ベ ン チ ャ ー 意 欲 の あ る 熟 年 よ 集 ま れ !

ライフ・ベンチャーの神髄は、絶え間ない“ 自己変革 ”であるということができる。

私がまだベンチャーしようかどうか悩んでいる頃、型通り、親友や知人に、いろいろな相談をもちかけたことがある。けれども、ことがニュービジネスを狙うだけに、本当の意味で賛成者は意外に少ないものだということに気づかされた。

中高年の域に達して、いまさら自分を変えようということに、皆しんどさを感じたのかも知れない。

会ってライフ・ベンチャーの意義を説明するたびに、「ベンチャー・アドバイス業でどうやって食っていくのか?」という質問がいちばん多かったのには閉口してしまった。「何か困ったことがあればいってくれ・・・」と帰り際には皆一様にいうのだが、そういわれればかえってたのみにくいものなのだ。そんな時、私は、友人、知人をあてにして商売させてもらおうとするのは、虫がよすぎるのではないかと反省した。

ライフ・ベンチャーは、人頼りでは絶対につとまらぬ稼業であることは確かだからだ。

また、初対面の人に、「 “ ライフ・ベンチャー ”って社名がすばらしいですね 」とほめられ、ライフ・ベンチャーの意義やニーズが認められた時はさすがに嬉しくなったが、その人にしても、ライフ・ベンチャーの類似商号確認のために、私が何度も法務局へ足を運んだことは知らない。東京・港区の法務局出張所だけでも、ライフ名の会社が40社以上あることなど、もちろん、ご存知ない。

それどころか、ライフ・ベンチャーといっても、所詮は“ 無名会社 ”の悲しさで、今のところはこちらから出かけない限り、滅多に“ お座敷 ”はかからないものなのである。

しかし、私には、進歩発展への夢が大きかった。その夢のためには、否が応でも自分自身を変革させていくんだという、熱に浮かされたような気持ちが強かった。

そうして、いざライフ・ベンチャーへ飛翔してみると、周囲の人の眼が、独立の前と後では、明らかにちがってきていることに気づいた。

もちろん、サラリーマン時代の「飼育型人生」から、ベンチャーマン「野生型人生」への転換をするため、意識的な努力をしたこともある。また、ベンチャーした以上、サラリーマン時代より、人生を楽しく生き生きと過ごせる方法を過ごせる方法を工夫したことも、その力には預かっていることだろう。

ベンチャーによって、自分が変われば、周囲も確実に変わっていくのである。これは、私にとって大事な教訓だった。自己を変えることがライフ・ベンチャーの第一の神髄とすれば、ライフ・ベンチャーの第二の神髄は、周囲の人たちにどんなプラスの影響を与えることができるかということである。

もっとも、私のライフ・ベンチャー第1期はベンチャーの神髄や夢より目先のお金を稼ぐことで頭がいっぱいだった。第1期決算の大きな収入源は、まず証券マンとの協力研究による資産運用だった。“ 窮すれば通ず ”で、いまある条件を最大限に活用して、最高率の運用成果を納めることができたのである。

これからも、ベンチャー・ビジネスとして社会的に意義ある事業ならば、長い眼でみれば必ず大きな収益を得られるという確信が私にはある。 つづく

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