「大切なあなたと大切な私」のご意見
2004年4月3日 私の敬愛するMさんから、K学院高等部同窓生の野球部OB/Iさんとの話を「大切なあなたと大切な私」というテーマで丁寧に記録して、本日早暁にメールで送信してきました。生涯現役で意欲的に社会参加活動を続けておられる方々にとって、下記内容のご意見は、何かとご参考になると思いますので、転載させていただきました。
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「大切なあなたと大切な私」
人が「自分は必要とされていない」と感じることほど貧しいことはありません。生きて行くには苦しい時があります。その苦しさが限度を越えていたり、支えてくれる人がいなかったら、人は自殺したり、取り返しのつかないダメージを負う事があります。どうか皆さん、人に目を配ってください。「あの時に一声掛けていたら防げたのに」ということはきっと起こります。しかし、「あの時に一声掛けたから、自殺や事件や事故が起こらないで済んだ」という功績は、はっきりとは表れません。でも、これは何よりも大きな業なのです。普段から、目立たなくても自分にできる大切なことを実行してください。
あなたは時々人に怒りをぶつけることがあるでしょう。それは正当な理由があると思われるでしょう。でも本当ですか。驚き、怒りを感じたとしても、怒りをぶつけるかどうかは、その人が選択しているのです。怒りを使って人と接すると非難、暴力、戦争に繋がります。一方、「必要であれば意見を冷静に伝える」という方法を執るだけで、あなたは思いを遂げ、相手も傷つかないまま、あなたの意見を受け入れることも出来るのです。どちらも大切な存在だと実感することが出来るのです。自分さえ心がければ人を責めたりしないでも、多くの場合思いは伝わります。
(中略)
人はいったい何のために生きているのでしょうか。お金をもうける?人より出世する?正義を通す?・・・いや、感動や安らぎのある毎日のためかもしれませんね。人と人の関わりは何のためなのでしょうか。蹴落とすため? 戦うため? 儲けるため? 従わせるため? 従うため? 決裂するため?・・・いや、分かり合うため、一致するためにしたいですね。
自分だけが幸せになることを目標にするより、みんなが幸せになれることを目標において進みたいですね。そんなことが本当に自分にも出来ると思えたなら、誰もわざわざ人をいじめたり、暴力を使ったり、ひねくれたりしないのではないでしょうか。そうです、人は今の自分のままでよいのだと思えたら、自ら貢献しようと動き出せるものだと思います。だからこそ、まず自分が、人にも非難や否定ではなく、尊敬心と愛をもって接することが大切なのです。その上、自分ひとりの小さな行為が、世界に違いをもたらすことに気付いて欲しいのです。
あなたが一つのゴミを拾ったとします。その行為は直接には世界中のたった一つのゴミをゴミ箱に移したに過ぎません。それだけでは世界のゴミがなくなったり、平和になったりはしません。しかし、その行為を一人が見習うかも知れません。この世に失望していた人の心が救われるかもしれません。あなたが拾うところを見ていなくても、そこにゴミがあったらイライラする人が居たかもしれません。一つ拾うことが出来た人は、翌日も拾う確率が増えます。昨日見た人は、今日は自ら拾うかもしれません。いつかは誰かに影響を与えます。影響を受けた人が、何か違う行動をします。それが連なって世界が変わるのです。今、あなたは世界に対して何もしていないのではありません。何をしていてもしていなくても影響を与えています。そうです、あなたは掛け替えのない存在です。自分を生きましょう。他の誰でもない自分を生きましょう。自分ならではの場所から出来ることを、自分の能力で出来ることを、自分だけのためでなく、他の人も一緒に幸せになれるために・・・。
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「大切なあなたと大切な私」
人が「自分は必要とされていない」と感じることほど貧しいことはありません。生きて行くには苦しい時があります。その苦しさが限度を越えていたり、支えてくれる人がいなかったら、人は自殺したり、取り返しのつかないダメージを負う事があります。どうか皆さん、人に目を配ってください。「あの時に一声掛けていたら防げたのに」ということはきっと起こります。しかし、「あの時に一声掛けたから、自殺や事件や事故が起こらないで済んだ」という功績は、はっきりとは表れません。でも、これは何よりも大きな業なのです。普段から、目立たなくても自分にできる大切なことを実行してください。
あなたは時々人に怒りをぶつけることがあるでしょう。それは正当な理由があると思われるでしょう。でも本当ですか。驚き、怒りを感じたとしても、怒りをぶつけるかどうかは、その人が選択しているのです。怒りを使って人と接すると非難、暴力、戦争に繋がります。一方、「必要であれば意見を冷静に伝える」という方法を執るだけで、あなたは思いを遂げ、相手も傷つかないまま、あなたの意見を受け入れることも出来るのです。どちらも大切な存在だと実感することが出来るのです。自分さえ心がければ人を責めたりしないでも、多くの場合思いは伝わります。
(中略)
人はいったい何のために生きているのでしょうか。お金をもうける?人より出世する?正義を通す?・・・いや、感動や安らぎのある毎日のためかもしれませんね。人と人の関わりは何のためなのでしょうか。蹴落とすため? 戦うため? 儲けるため? 従わせるため? 従うため? 決裂するため?・・・いや、分かり合うため、一致するためにしたいですね。
自分だけが幸せになることを目標にするより、みんなが幸せになれることを目標において進みたいですね。そんなことが本当に自分にも出来ると思えたなら、誰もわざわざ人をいじめたり、暴力を使ったり、ひねくれたりしないのではないでしょうか。そうです、人は今の自分のままでよいのだと思えたら、自ら貢献しようと動き出せるものだと思います。だからこそ、まず自分が、人にも非難や否定ではなく、尊敬心と愛をもって接することが大切なのです。その上、自分ひとりの小さな行為が、世界に違いをもたらすことに気付いて欲しいのです。
あなたが一つのゴミを拾ったとします。その行為は直接には世界中のたった一つのゴミをゴミ箱に移したに過ぎません。それだけでは世界のゴミがなくなったり、平和になったりはしません。しかし、その行為を一人が見習うかも知れません。この世に失望していた人の心が救われるかもしれません。あなたが拾うところを見ていなくても、そこにゴミがあったらイライラする人が居たかもしれません。一つ拾うことが出来た人は、翌日も拾う確率が増えます。昨日見た人は、今日は自ら拾うかもしれません。いつかは誰かに影響を与えます。影響を受けた人が、何か違う行動をします。それが連なって世界が変わるのです。今、あなたは世界に対して何もしていないのではありません。何をしていてもしていなくても影響を与えています。そうです、あなたは掛け替えのない存在です。自分を生きましょう。他の誰でもない自分を生きましょう。自分ならではの場所から出来ることを、自分の能力で出来ることを、自分だけのためでなく、他の人も一緒に幸せになれるために・・・。
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