大竹美喜氏は自著『これでいいのかニッポン』(1994年:NHK出版)の第2章:「それでも希望の灯はある/自立社会の萌芽」の中で、これからの社会を変える大きな力の一つが民間ボランティア活動にあることを明白に強調している。その意味で世界高齢社会の最先端を走るわが国は、前世紀での経済重視社会から21世紀は非営利社会事業のウエイトが増す福祉共生社会への方向転換は避けられまいと思う。

  政府や行政機関、既存団体などが新たな重要課題への対処意識が乏しければ、自覚する当事者が他者の力を当てにせず、報酬も求めずに率先して動かないと事態は進展しない・・・
そういう個人や団体の行動が、やがて大きくなってくると社会も影響を受けるから、ボランティア貢献活動の可能性は自立社会づくりにつながると。

  そのボランティア活動草分けの提唱者、英国の故アレック・ディクソン博士(1914~1994)は「ボランティアの父」として知られ、学生時代の生涯学習で刑務所長から学んだ社会への奉仕と献身を人生指針としてオックスフォード大学卒業後、新聞記者となったことを大竹氏は著書で紹介している。

  第二次世界大戦前のチェコスロバキアでの反ナチス運動、戦時中の東アフリカ兵役での貧しい現地人の実情、除隊後西アフリカでの英国からの学校や銀行の建設援助が住民に役だっていないことから、現地への教育や経済の仕組みづくりに注力し、その経験から12人の青年たちと国際的ボランティア機関「海外ボランティア・サービス」(VSO=Volunteer Service Overseas)を
1958年に設立した。

  これはその後の米国の「平和部隊」また「国連ボランティア」、日本の「青年海外協力隊」のモデルとなり、1962年に世界初の民間ボランティア機関の「コミュニティ・サービス・ボランティアズ」(CSV= Community Service Volunteers)を設立、国連・世界各国のボランティア・アドバイザーとして活躍し、アフラック日本社では晩年の博士を招き、日本での講演会を開催している。

  ディクソン博士は高齢にもかかわらずユーモア交る強い信念の話し振りで、出席者に深い感銘を与える高齢社会の問題を取り上げ、東西ドイツ統一前の西独若者の老人介護事例を話した。西独は国防・徴兵と人権・憲法尊重の課題解決に15ヶ月の兵役服務か、20ヶ月の老人介護奉仕があり、当時5万8千人の若者が後者を選び、その責任感ある献身的ボランティア活動経験のプログラムが若者訓練でも社会に有益との講演だったと紹介されている。

  『時代を駆ける』毎日新聞シリーズ最後の⑨“次は日中韓の架け橋に”社会貢献を述べられる大竹アフラック最高顧問には、「高齢社会日本版モデル」として能力・意欲・健康に余力十分な団塊世代層の企業社会からのOB化時期を有効に活かせる「生涯現役社会づくり」国家レベルでの民間ボランティア運動でもリーダー役としてのご大役をどうか担っていただけたらと心から切望している。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

8  先 進 が ん 治 療 を 実 体 験    毎日新聞 2012年10月19日 東京朝刊

 《がん保険が軌道に乗り、本業以外での精力的な福祉の応援、医療改革活動が始まる》

 1991年秋、法務省の堀田力官房長にいきなり会いに行きました。堀田さんが官僚をやめて単身ボランティアの世界に飛び込む、との記事を読み、いてもたってもいられなくなった。「日本のボランティアの父になってください」とお願いしました。

 フジテレビキャスターだった黒岩祐治さん(現神奈川県知事)らとは勉強会を作り、日本の医療のあり方について徹底的に論議しました。なぜ、日本には技術も人材もあるのに患者がその恩恵を受けられないのか。答えは規制の壁です。がん保険の認可で苦労したのと同じ構造が日本社会のあちこちにあるのです。

 《大竹さんは、堀田さんがつくった「さわやか福祉財団」を支援、黒岩知事とは、川崎市を特区にして世界の先端医療を取り込む構想を進める。仲間は多い。その大竹さんに自ら規制を突破する好機が訪れた。2001年3月がんを告知されたのだ》

 前立腺がんでした。医師から「驚かないでください」と言われ「発見してくれてありがとう」と答えました。本当にうれしかった。がんと闘った体験を語ることで皆さんにもっと勇気を与えられる。全身全霊で治療に専念し、生還しなければならない。闘う意欲がわいてきました。

 まだ日本では認可されていない放射線治療を受けることにしました。「密封小線源療法」というもので、前立腺の中に放射線を出す米粒の半分ほどの大きさの粒子を72個埋め込む療法です。親しかった小泉純一郎首相(当時)には事前にお願いしておきました。もし手術が成功すれば、日本でも認可してほしいと。小泉さんは請け合ってくれました。これまで6,000人くらいの方がその治療を受けています。

 米ボストンで手術を受けた日は9月11日でした。チップを埋めて放射線を当てる。朝の9時から2時間の手術でした。昼前に気づいた時、テレビは9・11テロを報じていました。忘れられない1日になりました。今年7月6日、がん研究振興財団の会長に就任したのも宿命かと思います。

9  次 は 日 中 韓 の 懸 け 橋 に   毎日新聞 2012年10月20日 東京朝刊

 若い方に言いたい。自分が何のために生まれてきたのか。どんな仕事をすれば社会の役に立つのか。それを逃げずに真正面から求めてほしい。私はその自分探しに30年以上かけました。遠回りしているようで実は一番人生の近道だったんです。

 《米国型競争主義、キリスト教的ボランティア精神を武器に規制との闘いに勝ち抜いてきた大竹さん。「これから先はどんな自分を探すのか?」と聞いてみた》

 懸け橋です。中国、韓国との関係を改善したい。私ごときの仕事ではないかもしれません。だけど、それが今の私の使命だと思っている。

 日韓の交流を進めています。実際に彼らから学ぶことは多くある。全羅南道の長城郡という人口5万人の自治体の「教育町おこし」がその一つです。長城アカデミーと名付けた公務員向け勉強会を毎週1回、住民向け市民大学を月に数回、それぞれ1995年から17年続け全国から一流の講師を呼んで勉強させた。継続は力なりです。結果的に一流企業を200社も誘致、町の雇用も所得も引き上げた。私も昨年東京都内の若手経営者を連れて現地を訪問してきました。

 中国とは経済界の人間が懸け橋になればいい。すでにビジネスリーダー間の交流の仕組みはあるのですが、日本青年会議所と中国共産党青年部の若い層にも広げたい。

 何も欧米的価値観を否定するわけではありません。ただ、物質文明、経済至上主義の限界が出てきた。私は足るを知ることだと思うんです。知足の精神。東洋文明を見直す時代。日本人の思想哲学が生きる時代です。

 日本はもっと自信を持つべきです。戦後67年間に日本の先輩たちが世界から尊敬されることをやってきた。敗戦から経済大国になり、公害問題を真っ先に処理、石油ショックも乗り越えた。そして、世界一の長寿国。家庭や学校で、そういうことを教えてほしい。

 宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える。一木一草を師として仰ぐ。私の好きな言葉です。いま73歳ですが、80歳、90歳、100歳に向けての新たな夢、自分探しの計画を整理中です。

コメント