建国記念祝日の正午を挟んで3時間に亙り、実に有意義な人生活動家の樫 孝光氏と東急田園都市線あざみ野駅前のジョナサンで、愉しく『生涯現役社会づくり』推進策で語り合う機会を得た。
  その際ご贈呈いただいた樫氏の力作『二度とない人生だから/これから、本当のおのれの生きる道がスタートするのだ!』(2004年4月文芸社出版)は、今春から続々と定年退職を迎える団塊世代諸兄姉に篤い想いで書き上げた見事な労作だと感銘させられた。
  そこで、その前書部分だけであるが、その全文を以下にご紹介しておきたい。
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【 樫  孝 光 氏 / 二 度 と な い 人 生 だ か ら 】

  悔 い を 残 さ な い 人 生 の 再 ス タ ー ト に あ た っ て
  冒頭に、定年退職1年前に書いた、社内懸賞論文の“まえがき”を引用させていただくことをお許し願いたい。それは、59歳の夏であった。

 「この論文を8月いっぱいで書き上げたとすると、私の在籍余命は、あと7ヶ月ということになる。来年3月31日が定年である。在社32年間(ウーン)。唸ったところで定年が延びるわけでもない。
  実は正直のところ、退職が待ち遠しくてならない。いや、仕事が面白くないとか、会社が嫌いだとか、そういうことではない。一言でいうと、自由の身になれる! というのが嬉しいのである。それも、死ぬまで20年間(目標値)何も縛られずに。 もう、したいことが山ほどある!
  こんなふうに書くと、なかには、おまえは甘いやっちゃ、退職したあと20年もどうやって生きていくんや。仕事もなしに、年金だけ頼りに、年取って足腰弱って、そんな長い年月を・・・・・・。もし、本当にそういうふうに考えている方がおられるとしたら、これはとても残念なことだ。
  しかし、現実に多くのサラリーマンは、会社を離れ、名刺(肩書き)がなくなると、生き方が消極的になり、大なり小なり定年ショックが尾を引くという。なかでも勤勉一途、ひたすら真面目人間ほど、会社を辞めたとたんガックリきてしまうという。それであとは、粗大ゴミとなるか、孫のお守り役しか与えられず、急速にボケが進むことになる。
  こんなことを言うと、それならおまえはさぞかし綿密な第二の人生設計を構築しているんだろうな、と言われるかもしれませんが、実はぜ~んぜんなのです。
  今回、社内懸賞論文に応募できるのも最後であり、我々の世代は、誰しも定年後のことが頭の中にくすぶっていると思うので、それならば、自分なりに思い描いていることをさらけ出して、生涯目標! などと大上段に振りかぶらず、夢、希望、挑戦、好奇心など、一人の人間の未来へのファンタジーを書いてみようと思い立った。読まれた方が、何か一つでもヒントにしていただければ、幸いである」

  以上で懸賞論文の「まえがき」は終わっているが、今、あれから1年有余を経て、本当の“サンデー毎日”担って、正直言って時間の経つのが早い。もっと余裕があると思っていた。だって会社に行っているときより、よっぽと自分の時間はあるはずだもの。なんでかなあ。ほんとに毎日忙しい。
  まあ、いろいろなことに首を突っ込んでいることは確かだ。在職中からボランティア団体などに所属していたが、そのほか退職後、新たに加わったものを含めると趣味やら何やらで首が回らないほどである。人生50年、この言葉が実体を持たなくなったのはいつの頃か。また、人生80年、と言われるようになったのはいつ頃であろうか。とにもかくにも我々の世代はまず、あと20年は生きていくことになる。この20年をシンドイと考えるか、イタダキ! と目を輝かせるか、それはあなたの心がけ次第である。
  最近、「ハピー・リタイアメント」という言葉を耳にする。また、「定年、おめでとうございます」と言われる。そう言われても、内心、何がおめでたいのか戸惑う人も多い。
  昨今、電車の中で周囲を見渡すと、中高年が溢れている。平日の午後あたり。そして特筆すべきことは、男性より女性が多い。いわゆるオバン(失礼!)の方々。そしてみんな生きがい。活気がある。温泉旅行の行きか帰りか知らぬが、とても賑やかだ。それに比べて男性群の方は、たまに酒を飲んで騒いでいる連中もいるには居るが、総じて暗い。陰気なのである。居眠りしているのも男の方だ。生気がない。
  そのような車中の光景を見るにつけ、
「一体、野郎どもはどうなってんだ!」
と言いたくなってしまう。永年サラリーマンをやって、精も魂も尽き果てたのか。もう欲も得もなくなってしまったのか。そんなことではこの先20年間、とてもじゃないが保たない。
  ここで先ほどのハッピー・リタイアメントという言葉に思いを馳せていただきたい。退職して、会社のすべてのしがらみなら解放されて、
「今こそ自分自身のハッピーな人生が始まるのだ! これから、本当のおのれの生きる道がスタートするのだ!」
  そのように考えられないだろうか。この世に「オギャー」と生まれて以来、とにもかくにも家族を養い、仕事でもそれなりの責任を果たしてきた。水戸の黄門様の言葉ではないが、 も う い い で し ょ う 。これからは、自分の好きなことに、目を輝かせて、悔いのない人生を全うしようではありませんか。
  私は、サラリーマンの皆さんに、退職後のハウツーをお教えするなどとは毛頭思っておりません。同世代の一人として、世間にありふれた中年男として、これまで出世もせず、可もなく不可もなく定年を迎え、今、これから未知の世界に飛び出そうとしている平凡な人間です。幸い、私の心臓はまだ鼓動を続けています。今、生きている証として、一人の男の、ありのままの、あからさまの、ふつふつと湧きいいずる思いをさらけ出して綴りたい。そういう思いでいっぱいなのです。ただ、かなり独り善がりなところ、思い上がったところがあるかも知れません。いわゆる独断と偏見というやつ。また論理性に欠けている点も多々あると思う。この点はもうとことんご指摘いただいて、至らない点を補って参りたいと存じます。もともと頭の良い人間が書いたものではありません。笑い飛ばしてくださって結構です。
  今回執筆するにあたって、書店に通っていろいろこの種の本を調べてみました。するとわかったことは、圧倒的に女性の著者が多い。男性の書いたものが少ないのです。やはりここでも、しぶとく生きているのは女性の方。そして、またサラリーマン卒業生に意欲をもたらしてくれる本が少ない。そのように感じました。
  では最後に、かの敬愛するチャールズ・チャップリンの言葉・・・・
「人生とは、愛と勇気と少しのお金があれば、それは生きるに値するものだ」
  ついでにもう一つ、レイモンド・チャンドラー・・・・
「男は、タフでなくては生きて行けない。だが優しくなくては生きている資格がない」
  たとえ髪が白くなり、皮膚のしわが増そうとも、心みずみずしく、明日への情熱を失うことがなければ、青春は永遠なり(サミュエル・ウルマン)。   樫  孝 光

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