下記の生活デザイン研究所の記事を見かけましたので、ご参考までに転載させていただきます。 
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  生活デザイン研究所ニュース
  生活デザイン研究所・隠居研究会編集
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 生涯現役派か隠居派か

 世の中には、生涯現役派と隠居派がいるという。生涯現役派は、現役の意識を一生もちつづけることを切望し、隠居派は、社会から一歩離れたかたちで残りの人生をいきる人と考えられているようだ。
 生涯現役派でいくか隠居派でいくかは、当人の決断で決めることができると、多くの人は考えている。しかし、その決断に至るまでの、あなたと社会とのつながりが、生涯現役か隠居かを決める大きなの要因であることに気がつくことは少ない。
 自然なかたちで一生現役派になれるのは、農業、漁業や、職人、学者などの人たちである。その世界は、たとえ定年があったとしても、その道を自然なかたちで歩むことができる。
 たいして、会社員など組織に属して生きてきた人たちは、組織の構成員であることで、社会とのつながりを保ってきた。会社員が組織から離れることは、企業人から自由人へという大きなパラダイム・シフトをたどることになり、それまで築いていた、肩書きや収入などのすべてのステータスがなくなることを意味している。
 企業人の世界では、肩書きや収入で多くの人との対比をすることができたし、組織がバックアップしてくれることで、安定した生活が保障されていくシステムがあった。それが、突然なくなってしまうのが、リタイアした企業人の世界といえる。企業人が会社からリタイアした後、大きなハンディを背負うという現実がそこにある。そこに、生涯現役論の大きな壁が存在する。その壁を突破するのに大変な努力が必要になる。社会の中での自分の役割が明確にできないというジレンマがそこに発生する。それを乗り越えた人が、生涯現役でがんばっている。
 先週の読者アンケートによると、若い世代は、「隠居は老人のイメージ」と答えたのに対し、隠居中の高齢者は、「通常は世事に関わらず、静かに自分の生活を律し、時に、要望されれば、自分の知恵を提供する」という回答がかえってきている。
 生涯現役派も隠居派も、自身の経験に基づき、社会に貢献するという意識をもっている。しかし、この両者が互いの生き方を認めあう風土が今の日本に少なく感じるのは、日本に、高齢者の文化がないからだと言いきってしまうのは、少しばかり過激であろうか。

参考URL=http://www.seikatsu.org/inkyo/back/0002.htm

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