■ 国 内 生 産 は 2 0 0 0 年 を ピ ー ク に 急 激 に 減 少

  日本電子産業の凋落を一般社会に印象づけたのは、2012年である。この年には、日本の電子産業は「総崩れ」の様相を示していた。パナソニック、ソニー、シャープの同年3月期の最終赤字額は、3社合計で約1兆6000億円に達した。

  さらに半導体では、エルピーダメモリもルネサス エレクトロニクスも2012年初頭に経営危機に陥る。エルピーダは会社更正法適用を申請、米マイクロンテクノロジー(Micron Technology)に買収された。ルネサスは産業革新機構や自動車会社などによって救済されることになる。

  ただし2014年現在、かなりの数の日本の電機・電子関連企業が業績を好転させている。2年前の2012年に比べれば「まだまし」と言える状況にはなってきた。しかしこれは、日本電子産業の復活を意味しない。というのは、企業業績の好転は、むしろ不調の電子部門を整理したことによっているからである。

  そもそも日本電子産業の衰退は、ここ2~3年のことではない。図4は、生産、輸出、輸入、内需(国内需要=生産+輸入- 輸出)、貿易収支(輸出- 輸入)の、1955年から2013年までの年次推移である。

  電子産業の国内生産金額は2000年の約26兆円をピークとし、2013年には約11兆円と半分以下に落ち込む。10年で半減というペースで国内生産は減少した。貿易収支は先にも述べたように2013年に赤字になる。

  日本の電子産業全体が衰退した背景には、個々の日本企業の経営の失敗はあっただろう。経営者の責任もある。しかしそれだけでは、日本電子産業の総体としての衰退を説明できない。日本のエレクトロニクス関連企業に共通する失敗があったのだろうか。

  それを考える前に、日本電子産業の衰退という現象を分解して、はっきりさせておきたい。第1は過去との比較である。

  第2は世界の他地域との比較である。米国、韓国、あるいは台湾の電子産業は元気なのに、なぜ日本の電子産業は元気がないのか。第3は他産業との比較である。日本の自動車産業は元気なのに、なぜ日本の電子産業は元気がないのか。

■ 元 気 だ っ た の は 「 1 9 7 0 ~ 1 9 8 5 年 」

  日本の電子産業が元気だったのはいつか。1970年以前、日本の電子産業は高度成長していた。ただしこの時期は日本経済全体の高度成長期である。電子産業だけが元気だったわけではない。また日本経済全体に電子産業の占める比率は、まだそれほど高くなかった。この時期の日本経済の主役は、鉄鋼や造船などの、いわゆる重厚長大産業である。

  1970~1985年、この時期に日本の産業構造は大きく変わる。鉄鋼の生産量や原油の輸入量は1973年から減り始める。対してシリコン(半導体集積回路の材料)の国内需要は急増する。鉄鋼産業をはじめとする重厚長大産業は低成長となり、半導体などの軽薄・短小産業が高度成長する。

  1970年代初頭に、半導体集積回路はLSI(大規模集積回路)の段階となる。マイクロプロセッサーが登場し、マイコン・ブームとなる。コンピューターに半導体メモリーが採用される。こうして半導体産業の高度成長が始まろうとしていた。光ファイバー通信の基礎技術が出そろったのも同時期である。

  半導体集積回路はシリコンでできている。光ファイバーは石英(二酸化硅素)を主材料とするガラス線だ。この状況を私は「硅石器時代」と名付けた。これからは鉄器に代わり、硅素を主材料とする石器(硅石器)が主役となる時代、そういう意味を込めた。

  1970年代に入ると、日本の電子産業は世界的にも大きな存在となる。貿易摩擦も頻発する。実際、この時期の日本電子産業は輸出主導で成長した。1970~1985年の15年間の伸びは、生産が5倍、内需が3倍だったのに対し、輸出は11倍である。この期間が、日本の電子産業が最も元気だった時代と言えよう。   つづく

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