月刊誌「みにむ」99/01号に掲載された開倫塾
林 明夫塾長の次の記事からも考えさせられることがありそうです。

生涯現役社会を考える
「生涯現役社会」を考える前に、聴きなれないかもしれないがagismつまり「年齢による差別」をなくすことを考えないわけにはいかない。
 欧米では、よく勉強した人ほど「あなたは何歳ですか」と年齢を質問する人は少ない。生年月日などは個人のプライバシーの究めつけであり、本人が自ら口にする場合以外は他人が質問するなどもっての外、品性に欠けるばかりでなく、質問すること自体が人間の尊厳を傷つけると考える人が多い。
 根掘り葉掘り、年齢や家族構成、出生地など質問し続けたら、目の前から話し相手が一人もいなくなるばかりでなく、裁判に訴えられ、考えられないほど高額の損害賠償や慰謝料を支払えとの判決を受けることを知っている。「おいくつですか」「お年の割にお元気ですね」「お若く見えますね」「お元気でいつまでもお過ごし下さい」などという表現は、言われる相手からすれば、あまり愉快でない場合が多いかもしれない。
 まして、「年だから無理だ」などという表現は、言われる相手からすれば「人間存在の否定」につながる。話すほうも、自分の年齢は自ら告白する必要は少ないと思う。「私は何歳です」と言った瞬間に、年齢差のある話し相手は身構えてしまい、コミュニケーションが急に進まなくなる場合が多い。「私のような年になると」「年がきてしまって」「今の若い人は」などなど自ら年齢のことばかり口にする人のそばには、私は近づかないことにしている(相談されている場合は別だが)。
 職場では、業務上の結果を出すことがすべてである。「仕事の相手に年齢を質問すること」や「年齢を自ら告白すること」は、業務上の結果を出すこととは全く関係ない。

参考URL=http://www.kairin.co.jp/akio/minimu/minimu991.htm

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