思う。
だから、私がライフ・ベンチャーという言葉を使う場合、でたらめとか、運まかせという意味で使うことは滅多にない。むしろ、いい意味で背伸びをして、自分自身に対する挑戦、自分を脳力開発して高みにひっぱり上げるための人生冒険という意味合いで日常は使用している。
私が、ベンチャーという言葉の意味をおぼろげながらも理解しはじめたのは、すでに小学校時代、父の教えによってであった。
私が生まれたのは、昭和十年七月二十一日、香川県小豆(しょうづ)郡土庄(とのしょう)町・・・あの高峰秀子の演じる『二十四の瞳』で有名な小豆島の最先端の町である。私は、生まれた時から、国立公園の屋島を背景にして、赤々と沈んでゆく夕日の美しさを見ながら育った。
しかし、半農半漁の、工場もない島で生きていくためには、家業を継ぐか、そうでなければ外国航路船の船乗りにでもなって世界に “ 出帆 ” することが、当時の人たちの生き方だった。
明治二十五年生まれの私の父も、近衛兵としての軍隊生活のあと、“ 外航船 ” に乗って横浜とアメリカのシアトル間を往復した船乗りの一人だった。
私が七人兄姉の末っ子として生まれた頃には、父はすでに、およそ二十トンあまりの小さな機帆船の “ 船持ち ” として、農産物ほか、ありとあらゆる日用品・雑貨を仕入れ、それを阪神の港に届ける海運業の自営業者として活躍していた。いわば、“ 海の男 ” であった。 つづく
ベンチャーという言葉を辞書でひくと、① 冒険、冒険的事業、商売上の冒険、投機、やま ②投機の対象になるもの、賭けたもの、賭け金、などとある。
熟語の at a venture をひくと、「冒険的に」「運まかせに」「でたらめに」などという用語さえでてくる。
ベンチャー実践者の元祖をたどれば、アメリカ大陸発見者コロンブスだという人もいるが、ベンチャーには男の雄大なロマンを行動指針とした、生き甲斐の確たる信念が不可欠であるように思う。
だから、私がライフ・ベンチャーという言葉を使う場合、でたらめとか、運まかせという意味で使うことは滅多にない。むしろ、いい意味で背伸びをして、自分自身に対する挑戦、自分を脳力開発して高みにひっぱり上げるための人生冒険という意味合いで日常は使用している。
私が、ベンチャーという言葉の意味をおぼろげながらも理解しはじめたのは、すでに小学校時代、父の教えによってであった。
私が生まれたのは、昭和十年七月二十一日、香川県小豆(しょうづ)郡土庄(とのしょう)町・・・あの高峰秀子の演じる『二十四の瞳』で有名な小豆島の最先端の町である。私は、生まれた時から、国立公園の屋島を背景にして、赤々と沈んでゆく夕日の美しさを見ながら育った。
しかし、半農半漁の、工場もない島で生きていくためには、家業を継ぐか、そうでなければ外国航路船の船乗りにでもなって世界に “ 出帆 ” することが、当時の人たちの生き方だった。
明治二十五年生まれの私の父も、近衛兵としての軍隊生活のあと、“ 外航船 ” に乗って横浜とアメリカのシアトル間を往復した船乗りの一人だった。
私が七人兄姉の末っ子として生まれた頃には、父はすでに、およそ二十トンあまりの小さな機帆船の “ 船持ち ” として、農産物ほか、ありとあらゆる日用品・雑貨を仕入れ、それを阪神の港に届ける海運業の自営業者として活躍していた。いわば、“ 海の男 ” であった。 つづく
コメント