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      B  U  N  K  A  新  聞  社

 【夢追人ニュース】2012年9月5日付( http://bunka-sinbun.jp/news-article/2012/09/95-1.html )に「95歳で青森山田学園理事長に就任した盛田稔さん/青森、十和田、七戸で出版祝賀会」と、同7月2日付( http://bunka-sinbun.jp/news-article/2012/07/post-364.html )「編集長のたわごと」を読ませていただきましたので、下記転載の上ご紹介させていただきます。
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 研究者の間では85歳以上を「超高齢者」、百寿を「超人類」と呼ぶそうであるが、テレビで活躍し、108歳で死去したきんさんぎんさんの双子の姉妹。99歳で処女詩集を出版した柴田トヨさん。聖路加国際病院理事長・名誉院長日野原重明さんなど、最近、100歳前後で、現役で活躍する人たちが目立って多くなってきている。
 95歳になって窮状を救うために、青森山田学園の理事長に就任した盛田稔さんもまさにその一人である。その盛田さんがこのほど『生涯現役‐波乱万丈の95年』を出版した。
 これは、本紙平成14年(2002)3月号から、平成22年(2010)7月号まで約8年、97回にわたり連載した『我が思い出の記』をまとめ、加筆し『生涯現役‐波乱万丈の95年』と改題し出版したものである。
 しかも、最終校正の段階で、『我が思い出の記』ではインパクトがない、盛田さんの生きざまに相応しく、『生涯現役‐波乱万丈の95年』と改題したところ、理事長就任の話しが舞い込んできたという、題名の通りまさに「生涯現役‐波乱万丈の95年」の本である。
 あらすじは、盛田さんが大正6年(1917)に、七戸町の川去という家が3軒しかなかった小集落で、9人兄弟4男として生まれた盛田少年は、父の仕事の関係で、八戸尋常小学校、同高等小学校、県立弘前中学校へと進む。そして、官立弘前高校を経て東京帝国大学に入学する。
 卒業後の昭和17年(1942)、陸軍見習士官として入隊。陸軍経理学校を経て、陸軍将校として中国戦線に赴く。
 敗戦後俘虜となるが、戦争中の、この中国戦線での軍隊生活がかなり詳しく記述されている。
 帰還後、職業軍人であったということから公職追放となり、同時に農地解放で田畑を失い、百姓となり荒地を開墾する。
 そして、七戸中学校から要請があり同中の教師となり、七戸高校を経て、弘前大学野辺地分校講師、同助教授、青森短期大学教授、北里大学畜産学部教授、青森大学教授を経て、昭和46年(1971)青森大学学長となる。
 21年間、同大学長を務め、平成4年(1992)退職。
 そしてこのほど、95歳にして、青森大学や青森山田高校などを運営する、青森山田学院の理事長に就任。まさに生涯現役、波乱万丈の95年でる。
 その95年を、学生に講義するごとく、わかり易く、物語としても面白く読め、また盛田さんの生きざまを知るのがこの本である。
 なお、盛田稔さんの出版祝賀会は、青森市(8月26日)、十和田市(9月2日午前11時富士屋グランドホール)、七戸町(9月15日午前11時柏葉館)の3ヵ所で行われる。
 『生涯現役‐波乱万丈の95年』(文化出版刊、B6版、555頁、定価3,500円)。 本は、大七書店(十和田市)、成田本店十和田店、成田本店青森新町店、銘書堂(七戸)に置いています。
 詳しくは、文化出版℡0176ー23ー0249迄。
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私(編集長:小笠原カオル)も盛田先生のように生きたい。

 私の人生の師である盛田稔先生が、95歳で青森山田学園の理事長に就任した。
 もちろん、山田学院の窮状を救うためである。
 95歳で現役で活躍している人は、日本中探してもそう多くはないであろう。すごいことである。
 私と盛田先生との出会いは、私が新聞を始めて3年ほど経った昭和61年(1986)1月、角川書店から出版された『青森県地名大辞典』の上十三地域出版祝賀会であったから、すでに26年のお付き合いである。
 私が、小さいながらも新聞社をやっているということで事務局をやらせていただいた。
 以後今日まで、盛田先生は本紙へ執筆をしていただき、また周年の祝賀会などには必ず出席し、主賓の挨拶をしていただいた。
 本紙が当初掲げた社是「地域の歴史、文化、人の掘り起こし」は、盛田先生のこうした支援で、揺るぎないものとなってきた。
 もう一つ、私が盛田先生を人生の師として仰ぎ心酔するのは、夢と目標を持ち、かつ社会的責任をもって、死ぬまで働くということである。
 私は40歳のとき80歳まで働こう。それにはサラリーマンでは駄目だと会社をやめ現在の仕事をした。そして盛田先生が90歳で現役であるのを見て、大正生まれの人が90歳で現役なら、昭和生まれの俺は100歳まで働かなければならないと、仕事年齢を100歳まで伸ばした。
 盛田先生はいつも、まだ研究することがたくさんある。あと10年は仕事をしたいといっている。

 今、文化出版から、盛田先生の自著『生涯現役~波乱万丈の95年』の出版の準備をしている。盛田先生の生き様は、まさに生涯現役である。
 私も盛田先生のように生きたい。いつもそう思っている。人生の師を持てたことは私にとって幸せである。

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